◇28 特別な週末のXXX




 ジェットコースターではしゃぐ2人に何度も突き合わされ、僕は限界に達した。

 今は園内の座れる飲食スペースで休憩している。もう日差しがギラギラと照りつけていて、エアコンのきいた室内に入りたかったというのも理由だ。


「おい。聞いているのか?」


 深路の不興を買うまで少しボーっとしていた。が決して僕のせいではないので謝らない。


「……何の話だっけ?」

「お前が聞いてきたんだろう。三谷の絵の調子はどうか、と」


 そうだったそうだった。飲み物を買うと言って三谷がちょうど席を立ったから聞いたのだった。

 深路はこちらを睨む。座っていてもあまり縮まらない身長差のせいで上目遣いになっているが、逆に怖い。切るように、「でどうなの」と聞き返す。


「正直上手くはないな」


 深路は先ほど自分のトートバッグから取り出した黒背表紙の手帳をパラパラと見て答えた。何かアイデアの源流なのだろうレベルの高い落書きを抜けたページには、初心者に向けたアドバイスの文言が躍っていた。

 

「深路に言わせたらそうだろうな」

「津島だって私と同じことを言うさ」

 

 いつぞやと同じような軽口を叩いたが、彼女の反応は少し違っていた。


「才能云々の話をするのは好きじゃないんだがな。まるっきり関係ないと言うこともできかねる」

「難儀な性格だな」

「知っているだろう? 私は昔からこうだ」

「……」


 こいつと2人きりになると、いつもこう昔の話ばかりになる。

 しかし、彼女にだけは、過去のことを聞けない。薄氷でできた石橋を叩いて壊せない。

 僕らを繋いでいる要素が、依然として友達よりも昔馴染みという関係性であるのは分かっている。それは多分お互いに。

 

「やる気はある。思いきりがいいから筆も早い。――実のところ、もう津島に見せる試作はできあがってるんだ」

「おいおい、まだ1週間ちょっとだぞ」


 少し考えているだけで話がどんどん進む、筆も進む――って流石に早すぎないか。


「描くのか? 津島」


 三谷とはそういう約束になっていた。わざわざ聞いてくる辺り、深路も僕のことをよく分かっていた。

 

「分からん」

「描いてくれよ。私のためにも」


 僕の絵大好きだな、お前。

 悪い気はしないんだが、それとこれとは話が別だ。


 しかし、とも思う。

 僕はその三谷の絵に、吹き飛ばされずにいられるだろうか。熱に浮かされず、風も堪えて踏ん張ることができるだろうか。

 自信はなかった。


「……あいつ遅いな。どっかにいなくなるのは深路の役割じゃなかったのかよ」

「私はお前のような暇人と違って忙しいだけだ」


 深路と気長に待っていたのだが、三谷が外に出てから既に30分以上は経っている。流石にちょっと遅いな。

 何してるんだあいつ、トイレか? とんでもない下痢で便器にずっと座っているなら――それはそれで大事件だな。


 呆れながら三谷のスマホに電話を掛けるが、どうにも繋がらない。

 社交的でかなりの人数とつながりを持っていて、携帯が鳴ることも少なくない女だ。いつも2コール以内で出るようにしている、と僕に自慢していた覚えがある。


 おかしいな、と無意味に操作していて、スマホの細かい表示に目が留まる。忘れてたけどそういえばこの遊園地、電波の入り悪いんだった。

 テキストメッセージの送受信ぐらいなら少し時間があればできるけど、電話は調子よくないとかなり難しかったっけ。横が山だから仕方ないね。

 しかし迷ったにしてもメッセージ来てないし、はあ。


「お前探して来いよ。ここで待ってるから」

「おい、押し付けるな。津島は無駄に背も高いのだから見つけやすいだろう」


 上から見まわせるし、向こうからの目印になるし……なるほど合理的だ。

 しかし考えていることは僕も深路も同じこと。こんな暑い中、外に出たくない。というか立ち上がりたくもない。


 妥協点が見つからないと取ったか、深路は手帳後ろのページを一枚破り取り、2つ折りにしてこちらに差し出した。

 お決まりのアレだが、分かっていても気が重い。というかお前書くものなくても準備してんのかよ。


「…………2」


 小さく呟いて開いた紙には『1』の文字。流石にため息もつきたくなる。

 

「じゃ、ちょっと探してくるわ」

「頼んだ。あ、さっきまでジェットコースターでグロッキーになってたのに、すぐに動いて大丈夫か?」

「うるせ。イヤミか」


 よくあんなもん楽しめるなお前ら。

 さっきは本当に死ぬかと……うっ、思い出したら気持ち悪くなってきた。


「連れ戻すついでに私の飲み物も買ってきてくれ」


 ペットボトルのお茶を一口飲んで立ち上がろうとした僕に、はいこれ代金、とずうずうしく100円硬貨を渡してくる深路。


「お茶でいいぞー」

「……りょうかい」

「おお、なんか今日珍しく素直じゃないか」


 うるせ。自分でも珍しい気分になってるんだから茶々入れるな。

 僕は少し汗ばんだ手に硬貨を握りしめて席を立った。


「……」


 その時の深路は今日何度目かわからない、昔に思いを馳せるように遠くを見つめていた。



――――――――

――――――



 まず探したのは中心にある最大の広場である。

 園内マップを持っていて三谷が道に迷った場合、高確率でこの場所にたどり着くだろうと思ったからだ。

 ただ周りにはかなりの人数が留まっていて、パッと見たところではいるか判別できない。大声を出してこの大衆の中で注目を集めるのは憚られ、朝に比べて増えた人込みをかき分けるようにして三谷を探した。

