◇13 現代アートは闇の中
本を買ってからその後も天笠の買い物に付き合い、気づいたらお昼時を少し過ぎるくらいになったので、1階のフードコートに向かって昼飯を食べた。席をとるのに時間がかかったが、2人席がたまたま空いたので比較的待たなくて済んだ。
僕が注文したのはざるそば。天笠は本当のところラーメンが食べたかったらしいが、白い服を着ていたため流石に遠慮して海鮮丼大盛にしていた。
「さーて、どうしますか先輩」
「というか、どうする用事だったんだよ。そもそもは」
「ご飯食べたら5階で運動しよっかなー、と思ったんですけどね。ちょっと食い意地張りすぎちゃって、お腹パンパンです」
そう言いながら自分のお腹のところをさする天笠。それでいいのか女子。「それで、何か思いつきませんかー?」と丸投げされても、あんま出歩かない僕に聞くなよ、としか。お前が連れてきたんだろ。
しかし経緯の手前、眼鏡の位置を弄って考えている風を装い――そういえば、と入口の立看板でイベントについて書かれていたことを思い出す。
「なんだったっけな……あー、絵の展示やってるって言ってた気がする。2階で」
微妙に違った気もするけど、確か芸術っぽい風向だったのは間違いない。
――そういえば、叔父さんにメビウスに行く話をした時に勧められたな。「仕事で少し関わっている芸術イベントがやっているよ」とはこれのことだったのだろう。
先日の生徒会室での一件もあり、描くことに対して持っていた忌避感はまだ色濃く残っている。
それでも他人の絵を見ることはずっと好きだ。自分と世界が続いていない作品の鑑賞は、異星人とのコミュニケーションなのだ。理解できなくても、そこに何かしらのやり取りを介在させること自体が楽しい。
「絵、絵ですか……美術ガール……まあいいでしょう、ほら行きましょー先輩」
うーん、と天笠は思案するように腕を組んだと思ったら、顔をぱっと上げてもう僕を急かし始めている。相変わらずいろいろ速い奴だ。
昼時のフードコートの席を占拠し続けることは気が引ける。食べ終わり後に冷水を飲み干し、僕らはすぐに席を立った。
そんなこんなで僕たちが来たのは、展示会が行われているという2階のギャラリースペースである。
家族連れから仲睦まじいカップルまでいて多様だが、比較的空いているためすんなりと中に入れそうだ。美術に興味のある人数なんてそんなものだろう。……さっきすれ違った兄弟もいるな。弟は無邪気にはしゃいでいるけど、兄の方はつまらなそう。だよな。
「へー、絵だけじゃなくて今回の展示は現代アートも展示してるらしいぞ。というかそれがメインっぽい?」
「現代アートってあれですよねー、トイレをそのまま設置して『これはアートです』っていうやつですよね」
「……まあ間違ってはない」
あの作品は作者がアート作品に対して想像力を働かしてもらう意図がちゃんとあって作った、とかだった気がする。名前書いてあるただの便器が芸術作品とはわからんな、と多くの人に思われた時点ですごい作品なのかもしれない。別にそこから何かが発展するとは思わないが、それでいいのだろう。
「最近は制作過程を動画コンテンツにしたりネットミームと絡めたり、旨くやればかなり儲かるらしいぞ」
「元来そんな高尚なものじゃありませんからねー。新たな芸術性ってやつは時代とともになんとやらってことですよ」
厭世的な言い方をしたつもりだったが……あながち美術ガールというのも酔狂じゃないのかな。少なくとも僕よりはずっと素養がありそうだ。
僕には昔から芸術の何たるかなんて分からない。幼少期の漠然とした熱量さえ失った今となっては、それを理解することも無いのだろう。悲観的に言うのなら、その時だって才能ある深路なんかに囲まれ勘違いしていただけなのだ。
受付を通ってギャラリーの中に入る。僕はこのギャラリーに来たのは初めてのことだが、思っていたよりしっかり広いスペースだ。
「天笠はここのギャラリースペース来たことあるか?」
「いえ、ここに来たのは今日が初めてです。あるのは知ってましたけど、意外とちゃんとしてますね」
「僕もそう思う。もっとちんまりしたのを想像してた」
ギャラリーははっきり分かれているわけではないが、絵が飾られている範囲、写真が飾られている範囲、それ以外のものの範囲の3つの展示にざっくりと大別されるつくりになっているようだ。
「先輩も来たことなかったんですか?」
「が、外出するのが面倒で……お前のことだからこういうのも興味があるのかと思っただけ。なんか文句あるか?」
「実は興味あったんですよねー。ただ私がメビウスに来るときっていつもタイミング悪くて何の展示もやってなかったですね。だからいい機会なのでここの展示のレベルを確認してやろうかなと」
まだまだこの後輩の謎エンジンはフルスロットルらしい。色々調子が狂うので、苦笑いを返事の代わりにした。
僕たちはゆっくりと並んで歩きながら作品を鑑賞していく。
最初は今回の目玉であろう、現代アート群の展示だった。良く言えば独創性、悪く言えば実に意味不明といった感じのものであふれていた。どっかの教育番組のような複雑な仕掛けで光をつける装置だとか、顔に仮面をつけた複数体のマネキンが見当違いの方向に浮いているものだとか。
「天笠は美術ガールなんだろ。どうなんだこの作品?」
「ちっちっち。こういうのは山とか森とかに行ってマイナスイオンを浴びるようなものなので理解は必要ないんですよ」
その次は写真のスペースだった。雨上がりの交差点を何気なく撮った写真に、路上に座り込んでカップラーメンを食べている小学生ぐらいの男の子の写真。いつかの大地震のときの被災した家屋の様子を映したものもあった。
