◇36 ありふれない日曜日の意義①




 ピンポーン、とインターホンの鳴る音で意識が戻った。



 うすく開いた目に無視できないほどの光が入ってくる。……おかしいな。

 家の中からは誰も動く気配がない。叔父さんがこの時間にいるはずないけど、広夢は……寝ているのだろうか。


 ――どこからか視線を感じる。あの少女のものか、誰のものか。だが昨日と違ってはっきりと分かる。これは自分を咎めようとする類のものだ。


 ガチャリ、という金属音。

 玄関のドアが開かれた、のか。


 いや、そんなはずがない。それはおかしい。

 勢いで思わずベッドから立ち上がる。シーツと共に、固い物――スマホが床にゴトリと落ち、転がり、裏返って表向きになる。

 ちょうどその時に、ピロン、という音と共に振動した。


 新規メッセージ――『家まで行きますね』。


「……は?」


 扉越しに1階から、「おじゃまします」という声が聞こえる。

 思考は意味のない高速回転を繰り返して足が動かない。

 急速に意識が覚めていく。



 しばらくした後に、部屋のドアがノックされた。



「やほー、先輩! 元気してますか?」


 言葉が出ない。

 思考演算は完全にオーバーフローした。


「どうせ先輩はなんだかんだ来ないと思ったので来ちゃいました」


 あまりに純粋な笑顔を浮かべる少女が、扉を開いてそこに立っていた。



――――――

――――



「早く! 早く行きましょう!」


 天笠がリビングのソファーに大人しく座っている。いつもからはとても似つかない光景だ。見慣れた制服ではなく、黒ジャージのズボンに白パーカー、キャップと完全に私服である。

 色気はないが、機能的な……おかしい。なんだこの状況は。


 まだ頭が上手く働いていない。壊れたままの状態だ。


 ころころと表情の切り替わる天笠。その顔は、やはりあの黒い少女と似ている気が――。


「き い て ま す か!? 約束! しましたよね!?」

「…………ぁ、ああ」


 いつの間にか立ち上がって目の前まで近づいていた天笠の大声に意識を引き戻される。

 やくそく、約束。ああ、あれか。……どれだ?


「まさか忘れていないですよね……? 今日が日曜日ですよ!?」

「……ぎりぎり憶えてた」


 ……実のところ昨日の諸々と共に記憶から吹っ飛んでいた。だがチャイムが鳴った途端に憂鬱さが増した気がするので、完全に忘れていたわけでもなかったのかもしれない。捻るようなものは何もなく、そんな気分にならなかった。本当にただそれだけ。

 気乗りしないのは事実だが、そもそも前回が不完全燃焼だったのは僕のせいであり、なんとなく罪悪感もある。


「……よく家の場所分かったな」


 どういうことだ、とあまりに早い到着のワケを尋ねると、天笠はバネ仕掛けのように勢いよく立ち上がった。


「超苦労しましたよ。東白森にある家を片っ端から調べてきましたからね」

「……そんなわけあるか」


 僕は上の空のまま、非日常的な雰囲気に呑まれ口を動かす。


「や、結構前に先輩に用事があって、三谷先輩に聞いてたんです。結局その用事自体がなくなって行かなかったですけど」

「……なるほど。……そういやそんなこと言ってたっけなあ、あいつ」

「そんなことはどうでもいいんですよ! 早く準備してください先輩! とっとと行きますよ!」


 まったく用意せず突っ立っている僕に対して、天笠は強く手を叩いて急かそうとする。


「ほらほら、すぐ着替えてください! 早く行きますよ!」

「……別にこの格好でいいよ」


 脳の半分で返答する。自分でもどうかと思うほど、著しく現実感がない。流されるまま、結果として抵抗の選択肢が選ばれなかっただけ。

 流れに乗ったまま、いつも通りの先輩を装っている。それが今の僕にとって何より楽なのだと、彼女は分かっているようだった。


「えー、今日陽が出てないから寒いですよその上下1枚」

「どうせ運動するとこ行くんだろ? 汗掻くわ」


 引っ張られるままに洗面台へ行き、適当に顔を洗ってひどい寝癖を直す。リビングに戻って、あれよあれよと押し出されるように玄関から外に出た。


「さあ行きますよ!」


 天笠が僕の手を掴んだ。

 確かに空は雲に覆われて薄暗く、だけどそんなに寒くもない。



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