◇12 メビウスは大盛況




「結局ここか」

「逆に東白森でここ以外あると思いますか?」


 東白森が誇る大型商業施設メビウス。

 関連区画全域では市内どころか地方単位でも有数の大きさを誇っているらしい建物が、電車に揺られてきた僕らの前に交差点を挟んで聳えている。

 威容を誇るそのからだはピカピカに新しく、完成したのは3年ほど前。東白森市を通る国道に面した土地を大企業が買い上げ集め、1年を超す工事の末にぶっ立てたのである。

 できあがっていく過程は、ちょうど病院暮らしをしていた時期に窓からよく眺めていた。


 母体企業の打ち出している「ここにあるすべて」のスローガンのとおり、年齢、性別、ジャンル、施設の方向性、あらゆるものが揃っている。まったくの力技だがそこには単純かつ奇妙な統一感を生み出し、多くの人を集めている。


 若者にとってもファッション、エンターテイメント、ショッピング、食事のどれをとっても市内では一強状態なのではなかろうか。知らんけど。


「まあないけど……ここ人多くない?」


 信号を並んで待っていた僕らは、目的を同じくする歩行者の集団の中にすっかり取り込まれていた。矢印とPだけ描かれた別棟への案内表示に従って、目の前の車列もなかなか途切れることがない。


 その大量の車たち、につられて天笠は右に左に体を揺らす。……本当は人がいなければ距離を取りたかった。小中学生のマ〇オカートか?


「何を言ってるんですか先輩。この程度で多いなんて東京来たら死んじゃいますよ」

「あいにくそんな都会に行く用事はない」


 そんな僕の気も知らず、やれやれ、と目を細めた天笠がオーバーに頭を振って軽口を叩く。


「天笠は東京出身なのか」

「こっちに来たのは中学生からですねー」


 東白森中なんでもうずっと先輩の後輩ですよ、と指差される。うーん憶えがない。


「実際電車とかすごく不便ですけどねー。こう見えて私って朝弱いので、電車が3分に1本ぐらい来てくれないと遅刻しちゃいますよ」


 聞かれ慣れているのか、言わんとするところを先読みされる。

 昨年の同級生にも東京から来た奴がいて、不便だ不便だ、と口癖のように言っていたな。入学式の時に話したきりだからよくは覚えてはいないが。


「笑って責任転嫁してるけど、お前の遅刻癖は絶対関係ない」

「うゆ、バレてました?」


 僕のクラスは3階の正門正面にあり、窓の外を眺めているだけで遅刻者の姿がよく分かる。こいつはよく2限目にゆっくり登校してくることが多いのだ。

 今日も遅刻したくせに悪びれもせずにこいつ……とか思っても口には出さない。最近までの自分にも刺さるし、愚かな賭けで負けた僕にそんな権利はないのだから。


 信号の色が青に変わる。


「ちなみにこのメビウスの前のこの道路、事故多発の魔の交差点らしいですよ!」

「何情報なんだそれは」


 見通しは結構良さげだが、まあ事故とは得てして分からないものである。

 最近この手のオカルティックな話をよくされる気がするな。


「……ささ。そんなどうでもいいことはおいといて、暑いし早く中入りましょう!」


 僕と天笠はミストの噴き出ている正面入り口を抜けて、建物の中に入る。

 空調のきいた涼しい空気と共に、中の人たちのにぎやかな声がわっと耳に入ってくる。1階入口すぐのフードコートの席はまだ11時であるにもかかわらず埋まりかけているように見えた。


 さすが週末のメビウスだな。時折こちらの顔へ視線が飛んでくるのもあって気が滅入りそうな人の多さだ。1人ならまず近づかないな……。


「目当ての店とかあるのか?」

「んー、まず3階で買いたいものが」


 地下と1階は食料品売り場だ。あと地上5階の内、4、5階が娯楽施設なのは知っている。

 その間の2階3階は店の種類に規則性とかないから記憶が怪しい。

 2階には期間限定の催し物のためのスペースとかあるんだったかな。さっき立看板にイベント情報が書いてあるのを見た。

 3階は服とか眼鏡とかだった気がする。


「小説欲しいんですよね。全巻揃えてるシリーズの新刊が出たんですよ!」


 長蛇の列ができているエレベーターには行かずに、奥のエスカレーターに向かった。こっちのほうがまだ混んでいない。

 「天笠って本とか読むんだな」とほとんど独り言のように呟くと、「あれ知りませんでした?」としっかり拾われる。


「……フフ。将棋ガールとしての姿は表の顔に過ぎないんですよ」


 将棋ガールとか自分で言っちゃうほどは、まじめに将棋してなかったと思うんだけど。

 しかし驚くほどハマらないミステリアス要素だ。ニヤリと笑う姿は、子供がデザートを前にしたもの程度にしか見えない。


「先輩は本とか読まないんですか?」

「読書課題すらギリギリだな」


 最後に読んだのがちょうど夏目漱石の『こころ』だったかな、多分。それも課題の範囲である先生の話に入る前で飽きて、結局ネットから適当にあらすじを拾ってきて感想文を作った気がする。

 天笠は何の含みもなく「なんか勝手に好きそーなイメージを持ってました」と言うが、それ根暗全員に同じこと言ってないだろうな?