「私でも取れそうな気がする!」
「それ一番言っちゃいけないやつだぞ馬鹿野郎」
そんなセンスの欠片もない酷い感想をも垂れ流しながら、理解できずともとにかく目新しいという情報の奔流を楽しめていた。しかし退屈と言わずとも段々慣れてきて、もっとも気になっていた絵画コーナーへと気が逸れていた僕とは反対に、天笠はこの間すべての作品に興味津々だった。
「これ見てくださいよ先輩!」
「ジグソーパズル、か。また懐かしいな」
「先輩って適当なところあるからなー。ずばり、大体どんな絵か分かったら飽きてやめる人でしょ!?」
……そんなこともない。
「お、これは図星だ」「うるせ」
作品名が記された横のプレートには簡易的な説明も載っている。
「えー、タイトルは――『思い出』らしいです。ぼやけた絵とバラバラなピースの形で決して出来上がらないようになっている、だってー!」
「盛り上がるようなコンセプトかそれ?」
「結構面白くないですか? すごく楽しかった時でも、意外と聞かれたら覚えてないことってよくあるじゃないですか……ま、まさかセンパイは思い出なんてもなは欠片もないと……」
「ホントうるせーな! それぐらいあるよ!」
作品の前で「へー」とか「あー」とか「うーん」とか独り言をこぼし、僕に対して「先輩、これどう思いますか?」と聞いてきては僕の返答を意味ありげに聞き流す。この繰り返しである。自分では出てこない視点も交えて作品を鑑賞できたのはそのおかげなので、一概に鬱陶しいとも言えない。
ただ、天笠の声が大きいせいで度々こちらに視線が向くのは勘弁してほしい。
色々見てきたが、特に気に入った作品などはない。それでも随所に何かを感じさせるような作品にあふれているな、と思ったのが正直な感想だ。豊かな感受性と同時に、それを表現できるという才能を持っているのが羨ましい。このような人たちは、どんなものが見えたとしてもそこに意味を感じて、作品に消化できるのだろう。
……その寸法で行くならば、ナニカが見える僕は感受性に満ち溢れてるのかも。
考えておいて自分で笑ってしまった。底意地が悪すぎる。
「なんで立ち止まってるんですか? 早く次行きましょー」
そして僕と天笠は最後の、絵画がメインのスペースに入った。今まで目新しげなものばかり見ていたため、最後に絵画を見るとなにか言い知れぬ安心感がある。
絵画のスペースにあまり人はいなかった。先ほどまでの現代アートな作品群と比べて、見た目のインパクトには欠けているところがあるからか? 僕にしたらむしろ静かで快適「先輩先輩先輩! あの作品なんですけど凄くないですか!?」――どうやらそんなことはなかったらしい。結局天笠はうるさい。
「……さっきも言ったよなあ? 一応他の人いるんだから静かにしろって」
「あっ……すいません。ってそんなことはどうでもよくて。見てくださいよあの作品! 感嘆の溜息しか出ませんよ!」
「だからうるさいって……。お前もうそれ以外の言葉たくさん出てるから」
何かの作品に感動したと言って鼻息を荒くする天笠に引っ張られて、僕はその作品のところまで連れて行かれる。正直、いつも上から目線で話していることの多い天笠が興奮するほど凄いと言う絵に少し興味はあった。どうせ僕には理解不能で、だからこそ極上のものだろうとも思っていた。
「え?」
それは理解不能を軽く転げ落ちていた。
天笠に見せられた作品の額縁の中。
埋め尽くすように、あのナニカが蠢いていた。
「どうですか!? 何かこう、やばそうな雰囲気が絵を見ただけで伝わってきませんか?」
興奮する天笠とは対照的に、内心は混迷していた。とっさに側頭部へ携えた手からは金属製のフレームの冷たい感触を確かに感じる。
どうして、また。
不審がられないように、どうにかして天笠に対しての返答の言葉を絞り出す。今の僕の頭ではそれで精一杯だった。
「……ああ。何か、こう、感じるな」
「そーでしょう? こんなところですんごい作品に出会えるなんて……提案してくれた与一先輩様様ですね!」
「……そりゃどーも」
……ぐくッ。
酷い頭痛で天笠の言葉がすっと頭に入って行かない。目の前の気持ち悪い光景だけに意識が先鋭化していき、集中させられていく。
こんな体験は初めてだった。
ナニカは世界にありふれた存在だ。しかしここまで異常な数のナニカが集まる光景は、後にも先にもあの“死体”だけだった。
なんだ、この絵は。
汗を吸っていたTシャツが急に体の芯を冷やし始める。額から垂れる汗は性質を変え、健在だったはずの膝は笑い、目の前の景色が歪む感覚に囚われはじめる。
絵に見入っている天笠がどんどん遠く――。
「大丈夫ですか先輩? 顔色やばいことになってますよ。熱中症とかじゃないですか?」
「……ぁあ、そうかも知れない。ちょっと休んでも、いいか?」
気が付けば心配そうに顔を覗き込まれていた。
その後すぐ展示会の会場を後にし、1階のベンチで休憩した。少し時間が経ってもう大乗だと告げたが、かなり心配させてしまったようだ。結局上の階へと行くことはなく、少しメビウスの中で休みながら駄弁って解散した。
帰り際、天笠には「今度は上にも行きましょうねー!」と手を振られた。また1つ弱みができてことは、少々頭が痛い。
嘘偽りなく、体調だけはすこぶる快調だった。暑さが収まった分、行きのときよりもと言えるぐらいに。
それでも、目を閉じた瞼の裏にはあの絵の光景が焼き付いていた。意識しないようにするほど、空いた意識の隙間からナニカが溢れ出てくる。
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