 ……ここにはいない。


 次に向かったのは朝に来た受付の場所である。迷っているのであれば場所を聞きに来ることもあるだろう。

 が結局、向かった先には影も形もなかった。受付の人にも聞いたが、そんな人は来ていないという。迷子案内出しますか? との問いには遠慮しといた。高校生が迷子で呼び出されるってどんな辱めだよ。


 受付に向かう途中、自販機の固まっている場所も見つけた。

 飲み物を買いに行ったのだからもしかしたらいるかもと考え辺りを見回したが、ここにも三谷は居なかった。

 しょーがない、お茶だけ買うか。

 その自販機群の前に立ち、その中身を確に……あ。


 これ100円じゃ足りないじゃねーか。


 最低料金150円からのラインナップの威容に思い出す。ここは遊園地、特別料金のはびこる社会である。

 握りしめてきた硬貨1枚じゃ、350ミリリットルのただのお茶1本でさえ買うに能わず。

 渋々と自らのズボンの尻ポケットから財布を取り出す。小銭入れに入っているのは……うーわ、こういう時に限ってなんにもない。

 札入れの方からピン札の1000円札を取り出して、自販機に突っ込む。それを美味しそうに飲み込んだ自販機は、高いお茶1本とともに大量の小銭を吐き出してくる。

 トホホ。また財布が厚くなっちまった。


 僕は結露したキンキンのお茶を拾い上げて、財布を再度尻ポケットに突っ込む。


 次はどこ探そうか。飲食スペースから受付までの東側はあらかた探した。残るのは西側だけど……メンドーだなあ。もう電波の入る場所を見つけて電話してるか、……本当にトイレで腹壊してるんじゃなかろうか。

 手がかりがないからどうしようもないなホント。


 携帯のメッセージアプリを起動して、深路と連絡をとる。


『お茶買った、三谷戻った?』

『ありがと、いない』


 電波のせいで遅れて返ってきた返信に、だよなあ、とため息をつく。

 額に流れてきた汗を手で拭って空を見上げると、朝にあった雲はどうしたのか聞きたくなるほどの快晴。

 そんなことはお構いなしに日差しはジリジリと照りつける。カラフルな塗装が剥げかけたアスファルトから、だんだんと湯気が立ち上りそうだ。


 暑くなってきたなあ。早く三谷見つけて涼しい屋内に戻りたい。

 そんな思いでぐだぐだと遊園地の西側、観覧車などがある方へと来た。 前方、遊園地全体の配色からは明らかに異質な黒い建物が存在感を放っていた。入り口上部のところに『白森第四病院の少女』とおどろおどろしい文字で書かれており、恐らくお化け屋敷だろう。

 見覚えはない。来てない間に新設されたのだろうか、人も集まっているから人気なのだろう。


 憂鬱にその集団の方へと足を進めようとしたとき、ポケットのスマホが振動した。

 着信……着信? この電波状況で?

 表示は三谷。


 「おい、三谷お前どこにい――ん?」


 開口一番恨み節を……声が聞こえない。喧騒だけが途切れ途切れに聞こえ、すぐに切れた。


 スマホをしまって歩き出そうとして、また違う疑問に足を止めさせられる。

 眼前の人だかりがお化け屋敷入り口の受付でなく、建物の横に集中していたことだった。

 気にならないと言えば嘘になる。が、こんな暑さの中で集団の奥深くにまでは交じっていられない。


 ほどほどの距離から集まっている人たちを眺め……何が起きたんだ、これ。


 近くにいる人々のざわつき方、様子が異常であることはすぐに気づいた。集団の中から抜け出してくる人たちの顔は険しく、真っ青で、動転している。


(あれ、あいつ……)


 人だかりの中に、三谷と思しき後ろ姿を見つけた。すぐにまた人で見えなくなったが、服装を考えると間違いない。


 嫌な予感がよぎった。

 三谷を追って人込みの中へと踏み入れ――。


『なんで』『誰が』『うわああああ』『警察! 警察!』


 聞こえてくるのは明らかに異様な声。

 それをかき分けて進み――いた! 三谷だ。


「おい三谷! こんなところで何やってるんだよ!」


 見つけた後ろ姿の肩を掴む。

 しかし、三谷はこちらの呼びかけに反応しない。足元に未開封のスポーツドリンクが横倒しになって落ちていた。

 近づいて覗き込んだその表情は、いつもからは考えられないほどに青ざめ、目を大きく見開いて戦慄いている。

 その視線は、真っ直ぐ1点へ。


 僕は、思わずその視線の先を向いてしまった。


「……ぃっ」


 そこには、人のようなものがあった。


 人だったものと表すのが正しいのか、はたまた今でも人であるのかはわからない。

 ただ、それはもう正常に生きている人の形ではない。


 切断され、地面に乱雑に転がされた四肢。唯一残った右腕の手は血の付いたのこぎりを握り、命を散らした道具に纏わりついたナニカが刃先から滴り落ちる。伸ばされた左手の人差し指の赤く濡れた指先が、文字か図形か、謎の模様を地に刻んでいた。



 あまりに似ている『構図』だった。



 幻のように現実感を失っていた『公園の死体』が。『らくがきちょうの絵』が。

 黒が染みだすように頭の中で氾濫を――。


「うあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」


 強烈な頭痛を感じる中、できたのは叫び声をあげることだけだった。



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