◇23 友達と友達の境界線




 ドアを閉め、狂気的な暑さが滞留していた美術室を後にする。

 話し合うことは終わったので、新作おにぎりの待つ教室へさっさと戻る。早く冷房の下に帰りたい。あとは廊下を歩くだけの辛抱だ。

 足早に先頭を歩く僕の後ろ、深路が目を輝かせて絵の話を三谷に浴びせている。ご愁傷様。それ多分白芸祭までは続くぞ。


「そういえば再来週の日曜日って暇か?」


 話を変えたかったのかは知らないが、スケッチブックを抱えた三谷が曖昧な質問をした。振り返ると、コクリとやや傾けられた視線は僕にも向いていた。

 先週みたいな訳の分からない突発的なイベントを除き、僕に用事などあるはずもない。そんなこと三谷は分かっているはずだ。


「誘いの内容によるわ」

「お、おう。凄いなお前」


 その微妙な反応はなんだよ。面倒な質問に対しての正しい答え方だろ。

 もし安易に暇と答えれば、自分が全く興味のない空間に誘われたり、雑用を押し付けられたりする可能性だってある。かといって暇でないと言えば、付き合いの悪いやつだと思われたり、もしかしたらただの好意からの誘いであったりするかもしれない。

 ……4月になると毎回湧いてくるが、とはいえ僕が具体的被害にあったことは少ない。三谷みたいなヤバい奴を除いてしっかりお断りするから。


 他人のことなんてどうでもいい。そう言って切り捨てられる関係性しか作らなければ、七面倒臭く考える必要がなくていい。そうも言ってられなくなってきているのは……変化ではあるが成長ではないんだろうな。


「私は暇だぞ、三谷。何かあるのか?」

「よく聞いてくれました。これです!」


 そういって僕をよそに三谷が取り出したのは2枚組の何かのチケット。断片的な字とそのピンクとオレンジのような絶妙に派手さを感じる配色は、汗の影響か若干萎びている。

 右に左に振って中身についてのQ&Aでも期待してるんだろうが、中身は簡単に察しがついていた。


「「あー白ノ森遊園地か(だな)」」

「……2人とも分かんの早すぎない? 全然面白くないぜこっちは」


 そりゃ分かるさ。その遊園地どこにあると思ってんだ。


「三谷、僕がこいつと昔馴染みなのは覚えてるよな?」

「? あ、そういうことか。お前ら昔は西白森にいたんだったよな」


 白ノ森遊園地があるのは西白森。つまり小学生までの僕と深路が過ごした場所だ。

 何度も遊びに行ったことがあるが、強烈な印象を残すのはやはり個性的なテーマカラーである。蛍光チックなピンクとオレンジを混ぜたような、名前を付けるならまさに派手色と表現するに相応しい色をしているのだ。忘れたくても忘れられない。


「そのチケットがどうしたんだよ?」

「実はこのチケット、アタシの叔父さんにもらったんだ。前に話したよな? チケット関係とかの会社に勤めてる叔父さんがいるって。あの人だ」


 そんな人いたような、いなかったような。


「で、その叔父さんにもらったって?」

「そのとーり。叔父さんが去年の忘年会で当てたらしいんだわ。それを先週末会った時に貰ったんだ。『彼氏とでも行け』ってさ」

「? 意味が分からない。じゃあ英美と行けよ」


 当然の疑問に、「そりゃあアタシだって英美を一番に誘いたいさ。もちろん。もちろん」と、何かへと言い訳するかのようにわざとらしく何度も、三谷は大きく頷く。ちょっと肩に力入ってるぞ。


「でも事情があってな。あいつすげー嫌いなんだよこういうの。基本的にあいつ遊びに行くとき好き嫌いとかあんま言わないんだけど、その唯一の場所が遊園地なのよ。香奈は理由知ってるか?」


 へえー。エキセントリックな人が嫌がるとはよっぽどの事があったんだろう。流石にそんな具体的なことまでは想像がつかない。

 深路に聞いたのは、同じ中学で英美のことも知らない仲ではないからきっと、と思ったんだろうが、この顔は……何にも知らなそう。今じゃ結構変わったが、そういう周りのことに無頓着な部分は昔のままだ。


 すぐにそんな雰囲気を察した三谷は、返答を待たず答えを告げ――「知らなくても無理ないか。だってこれは――あれ、これ言ったらアタシ不味いんじゃ……」――なかった。きょろきょろと周りを変に何回も見回しながら、そんなことを溢す。

