◇24 約束は約束




 その日の放課後に、僕はまたも美術室に来ていた。

 もちろんちゃんとした利用なので冷房は付いている。


 美術部とは名ばかりの将棋同好会活動日、ではないと思っていた。

 先週賭けに敗北し、既に約束も履行されていた。単純に、天笠が僕と対局する理由はもうないはずだった。

 はずなのだが……流れたままに美術室で盤を挟んでいた。

 天笠はいつも通り僕の教室にやかましくのりこみ、不思議と僕自身もそれが当たり前のことのように対応した。一緒に部室へ向かい、座布団を敷いて駒を並べ、くだらない会話をしながら将棋をする。

 この日常が楽しい、のかもしれない。

 ……いかん。昼間に色んなことがありすぎて思考が緩くなってる。


 前回僕は他のことにばかり気が散り、結果ミスをして負けている。反省した今回は天笠の言う言葉をすべてシャットアウト。完全集中のスタイルで完封勝利した。

 天笠はいじけたようにブーブー言っていたが、そんなものは関係ない。勝ったからな。


「先輩。後輩をそんなにいじめて楽しいですか? というか私が面白くないので対局中無言とかやめましょーよ!」

「そんなこと言っといて僕が負けたらまたなんか要求する気だろ? その手には乗らんぞ」

「…………いやまあそれはそうなんですけど」


 ほれ見ろ。

 でもまあ一理あるな。そもそも真面目にやったら僕が負けるわけがないのはわかりきったことだ。


「連続で負けたら言い訳できないから流石にな。普通にやれば天笠が僕に勝てる可能性ないから、次からは気楽にやらせてもらうよ」

「そうですよー。私の勝ちの目を残してくださいよー」


 こいつが下手に出てると逆に気持ち悪いわ。どうせまだ何か考えてるんだろうけど、まあいいだろう。

 先ほどまでの終局盤面を崩して、また駒を1つ1つ並べなおす。


「あ、次は私に振らせてください」


 いいよ、と握りしめた駒を天笠に渡す。誰が振ったっていいと思うのだが、天笠は子供のように嬉しそうに渡された駒を盤に振った。


「「あ」」


 表2枚、裏2枚、そして駒が立った。珍しいこともあるものだ。

 表か裏かで先攻後攻を決める振り駒において、駒が重なったとき、盤上から飛び出たとき、立ってしまった時はその駒がノーカウントになる。

 つまりこの場合は表と裏が同数。つまり振り直しだ。


「まあお前は振るなってことだよ」


 むくれた顔をする天笠の眼前の駒を拾い上げて、今度は僕が軽やかに駒を振る。

 振り駒なんてよほど横着な奴ぐらいしか振り直しにはならないからな普通。


「「え」」


 投げた駒は見事に表と裏にはっきり分かれる――ことなく、何の因果か駒と駒がうまくはじき出されて駒が盤上から離れていった。

 ……ええい、こちらを真顔で見つめてくるな! 恥ずかしいのを自覚してるんだこっちは!



―――――――

―――――



 「お疲れ様です」「おつかれでーす」


 あのあと何局か対局して下校時刻になった。僕と天笠は最後に鍵を閉めてくれる部長に挨拶して美術室を出る。エアコンのきいた部室とは一転、急な暑さが脳を襲って視界がぼやけてきそうだ。

 部長は物静かな人だけどとてもいい人で、部室のカギ開けから施錠して職員室にカギを返すところまでいつもやってくれている。部室で僕らが騒がしくなっても何も言わずにいてくれており、感謝で頭が上がらない。


「天笠って部長と話したことあんの? 天笠と部長の絡みってあんまり想像できないけど」

「部長さんですか? あんまり話したことはないですねー。いつ以来でしょー? 入部するとき以来ですかね」


 まっすぐ下駄箱に向かい、靴に履き替えて昇降口を抜けて校門を出る。

 今の時刻は部活が終わった直後だからまだ5時近くのはずだが、やっぱり暑い。

 日差しもきついし、本当に早く夏終わってくれないかな。インドアな僕は外に出たときの温度差で毎回死にそうになっている。


「想像はできないけど、天笠のことだから部長とも繋がりあるのかと。僕みたいな落ち着いた種類の人間にも普通に話しに来るだろ?」

「なんていうかなー、与一先輩は絡んだら嫌そうに反応してくれるじゃないいですか。部長さんってほら、静っていうんですかね? ちょっと悟りを開いていそうというか、絡むと真顔で返されそうというか」