「集中力が保てなくて途中で積むからな。で、あれ読むならこっちの続き読まなくちゃ、って考え続けることになるから面倒になった」


 絵を描けなくなってから少しだけ手を出したこともあったが、もう久しく読んでいない気がする。

 自分があまりアウトドアを好む人間ではないと自覚しているが、なんと言うか活字の類はどうも苦手なのである。まず集中できないのもあるし、新しい設定を覚える、という作業が大変で疲れてしまうのもある。

 案外小説以外の方がいけるかもなあ。特に興味関心ないから一歩目が存在しないが。


「それわかります! ですけど、先輩と違って最後まで一気に読むことを誓いにしているので私にはノープロですね」

「なんでちょっと上から目線なんだよ……」


 実はこいつ友達少ない気がしてきた。


 しかし、天笠が読書とは。全然想像できない。


(よく考えたら、僕は天笠についてほとんど何も知らない、よな)


 部活の時に駄弁りながら将棋を打ち続けるだけの先輩後輩関係だ。それがなぜこうして休日に出かけているのだろうか、これが最も分からない。


「ほら先輩辛気臭い顔になってますよ。せっかくかわいい後輩とお出かけなんですからやめてくださいよもー」


 背中を軽く小突かれながら、そんなこんなで3階に着く。


「どこ行くんですか。こっちですよー」


 本屋の場所を知らないので案内図を見ようと思ったが、杞憂だったらしい。

 悠々と進む天笠に付き従って人の流れを進む。

 メビウスに来るのが久しぶりだから、通過する店にも目が行く。服飾に雑貨、文具、眼鏡を作った店と同じ系列の眼鏡屋もある。珍しいところでいえば、ボードゲームの専門店なんてものも。

 どの店にも客がたくさんで、やはり週末という感じがする。


 白森で幅を利かせている文具メーカー、天竺もテナントに入っていて、何とも誰とも口に出さないが瓜2つ。――自分ごとながら、くだらなすぎてびっくりした。

 ……ちょうど赤のボールペンのインクが切れていた気がする。後で予備も含めて2本ばかり買っておこう。


 おっと。

 考え事をしながら歩いていると、唐突に横から飛び出してきた男の子にぶつかりそうになる。その子を避けようと立ち止まると、その後を小さい男の子が追いかけていく。2人の顔はよく似ていて、兄弟なのだろう。


「……いいですよね。兄弟」天笠は走り去っていく子供のほうを見ながら、ふと言った。


「私、兄がいるんですけど、直ぐに遠くに行っちゃって。今でもボードゲームとかもっと一緒にやりたかったな、なんて思うことありますよ」


 その話しぶりは兄弟と本当に仲が良い人特有のものだ。


「先輩は兄弟姉妹いないんですか?」

「……いるにはいる。でも兄弟というか従弟というか、まあ複雑な家庭事情ってやつ」


 バツが悪そうに「あー……すいません」と天笠は目を伏せるが、別に大したことじゃない。


 ちょうど5年前か。退院して叔父さんの家へと世話になり、広夢と初めて会ったのもその時。

 今思えば僕の態度もあまり良くなかったんだろう。間にある心理的な壁はずっと同じものだ。距離感が上手くつかめないまま、立ち位置は固定されてしまっていた。


「でも兄弟なんですから。仲良くしたほうがいいですよ絶対」


 ほんの少し香った気まずさはすぐに消え、ある種押し付けにも似た綺麗事。だが僕にとって天笠がそれを言うのは正しいことであるように感じた。


 唐突に「……ん?」と天笠が足を止めた。


「良いですよねーこの匂い! 私大好きなんですよ!」


 ……僕の周りにはなぜ自分勝手な女子ばかり寄ってくるのだろうか。「新書の香りってなんて言うんですかね?」……うん。やはり真面目なことを感じていたのは僕だけらしい。

 ちょっと心配になるけどこれで上手くやっているらしいから大丈夫なんだろう。多分。


 「あ、ありました」本屋に着いて指差されたのは店頭の真ん前。どうやら天笠のお目当ての商品は相当人気らしい。とある通販サイトでランキング1位になった、んだと。傍らの宣伝ポップがこれまた喧しい字体配色で訴えている。

 店頭スペースには僕たち以外にも手に取っている人が複数いる。本屋にすればそれは盛況と言っていいだろう。


「結構有名な作品なんだな」

「知名度が出てからはミーハーなファンがついちゃって、もうこっちはいい迷惑ですよ」

「だからお前は何目線なんだよ」


 暴走しっぱなしの後輩にツッコみつつ、僕もその小説を手に取ってみる。タイトルは「シャンデリア・ブラッド」という、シリーズ最初の作品らしい。

 作者の名前は聞いたことがないが、周りには同じ作者の作品がずらりと並んでいる。僕が知らないだけで界隈では有名な人なのだろうな。


 天笠はその中でも展開スペースの1番大きな最新作を手に取り、「先輩、小説読まないみたいですけどこれお勧めですよ」と本当に楽しそうに笑う。


「登場人物ばんばん死んでいくんで!」

「その紹介のどこにおすすめポイントがあるんだ……」


 こいつの趣味がもっとよくわからなくなった。



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