◇16 変わらない日常と昔馴染み




 キーンコーンカーンコーン。

 4限の終わるチャイムが鳴る。ボーっとしている間に過ぎるものは過ぎており、つまりは昼休み。同時に半分ほどの生徒が学食めがけて席を立ち、教室は一気ににぎやかさを増していく。

 一方で授業にもあまり集中していなかった僕は、解放感とは無縁に未だ模糊とした面持ちで窓の外を眺め続けていた。

 この間に正門から堂々と現れるような奴はいなかった……と思う。代り映えもしない風景に日本史教師の念仏も合わさって終始ウトウトしていたので自信はない。


「お、今日は眼鏡かけてないんだな。コンタクト?」


 窓側へ向けていた顔を頬杖支点に逆へとスライドする。隣の女子と話す声が聞こえたはずの三谷がいつのまにか横に立っている。いつもより微妙に気持ち悪い笑顔と、面白いものを見ています、と反射で光る眼鏡が雄弁に語っていた。


「よく考えたらそんな目悪くないから邪魔になった。……なんだよ」


 指摘されるとなかったはずの気恥ずかしさが浮き上がり、思わずつっけんどんに質問を質問風の威嚇で返す。

「いいやなんでも?」と相変わらず意地の悪い笑みを浮かべている彼女の表情が……なぜか少しだけ停滞した。いつもこちらを正確に捉える視線が、微細に、何かしらの感情で変化していることに気が付いた。

 思わずドキッとするが、なんだよ、と突き放してから質問を重ねるのは躊躇われ、指に触れる毛先を弾いた。


 ――そんな一瞬のノイズなど幻だったかのように。


「久々がっつり遅刻だし、やけに疲れてそうだなお前」


 三谷は「また香奈に怒られでもしたか」と的確に思考をゆさぶり、にやり、として会話は流れていく。


「正直今日はもう休もうと思ってたけどさ……」


 これのせいだよ、と学校が支給するUSBを鞄から出して見せると、あっ、と三谷が声を漏らした。


「ごめん。アタシのせいか?」

「いや、本当はもう作っていたやつを持って来そびれてた。僕が悪い」


 この中に入っているのは明後日の授業で使うスライドのデータだ。任せた三谷が選んだ社会問題のテーマは『音楽の流行と自殺率』――芸術要素も絡めて実に真面目だ。

 持って帰ってもらって、彼女のスライドとくっつけて完成、発表、という流れだ。共有なんて旧時代的な悩みを起こさないぐらいに、今の技術は発展しているはずなのだが……まあ学校教育なんてそんなものである。


