◇29 特別な週末の終末




 その後の遊園地は営業どころじゃなかった。

 死体を見たものの喧騒は次第に園内全体へと波及していき、次々と園内に入ってくる警察官の姿がトドメとなって大混乱となった。僕と三谷は放心しながらも、深路に事情を説明するため合流しようとした。しかしお化け屋敷の近くから離れた程度では、広がってしまった喧騒から逃れることはできなかった。

 一時的に園内のゲートは閉じられ、その場にいた入場者は集められて怪しい人物がいないか調べられた。一般の入園客が解放されたのは午後4時近くであり、容疑者が見つかったのかどうかは分からなかった。

 

 結果的に野次馬のような形になっただけの僕はともかく、三谷は違う。三谷は死体が第一発見者に目撃されるとき、近くにいたという。

 飲み物を買い、恋人からの電話攻撃に慌てて電波の入る場所を探して迷っていたところに遭遇したらしい。その後、事情を聞くため警察署に呼ばれたのは当然のことだった。


 あれが死体ではなく、精巧に作られたただのモノだと判明したのは、それからのことだった。



――――――

―――― 



 深路と僕は受付前の椅子に座っていた。

 警察署の1階はとても忙しない。遊園地で味わった狂騒とは異なり、あまりにも日常的で。それが棒らの世界と同じ文脈であることにささやかな戦慄を覚える。


 ここまでずっと、口の中はカラカラだった。人形だと分かってなお、胸の中心だけがどくりと熱い。強張る指先を嫌って折れそうなほどに強く両手を組み、唇を噛んだ。


 6月2日。昔のノート。そして今日。

 3度目の正直、今はその諺にさえ恨みが募る。かき乱されそうな心をどうにか抑えつけた。死体でないことなんて、まるで意味がないことだ。

 確かなことは、今度こそしっかりと現実の光景として、『構図』が脳に焼き付けられたということ。

 そしてこの連続が、神の悪戯などではないこと。


 ――アレは、はっきりとその指先を僕に向けている。

 どう、受け止めれば、いいのか。頭をすり潰したって答えなんか出ない。


 深路は実物を見ていないので、いまいち現実感がつかめていないようだった。一緒だった僕にいろいろと聞きたいことがありそうだったが、警察署に来た時の僕や三谷の雰囲気を察したのか何も聞かなかった。

 結局無言のまま、存外に長い時間を、何も考えられず無為に過ごして三谷を待った。


「待っててくれたのか。悪いな……」


 大分時間が経ったのち、2階から刑事の人とともに三谷が降りてくる。とりあえずの事情聴取は終わりらしい。死体ではなかったのだから、もうこれ以上はないだろう。

 三谷の姿を見つけて小さく手を挙げて合図をして立ち上がるが、何かかける言葉を上手く見つけられず、無言のまま警察署を後にする。空はまだ少しだけ明るかった。


「……悪いな。今日アタシが誘ったばっかりに」


 無言の帰り道の中で、三谷が心底申し訳なさそうにポツリと言った。


「……三谷が謝るようなことじゃないだろ。お前がどうこうしたわけじゃないんだしさ」

「そうだ。私は午前中だけでも楽しかったぞ」


 そんな言葉を聞いてもどこか上の空の三谷は、うーんと力なく呟いた後、


「……そっか。よし、また今度落ち着いたら今日のリベンジもかねて3人でどっか出かけるか! うん、それがいいな」


 どこか強引に吹っ切ろうとするように、大きな声で言った。

 僕と深路はそれに何も言わずに首肯し、帰りの電車に乗り込んだ。


 瞼の裏では常に、目の前の現実とはまったく異なる構図を浮かべながら。


「じゃあ、また明日」


 なかなか会話の弾まないまま、先に深路が電車を降りる。僕と三谷は人もまばらな電車内から手を振った。

 ドアが閉まって電車が動き出しても、隣に座る僕と三谷の間にしばらく会話はなかった。


「……なあ」


 唐突に三谷が口を開く。


「……何?」

「ずっと聞きたかったんだけどさ。与一って今悩んでること、ある?」


 今日のことが原因だったら申し訳ないんだけどさ、と確信を持ったような口調から濁して三谷の言葉は続いた。

 どきん、と心臓の音が鳴る。


「――どうしてそう思った?」

 

 6月2日のこと。

 ナニカのこと。

 『構図』のこと。

 『津島与一』のこと。

 半分は当たっている。


「……最近ずっと気になってたんだよ。顔色は悪い、学校を休む頻度が増えた、ほとんど伊達に近いような眼鏡を鬱陶しそうに掛ける、どこにいても違うものを見ているみたいに心ここにあらずで、話しているときも反応が鈍いし……」

「気のせいかもしれないぞ」

「……なんか今日あんなものを見てさ。聞いておこうって思ったんだ」


 またそこで会話が途切れる。

 僕が否定したら、三谷は何も言ってこない。こいつはそういう奴だ。いいやつだか「アタシも聞くかどうか迷ってたんだ。余計なお節介かもって。でもさ、俺たちってさ、あれじゃん?」



 ――友達、だろ?



 視界が緩むようなことを、言うなよ。

 とんだ不意打ちだ。アレを見たショックは三谷だって変わらないはずなのに。


 ……両手で顔を覆った。落ち着く。こうしているのが精一杯。


 なんて不甲斐ない。だがその言葉は全身にほんのりとした温かさをくれる。

 友達って、良いものだ。


「三谷さ、絵、完成したんだろ? 深路から聞いた」

「……? おう、初めての作品にしては中々の出来だぜ」

「描くよ、僕。半分描かせてくれ」


 熱ではない、そんな温かさに、応えたいと思った。

 それを聞いた三谷の笑顔は、やはりカッコよくて――チクショウ、羨ましいな。

 こいつに勝てる、いや、こいつの役に立てる日なんてこれからの人生で数回もあるだろうか。

 

「悩みの方は……まあ……いつかちゃんと話すよ」

「おう」


 いつか、はそこまで遠くない未来だ。そんな予感がある。約束はいらなかった。

 それから僕たちは別れる時まで、また無言に戻った。



 電車を降りた後、帰る前にある公園へと寄り道した。


 ナニカは相変わらずそこにいて、死体も頭に浮かぶ。まだ少し明るい中で見るその景色は、ごく一般的な公園と変わらないものだ。


 もう異常と呼べるものは、もうないのかもしれない。そう思い込んだ。



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