◇11 約束の日曜日




「……あっついな」


 日曜日。天気は快晴、風はなし。ここのところ、ニュースは記録的な猛暑であることを耳にタコができるぐらい報じ続けていた。


 ジリジリと照り付ける陽光を避けるように、僕は日陰のベンチに腰かけ項垂れる。

 何も考えずに引っ張り出してきた紺のTシャツとチノパンが汗で貼り付いて鬱陶しく、家から駅までの間の上り坂が恨めしい。最低限固めた髪の毛が崩れていき、眼鏡から頬や首筋へ汗が伝って垂れてくるのも気持ち悪い。


 天笠との約束、昨日伝えられた待ち合わせ場所は東白森駅改札前だった。


 10分前に着いたが、当の天笠は少し遅れるらしい。

 ……呑むべき敗者の苦汁なので奴を責めることはないが、暑くて待っていられないので東口近くのベンチに移動して――絶賛暇している。


 東白森駅前は、バス停も併設されている都合で駅舎から出ると開けた空間が広がっている。それが週末にもかかわらず閑散としている様子は、いつものことながら寂しいものだ。

 おじいさまおばあさま方さえあまりいらっしゃらない。病院は自宅挟んで逆側、学校の近くだからね。


(僕だってこの駅は大して使わないしなあ)


 白森市東白森、という場所の問題ではない。県道沿いに、何でも揃っている大型商業施設があるし、商店街だって大規模なシャッター街化はまだまだ先だろう。学校や大きなスーパーなんかは散在気味だが、住宅地として生活を考えれば決して悪くはない。


 つまるところ問題は“東白森駅”の方なのだ。基本的に駅としての利便性が悪いんだよな。

 地名を代表する風の名前を冠しているくせに、主要な施設系はすべからく駅から遠い。整備もかなり進んできた中心の白森駅からは一応2つ隣なんだけど……次の五池駅の方が乗り換え的にもよく使われている。

 色々と中途半端よりちょっと下ぐらいのところが東白森らしい、のかなあ。


 だからというかなんつーか、天笠がここ集合にした意図はよく分からない。僕は家から学校と同じぐらいの距離だが、あいつの家って駅近なんだろうか?


「……あっついな」


 ……喉、渇いた。

 脳が溶けてきたのか、自分が同じ音を垂れ流す機械のようになってきた。


 見回せどもやはり駅の周りには何もない。今いる東口側に至っては自販機もコンビニも見当たらない。向こう側には……あったっけ?

 ぐるりと回りこまないと反対の改札出口側へ行けないから面倒だが、天笠の来る気配もまだなさそう、か。

 足まで溶けて動かなくなる前にと立ち上がって、駅の逆側を目指して歩きだす。


(――お、あった)


 踏切を渡った駅の裏側。右手前方に見える西口改札を通り過ぎたその奥は高架下のようになっていて薄暗い。活気のない駅周辺と比較しても、人の気配や温もりはまるで感じられない。

 旭日にさらされた地上とは隔絶された虚ろな空間は、傍目からはぽっかりと空いた奈落の大穴のようにも感じられた。


 その淵、とも呼べる手前に目当ての自販機を発見する。

 唯一の手荷物であるポーチの中から折り畳み財布を出して近づく。硬貨を入れて、スポドリと迷ってお茶を買う。念のためにもう1本。お釣りを回収する手間も省けて一石二鳥だ。


 いいかげんのどの渇きも限界だ。戻ってから飲むつもりだったが我慢できない。

 フタは手汗で滑るが力と勢いで粗暴に回し開け、一気に3分の1ぐらいまで飲み干す。のどを通って体の中に冷たいものが入っていく感じが何よりも気持ちいい。


 さて、戻るか。

 戻ったらちょうど待ち合わせの時間ぐらいだろう。


「あれ……」


 後ろを向いたその瞬間に『そこ』にすべての関心を引っ張られる。


(……あの女!)


 驚きのあまりに足が止まる。視線は一点に固定されたまま。


 目の前をちょうど横切った女。はっきりと顔は見えないが、その人物の髪や格好、背丈は記憶の中の「あの」黒髪の女に非常によく似ていた。いや、似ていた、というよりも直感的に確信していた。


