◇17 変わらない日常とちぐはぐ




 あいつと鉢合わせる最悪の可能性を想定し、わざわざ1つ上の階へ。入った男子トイレではどころか誰とも鉢合わせることはなく、スッキリすると幾分かスッキリした。

 微妙に温い冷水に学生気分を取り戻し、ハンカチで手を拭きながらトイレを出る。


 このまま教室に戻ってもいいのだが……4階は1年生の教室があるフロアである。天笠に詫びを言いに行くなら好都合だった。


 と考えていた僕の甘っちょろい考えは速攻で壁に行きつく。天笠のクラスが何組なのかとか知っているわけもなかった。

 1年生のクラスは全部で4つあり、確率で考えると4分の1。片っ端から見て回るのは面倒だ。


「あ、君。ちょっといい?」


 変な噂とか立てられると面倒なので女子生徒はスルー。何人か通り過ぎた後に、背の低い男子生徒を捕まえた。制服に挿されている赤色は1年生の証だった。


「……俺ですか?」


 目的の人物がいる態度と見て不意打ちだったのだろうか、視線はこちらに合わず、泳ぎ、声は上ずっている。

 しかも相手が見知らぬ上級生なので、僕が全面的に悪いと言えよう。「別に君が何かしたわけじゃないんだ」と首の皮ごと口角を精一杯上げてにこやかに――さらに怪訝な顔をされた。失礼だぞ。

 大した用事でもないのだし、さっさと本題に入った方がよさそうだ。


「1年に天笠っているだろ? あいつ何組なのか知らない?」

「天笠……。ちょっと心当たりないですね。他の奴に聞いてみましょうか?」


 思ってたよりクラスじゃ大人しくしてるのか?


「いや、悪いからそれなら自分で探すよ。ごめん。わざわざありがとう」


 男子生徒は、いえいえ、とやはり固い動作で手を振ると、一番近くの教室奥に固まっている友人集団へと逃げていった。

 溜息をつきながら、徒労で不満を訴えてくる首の筋肉を揉む。廊下の壁際に貼ってある掲示物を概観しても、天笠という字は見当たらない。

 フルネームは確か……あれ、なんだっけ……ド忘れした。


(自分で見つけるしかない、か)


 まだ労力を割かなきゃいけないのは面倒だが、ここで完遂できずに帰るのは肌がぞわぞわするから無理だ。性格的に。


 手前の2組。いない。

 西側奥の1組。いない。

 戻ってきて3組。いない。

 最後4組。見当たらんな。

 

 一通り教室を――外からさらっとだが――覗いていく。それらしき姿は見つからない。


 ここまでして、どうやら自分の中に、昨日からの違和感は刺さったままであるらしいということに気が付くのだった。

 直接顔を見て確かめたかった。一体彼女が誰に似ているというのか。絵を描こうとした根本の原因である、なんて単純な好奇心に嵌りきらない思考、感情、モノ。


 購買に行っているのか、トイレか。いずれにせよ昼休みが終わるまであまり時間はない。待ち続けると言うのも何か違う気がするし。


(諦めた諦めた……はい諦めた)


 あいつに限って体調不良、もないとは言えないか。うん、きっとそうに違いない。ともするならば、あいつが部活の日にいない、という珍しいことになるかもしれないな。


 つまさきを階段の方へ、トンカチのように太ももを叩いて直す。天笠への礼と確認はまた今度にする、ことにする。



――――――――

――――――



 教室に戻ると、三谷は僕の席に座って深路と仲良く談笑中だった。

 三谷の前には空になった赤の弁当箱が置かれ、椅子を持ってきて隣でコンビニパンを齧る深路の肩を組んで盛り上がっている。あの女に同じことできる奴が1人でもいるだろうか。