 じゃあ、と手を伸ばしてきたところを、自らの手の内に引っ込めて制す。


「もう少しだけ仕上げてから渡すよ。お前明日は部活早く終わる日だったよな?」


 本当は全然やってない。ぶっちゃけ放置してた。

 こんな僕の悪癖などお見通しなのだろうか、平素のまま三谷はりょーかい、とサムズアップし、扉へ向かう生徒を散らしながら自分の机へと引き返していく。


 ……と思ったら律義に自分の椅子を引きずってきて真横に座ってくる。


「ほれ、それじゃ結局疲れてる理由は?」

「……別に特別なことはないよ。慣れないことしたら起きられなかっただけ」


 反射的にあいまいな答えを返すと、身を乗り出してぷすりぷすりと指で肩を突き刺してくる。


 近い。鬱陶しい。美男美女が、と気色の悪い視線がこちらに来るのも勘弁してほしい。

 対応するのも面倒だったが「ただの買い物」と指と一緒に叩き落とした。あと僕だってこんなことで死にたくない。本当に。


「ってことはメビウスだ」

「そ。人多すぎて調子悪くなったんだよ」


 嘘は言っていない。昨日、買い物に出かけて、調子悪くなって帰った。間違いない。

 一言で纏めるには出来事がありすぎるし、態々言いたくないこともある。だから口以外の動作をせずに、平然と言の枯れ葉を放る。

 それをへー、と何やら勘繰る様子で目を細める三谷。


「でもお前がそんな場所に行くなんて珍しいじゃん。まさか誰かのお誘いか?」


 なんて無駄に察しの良い奴だ。危惧したのとはまったくの別方向――けどこれはこれで面倒な予感しかしない。

 うまい答えを探して、無意識に顔を正面へ戻して口を結ぶと、「ほらほらほら。言っちゃえよ」と耳元で囁いてくる。

 別に隠すようなことではないのだ。のだけれど。


「……笠」

「え?」


 ぐ、と一瞬答えに詰まる。その隙をめざとく感じ取ったのだろう三谷の表情は容易に想像できた。


「だから天笠だって言ってんだろ。あいつとの賭けに負けて連れてかれる羽目になったんだよ! お前にもその話1回したよな?」


 向き直らずに出した言葉はやけに早口になる。


「あまがさ? あ、与一がよく話題に出す部活の後輩かー」


 あー、と納得したような感嘆符と「アタシ会ったことないし、全然接点ないわ」言いながら小首を傾げる。


「というかアタシはてっきり香奈と行ったのかと思ったぜ」

「……そんなわけないだろ。僕とあいつはただの、昔馴染みだ」



「そうだぞ。私と津島はただの昔馴染みだ」



 横にいる三谷とは違う声が耳に入った。

 聞きなじんだ凛と通る深路の声。僕の机より後ろからということは、教室の一番後ろ。昼飯を求めていたものとは少しだけ違ったざわめき。

 多くが告げる、もう1人の訪問客の存在。



「へえ。お前らまだそんな感じなのか」



 悪態混じりに「何しに来たんだ」と吐くことも堪え、顔の向きさえ1ミリも動かさない。

 深路と同方向、爽やかな響きを持った声だけで、それが誰か理解していた。


 石見和也。深路の昔馴染みだ。

 不本意だが必然的に僕とも昔馴染みということになる。


 理由を言葉にするのは難しいが、僕はこの男がどうしても好きになれなかった。

 顔、とか、声、とか説明できる要素は本当にない。強いて言うなら全部。それがこの男に対する印象だった。


「別に俺は香奈の生徒会の作業に付き合ってただけだよ。大した用事があるわけでもないし、自分の教室に戻るよ。じゃあな、香奈、与一」


 その場所から離れるような足音と、引き戸の閉まる音が聞こえた。

 再構築を期するならば、奴とも向き合うべきだ。そう分かっていても、できなかった。逆に後ろを向かないよう、正面の虚空を睨み続けることしか。


「与一って石見と知り合いなんだな」

「……だから昔馴染みなんだよ。僕と深路と石見とで小学校からの付き合い」


 空気を読んだか、読んでいないのか、三谷は肩を叩いてくる。妙に三谷への関心がありそうな様子に、思わず頭をガリガリと掻いた。


「逆に三谷はあいつと知り合いなのか」

「部活の関係でちょっとだけな。あいつ剣道部の代表で会計者責任会に来てたから、そこで話したことある。というか……」


 深路と付き合ってるんじゃないかって噂のある、山下以外のもう1人のほうだよ、と三谷は耳元で囁く。……あーそんな話もあったな。

 正直今はそんなことを気にする気分でもなければ、それが恐らく誤りであることを訂正する気力すらない。

 こんな気分なのはあいつのせいだ、石見和也のせいなのだ。


「何の話だ?」

「いやいやいやなんでも」


 深路の謎アンテナがいつものように反応し、突っ込まれた三谷はごまかしの態勢に入る。


 そんな自分の周りで起こっていることへの客観性が、急速に悪化していた。何もかもが遠く、小さく。心の中でひどく暗く、汚いものが溜まり続けている。


 ちょっとトイレに行ってくる、と三谷に告げて僕は教室を離れた。



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