 分からなくもないが、ちょっと僕への扱いが納得いかない。


「そ・ん・な・こ・と・よ・り! 先輩! 今週の日曜日暇ですか?」

「すまん。今週は無理だわ」

「暇ですよね? そうですよねー先輩に用事あるわけないですよねー……ってええ!? あるんですか!? 誰と!? 何故!?」


 驚きすぎだろこいつ。そもそもいくら僕でも家族の用事ぐらいある可能性とか考えないのかよ。……あんまり仲良くないって話してたわ。


「……まあ、今日できた、友達とちょっとな」

「と、友達ぃ」


 やばい。口に出すとちょっとにやけそうだ。


「……まあ3人で遊園地にちょっと行くことになったんだ」

「ゆ、遊園地……先輩、私は夢でも見てるんでしょうか……? 『あの』先輩に友達なんてものが……しかも遊園地だって……いや逆に考えると私じゃなくて夢を見てるのは……まさか!? 先輩、戻ってきてください! その先は地獄ですよ!」


 天笠はズガーン、と背後に雷が落ちたかのような勢いで衝撃を受け、ぶつぶつと意味不明なことをつぶやいている。

 学校前は坂道になっているので、転びそうで危なっかしい。


「落ち着け。もはや何言ってるのかわからないぞ。というかお前僕のこと馬鹿にしすぎだろ。僕にだって友達ぐらいいるさ」

「うわー、なんですかその気持ち悪いドヤ顔。というかマジで驚きです。私以外に先輩に友達なんていたんですね」


 本気でドン引きしたような顔をする天笠。それだけで僕のメンタルをゴリゴリと削っていることを教えてやりたい。鼻で笑われそう。

 あれ?


「――というかお前って僕の友達だったの?」


 しまった、と言った瞬間に思った。

 これじゃ昼間の深路の二の舞だ。


「ナチュラルになに人が傷つくこと言ってるんですかもう。え、その顔はマジですね……というか私が先輩の友達じゃなかったら逆に何だっていうんですか!」

「生意気な後輩」

「ただの生意気な後輩は休日遊びに誘ったりしませんよ。全く、どうせ先輩のことですから初めての友達が出来たー。とか思って今日1日ウキウキだったんでしょうけど、先輩の友達歴は私のほうが先輩ですから。舐めないで欲しいですね」


 お前は何で張り合ってるんだよ。

 

「で、どんな人なんですか? その先輩の新しい友達って」

「……えーとまあ、お前も知ってる奴だ。……三谷だよ」

「はあ? 何言ってるんですか。そういうのいいから早く、って」


 天笠は一瞬目を丸くし、「なるほどそういうことですか」と溜息をつく。


「ホントつまらないですねー、与一先輩。もう私と三谷先輩絶対同じ立場じゃないですか。はー、三谷先輩もかわいそうだなー」

「……言われないと分かんないんだよ僕は」

「とにかくわかりました。三谷先輩、あと3人って言ってたから深路先輩もいるのかな、まあどっちでもいいんですけど。とにかく先輩にもう友達との先約があるなら仕方ないですね。諦めます」


 徹頭徹尾、僕のことを馬鹿にしたような態度だ。そんなにおかしいのかよ。


「じゃあ私とは再来週ですねー。けってーい!」


 天笠は納得したようなことを言った後でも、また勝手なことを言いだす。


「暇だからいいけどさ。どこ行くんだ?」


 自分で口から出てきた言葉に驚く。

 

「メビウスですよーメビウス。この前私たちスポーツ階行く前に帰っちゃったじゃないですか。私あそこ行きたいです」


 ボクシングスタイルを取って僕を威嚇する天笠。普通に申し訳ない。


「だからこの前のリベンジってわけじゃないですが、先輩誘ってもう1回と思って」

「わかったよ。僕のせいでもあるし、付き合うよ」

「よし! じゃ駅こっちなんでさよならー!」

「おーす」


 学校前の坂を下り終わって、大通りに出た僕らは手を振って別れた。僕はこのまま徒歩、天笠は電車だ。僕は大通りを右に曲がって残り徒歩10分の道を歩く。


 1人になるとささやかな憂鬱が鎌首をもたげる。人の視線がある場所は嫌だ、と。

 それを無視できてしまうほどに、すっかり忘れてしまったように、浮ついた心だけが残っている。


 でもどうか、この気持ちのまま。



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