 美人同士の仲睦まじい光景は自然と教室の目を引いて、パッと逸らす人がいるぐらいには絵面として綺麗だ。

 春頃は深路も滅茶苦茶に鬱陶しそうにしていたが、今は無風が如く平坦な表情のまま。もうこれが変わらない日常なのだ。


「おー。長いトイレだったな?」


 しなだれかかったままの三谷は、僕を視界にとらえて眼鏡をずいっと指で押し戻す。実に艶やかでよろしい。さっさとどけ。

 手を粗雑に振って追い払うと、スライドするようにすぐ側、僕の机へすらりと引き締まって長い両足を乗せ座り込む。……別にいいけど。

 僕も椅子にドカッと座るが、邪魔な奴がいるので突っ伏すことはできない。逆に後ろの固い背もたれに体重を預けて天井を仰いだ。


「で、どうだったんだよ?」

「……は?」


 三谷は「だから日曜の話だよ。後輩と出かけたんだろ? 何してたんだよ」と繰り返しに声を大きくする。聞こえているだろう深路はすん、として昼飯を摂る手を止めない。


「別に何もないよ。色々あって誘われたから行っただけ」

「おいおい本気で言ってるのか? お前が人と普通に遊びに行ってること自体が想像できないぞ」


 馬鹿にされている気がするが、その通りであるから何も言えない。

 しかし自分としてもなぜ天笠が僕を休日に誘ったのか、など分かっていないのだ。知らないものを答えようがない。


 ……首が痛くなってきた。回しながら頭をゆっくり元の位置に戻すと、ちょうど右側に座る深路と目が合う。

 声をかけるのはどこか気まずくて、そのままの体勢であー、と声にならないようなうめき声を漏らした。先ほどの石見とのやり取りのせい、と思うのは嫌だった。


「……私はただの昔馴染みだからな」

「ああ」

「…………昔馴染み」

「……うん」


 深路は昔馴染みという言葉が引っかかるのか、連呼しながらこちらをじっと見つめてくる。その目に映るのは悲しみか、いや怒りのような気がする。


「「……」」


 ……じゃあなんだって言うんだ。友達……っていうのもどこか違う気がするし。


 三谷が言った「今仲良しなんだからどうでもいいじゃーん」の言葉にも気まずく顔を見合わせたまま――もにゅ!?


 呆れた三谷の右手に頬を両側から潰される。視線を合わせていた深路は、魚のようになった僕の顔を見た深路は盛大に噴き出す。

 いつだってこんな沈黙を破るのは三谷だ。ありがたく……なくなくもないからさっさと手を退けてもらっていいですか。


「それよりどうだったんだって聞いてるだろー与一ぃ」


 手を外した三谷はまだそんなことを言っている。「ごまかすなよー」って何がそんなに気になるんだ。

 何もない。こいつらに言えるような興味深いことは、何も――いや、1つだけ。


「そういえば、メビウスの現代アート展見に行ったぞ」

「おお流石だな! 私も行こうと思っていたんだ!」


 横から「中身はどうだった? 感想は?」と、質問者の三谷を圧倒する勢いで深路が食いつく。理解なんて及ぶべくもないけど、と前置きしたうえで僕は「分かり合えない素晴らしさってのは、やっぱり良いもんだな」と答える。

 その返答に大げさにも目を潤ませながら、深路は何度も頷く。……どういう感情なんだこいつ?


「アタシの芸術肌は、ランニングで日焼けと一緒に剥がれ落ちちまったからな。言ってることがさっぱりだ」


 腕くみする三谷の腕は、綺麗かつ白い。メインは室内競技だからね。

 世間の大多数へは嫌味にしか聞こえないが――この場にはそれより真っ白の深路と室内生育の長モヤシだけしかいないので問題ない。


「でも最近、その肌が修復してきたらしくてな。アタシ、絵を描いてるんだぜ」と見せる手の横は対照的に黒ずんでいる。それは先日の生徒会室の僕と同じ、黒鉛によるものだろうか。

 たくましい肌だな。最近直射日光を浴びすぎた僕に譲ってくれ。……というか。


「お前、絵とか興味あったっけ?」

「2人が好きなものだぜ。当然だろ」


 茶目っ気のある笑み。加えて生来の晴々とした雰囲気も乗り、日頃誰かを勘違いさせて殺していそうだ。顔と身長だけの僕とは搭載している武装に差がありすぎる。


「そこで頼みがあるんだけど、2人にも手伝って貰いたいのよ! どう?」


 手を合わせる姿に、やはり目をキラキラと輝かせた深路はメロメロだ。本当に目のない奴だな。

 ……どうせそのうち彼女の視線は僕の方に「お前も描くのか? 描くのだろう?」と向けられることになる。先日の心配した表情に嘘はないだろうが、自身の喜怒哀楽がすべてに勝る女だ、こいつは。


(……めんどくさ)


 再び回した首の関節が、コキリ、と内に響いた。

 そこからじんわり、ほんのりと、失くした熱が指先の血管まで回っていく気がした。



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