 今更立ち止まるなよ気になるだろ。フリか? 深路の顔も雄弁にツッコミを入れている。


 三谷はぐぐぐ、と本気で苦悶の声を上げているが、自分から言い出したんだぞ、お前。


「ま、まあ詳しくは言わないけど……遊園地に行った時が最初で最後なんだ。あの英美が本気で泣いたのを見たのは」


 結局2対1の圧力に負けたのか、ラインを決めて最低限の情報を自白した。

 なんでそんな気になる止め方すんだよ。男子高校生が号泣する絵面……いやもう怖すぎるな。もっと気になる、という視線には「もう無理もう無理」と言って、腕で大きなバッテンを作って全力で拒絶された。


「――はい、そんなことはどうでもいい! それで、英美が誘えないからお前らに話を持ってきたわけよ。どう、今週末ぐらいに行かないか?」


 勢いで話を吹っ飛ばされた。ま、これ以上三谷を困らせても仕方ない。

 しかし、遊園地とはまた人混みのウザったいところに……。


「僕は別に暇だ。鬱陶しいからあんまり気は乗らないけど」

「私も特に用事はないな。――しかしなぜ私と津島を誘うんだ? チケットは2組だけだし、別に今までどこか遊びに行くなんてことなかっただろう?」


 こいつの意見に乗っかるのは尺だがその通り。それなら部活の友達でも誘えばいいのに。


「だから誘おうと思ったんだよ。だって友達なのに全く遊びに行ったことないだろ? ちょうどいい機会だとビビっときてさ」


 僕ら2人はしっかりと固まった。気に食わないが、深路と思考は一緒らしい。これも三谷の言う「もっと仲良くなりたい」という奴の一環なのだろう。

 だがそこじゃない。聞き間違いでなく、僕の世界と無縁のワードが酔っ払い運転の車のごとくふらっと突っ込んできた。


「ん? どうした?」

「……私たちって、その、ト、トモダチ? だったのか?」


 ものすごく挙動不審だがよくやった深路。何か自分で認めてしまっているように思えて、自分では絶対無理だ。

 言語化に使う語句はそれで合っているのか、僕たち。聞けないし、聞きたくない。


「え、違うのか? なんかそう思われてたと思うとちょっとショックだわ……、えーとまさか与一もそんな感じ?」


 なんとなく、ここで視線を逸らしたら負けだという直感はあった。そして僕にはまだ立場を明確にしていないアドバンテージがある。

 一旦落ち着いて……落ち着いて、よし。

 しっかりと三谷の目を見て話す。


「僕も普通にそう思ってたんだが……どうやら深路は違ったみたいだな。残念だよ」

「はあ!?」


 予想以上に大きい声で正直ビビった。

 でも横は向かない。


「そっか……行きたくないなら別に無理する必要はないぞ、香奈?」

「行くよ!」

「でも友達じゃないんだろ?」

「友達だと思ってるよ!」


 三谷こいつ、遊び始めてるだろ。普段表情を変えない分、混乱している深路は顔に気持ちが書いてあって面白いよな。分かる。


 ……というか友達、友達か。

 『友達』。

 汗ばんだワイシャツの背中が無性に痒くなる言葉の響きだ。平静にしている外面以上に内側が浮足立っている。自分の内面であっても、それを一度言語化するだけで恥ずかしくてしょうがない。


「……あのさ深路」


 くだらないことを口にしようとしたその時、教室のスピーカーから音楽が流れ始めた。疎い僕でもわかるような、最近流行っている歌手の曲だ。三谷がこの前聞いていたのを知っている。

 この曲はうちの学校の放送部の人間が昼の放送の終わりに流しているものであり。


 それを聞いて顔色を変えたのは三谷だった。


「購買行ってもいい? 今日寝坊して昼飯ないからパン買いたいんだけど」


 すでに階段に差し掛かっており、慌てて財布をポケットから取り出しながら1段、2段と僕さえも追い越し降りる。ちょっと危なっかしい。

 そういや、今日三谷は朝ギリギリで教室に滑り込んでいた。僕と同じようにいつもは登校途中にあるコンビニでおにぎりやら菓子パンやらを買っている三谷だが、今日に限っては昼食難民らしい。


「き、奇遇だな私も購買だ。……この時間は不味いな。生きるか死ぬかの分水嶺だ」


 渡りに船だったのか、深路は三谷の発言にそのまま乗っかる。言い出しっぺの三谷が流石運動部といった速さで先陣きっては階段を下りていく――っておい速すぎだろ。


「じゃ、先教室行っててくれー」


 階下から声が響く。ぼーっとしていたつもりはないのに、いつの間にか深路も目の前にいない。ちょうど後姿がもう1つ下の階段へ消えていった。さっきまで乱高下してたはずの感情はどこ行ったんだ。

 そんな2人のスピード感に若干置いていきぼり気味になりながら、後を追う形で僕も階段を降り始める。


 2人が向かった購買、パンはもう大して残っていないだろうな。生徒で溢れかえる段階なんかとっくに過ぎている。買えたらラッキーだろう。


 ……よく考えると『僕らって友達なのか?』なんて聞くようなことじゃないな。



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