◇18 事件はいつだって背後から
次の日。
猫が欠伸し、学生は行き交う。登校中の変わりない日常。
……その片隅、目に見えない部分から鼓膜を削り、不快にさせる街のざわめき。受け流すにはあまりにも粘度が高く絡みついてくる視線。
1人誰かが足を止めるだけで、その場で全員が振り返ってしまいそうな脆さが棲みついていた。
見つかったのだ。不審死体が。
死体が発見されたのは昨日。市内であり、また東白森の隣である西白森の近くらしい。
誰かが東白森の公園から移動させた?――いや、そんなことをする意味が分からない。
加えて僕が死体を目撃したのは、もう1か月も前のこと。自然に考えれば別物であるはずだ。
不穏な空気が流れる現実世界に対し、各所報道機関での不自然な情報の濁され方からか、小規模ながらネット上では異様な高揚感をもって受け止められていた。
四肢が切断されて首がなかった。十字架に縛り付けられて全身の血が抜かれていた。……囁かれている内容はあまりにも荒唐無稽な妄想ばかり。
恐怖以外が交じる視線は非日常的な不快感を引き立てる、はずだ。いつもなら。
それでも、今日もイヤホンと音楽プレイヤーを繋ぎ、眼鏡もかけず、変わらない日常を歩く。
1か月前の夜に目撃したあの光景が、一昨日のらくがきちょうによって強烈に引き起こされた。あの出来事は夢でも幻でもないのだと、今一度突きつけられた。
からの今朝のニュースだ。開き直って緩く認めたつもりが、やはり奥底では信じたくなかった。
公園に確認など行けない。ノートを見つめ直すことだって今はできもしない。
(犯人が、まだ、市内に)
僕だけが分かる恐怖。態度だけでも平静を装わなければ、街の空気に飲み込まれてしまうだろう。
そうなれば……“あれ”を見ている僕は遅かれ早かれ耐えられない。潰される。
そして昨日から頭を離れないことがもう1つ。
――あの死体でないとするならば、見つかった犠牲者は一体誰なのだろうか。
彼女の顔が重なる“誰か”――いや、“誰か”の顔が重なる彼女、という違和感を昨日晴らすことができなかったせいだろうか。平時なら考える方が馬鹿らしくなる妄想の連鎖は、思考を縛り付けていとも容易く重ね合わせたイメージを脳裏に浮かび上がらせる。
いつもは全くやり取りのしない携帯のメッセージアプリを何度も起動した。今日三谷に渡すつもりのUSBの中身がまだ完成していないほどに、何度も。
どんなに確認しても、既読にはならなかった。
今も手に握って開いている画面にも――。
(まさか……いや……)
「おはよーございまーす!」
そんな不安な思考をしていた折、よそ見をしていたらドガッ! と唐突に勢いよく突き飛ばされた。
唐突すぎて何かアクションをとることもできずに「べっ!?」と変な声を出しながら地面に両手をついてしまう。
「なーにフラフラしてるんですか先輩?」
「ア……天笠……」
天笠は当たり前のようにそこに立っていた。
予測していない運動行為に身体が驚き、汗が出るやら、胃の中のものが回るやら……それ以上に頭が混乱してもう自分でも何が何だかわからない。
咄嗟に口から出そうになったのは、安堵の言葉。それを意地で封じ込めた後、次に喉を通ってきたのはこちらににやけ顔を見せる後輩への恨み言。それも何か気に入らなくて飲み込んでしまうと、四つん這いのまま後ろを向いて黙るおかしな男子高校生の完成であった。
……冷静に考えればそりゃそうだ。急速に今まで自分の頭の片隅にさえそんな不安が存在していたことが馬鹿らしく、そしてとても恥ずかしいことのように思えてくる。
「なんですかなんですかー。言いたいことがありそうな顔ですねー?」
「……」
無言で立ち上がって、制服のズボンなどを手で払って歩き出した。天笠なんて奴はもちろん無視したままで。外れたイヤホンをつけ直す。
後ろからおーいとこちらに呼びかける不満げな声が聞こえるが、気にしなッッ!?
また背中にさっきと同じような衝撃が走り、だが今度はギリギリのところで踏みとどまった。
「おまっ、何すんだよ!?」
後ろを振り向くと天笠はふんふふーん、と鼻歌を歌うような調子であらぬ方向を向いている。天笠は人をイラつかせる才能に溢れすぎている。一片財布でも落とせ。
むかつくからやっぱり天笠を放置していたいのだが、そうするとまた後ろからどつかれる気がする。
「いちいち僕を押すなよ」
「えー私何もしてないですよー?」
ぶっ飛ばすぞこの野郎。
こめかみにピクリと動いた感触は絶対血管の浮き出たものだろう。
当の天笠自身はどこ吹く風だし付き合ってられないが――そういえば、こいつに言わなきゃいけないことがあった。
「そういや、この前は悪かったな。途中で調子悪くなって帰っちゃって」
「そんなこと気にしてたんですかー? わざわざ謝られるようなことでもないですよ。……でもそうですね、いいですよ許してあげます」
なんで上から目線なんだよ、という言葉は流石に言わなかった。
その件に免じて、今の怒りは収めてやるとしよう。
「ただ」
「……?」
「また行きましょーね」
屈託のない笑顔だった。ほんとそれだけ。
それだけで暗いものが少し吹き飛ぶ、自分の精神構造の単純さにたいへん感謝した。
「……あとお前自分のそっくりさんとか見たことある?」
「ドッペルゲンガーとはまた渋いですね先輩。同じ顔の人間、世界には3人ぐらいいるらしいですよ」
実物を見てもやっぱり分からなかった。
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