 冷たい予感が背筋を通り抜ける。

 川の底から現れる濁った茶色の泡沫のように段々、段々と全身を埋め尽くす。


 ――何か、いや、何を……どうしてこんな……。


 それと同時に、その裏に。言葉では説明のできない感情がこびり付いている。


 何かアクションを取ることも出来ず、スローモーションのように件の人物を追った視界は次第に狭窄していく。

 ……はっ、と気づいた時には女の姿はどこにもない。


「……露店?」


 追った視線は高架下の奈落の方へ。薄暗い中に浮かび上がるように見えていたのは、小さめの白いテントであった。


 狐につままれたように、あまりにもあっさりと“それ”に足を向ける。

 白く見えていたテントは、近づくほどに褪せてくすみ、汚れた実際の体を現し始めた。


 その前には、明らかに統一性のない奇妙な物たちがシートの上に広げられていた。


 意識半分、何の気なしにしゃがみこんで品物を観察すると、映画の殺人鬼が付けていそうなおどろおどろしいマスク、ゴジラの親戚のようなソフビ人形、中学生が修学旅行のお土産で買いそうな金色の竜のキーホルダー……例えるなら文化祭などでやっている中古品のバザーのようなものだろうか。少々独特なことを除けば。

 広げられた売り物から離れたところに真っ白のページが開かれたスケッチブックがあり、そこには人の痕跡が見て取れた。


 テントの中を少し伺ってみるが、少女の姿は影も形もない。露店の周囲を見回してみても、そのような人物はやはり見受けられない。

 見間違えの訳がないんだが……。


「おや、かっこいいお兄さん。なんか欲しいモノでもあるのか?」

「あ、いや、そういう、わけじゃないんですけど」


 店の品物に気を取られていて気づかなかった。いつのまにか店主と思しき、白いシャツの袖をまくった白髪の老人がシートの後ろで胡坐をかいている。

 いや、髪は白くなっているが老人という年齢ではない、か。顔の皺はよく見るとごくわずか。目は開いているかどうかわからないぐらい細いが、言いしれない雰囲気を醸し出している。


「こんなところでなにやってるんですか、先輩?」


 うわっ。


 今度は後ろからいきなり声を掛けられる。びくっとして振り向くと、立っていたのは約束の人物。

 白いTシャツに、裾先の広がった細身のデニムパンツを履き、キャップを被っている。そして何より天笠らしい純粋な、悪く言えば絶妙に間の抜けた笑顔。


「お前、脅かすなよ…… 遅れるんじゃなかったのか」

「いやー申し訳ないです。ちょっといろいろありまして」


 そんなものなのか、と納得する間に「そんなことよりも先輩、こんな変なところで何をしてるんですか?」と当然の疑問が飛んだ。そして答えに悩む暇もなく天笠の言葉は続く。


「なんにもないじゃないですか……って、なんですかこの何かのマニアが売り出しましたみたいな品揃えは。先輩ってこんな感じの趣味がお有りの方なんですね」

「ちげーよ、別に商品はどうでもいいんだよ」


 女が、ととっさに店の奥を指差して続けようとしたが、もちろんそんな姿は見当たらない。それは分かっていたのだが、なぜだか店主の姿すらない。もうどういうことなんだ。


「別に否定してるわけじゃないですって。というかこの商品じゃないなら何に惹かれるんですか、こんな薄暗くて何もないところなのに」


 けど、よく考えれば別にこいつに言ったところで仕方ないことなのだ。


「……先輩、もしかして悩みとかあるんですか? 話半分には聞いて鼻で笑ってあげますよ?」

「いや別に何にもねーから。もし万が一あったとしてもお前だけには絶対言わないわ」


 えーなんでですかー、なんてのたまう天笠は無視する。話半分で聞いて鼻で笑ってくるやつはもはやただの悪魔じゃないか。

 僕はひざの関節を鳴らしながらゆっくりと立ち上がって、少しぬるくなって結露したペットボトルを持って歩きだした。


「おーい先輩、どこいくんですかー。道こっちですよー」


 歩き出した。


「おーいせんぱーい」


 ……だした。


「せんぱーい」


 ……チッ。


「お前がっ! 事前にっ! どこにいくのかっ! 言わないからだろおっ!」


 足を止めて振り返り、天笠につかつかと歩み寄って一息で言い切った。

 結局、僕は今日どこに行って何をするのかを聞かされていない。言われたことは日程と待ち合わせ場所。それと、荷物とかいらないですよー邪魔になるんでー、だけ。


「あれ―、まずどこ行くかって私言いませんでしたっけ」

「言ってねーよ。てかお前、今わざと僕がちょっと歩いてから言っただろそれ……」

「細かいことあーだこーだ言ってないで、早く行きますよー」


 そう言って天笠は僕が歩きだした方向とは逆方向にゆっくり歩き始める。

 ……。

 僕は無言で生意気な後輩の後頭部へとチョップを入れる。


「いたっ。何するんですかもう」


 自分のことを棚に上げてこちらに向けて視線を送る天笠は無視した。

 ふと露店を振り返ったが、やはり店主はもうそこにいなかった。



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