◆10 6月2日のあの日/ナニカの蠢き




 確かここら辺に置いておいたはずなんだけ――お、あった。

 適当に機械・コード類などを一纏めにしているケースの中から、ある白い箱を取り出す。衝動買いしたのに、端子の違いで携帯に刺せず埃をかぶっていた少し高めの有線イヤホンである。箱の中にそっくりそのまま入っていた。

 それを持って部屋を出る。


「晩飯買ってくるけど……なんかいるか?」


 隣の部屋の前を通り過ぎた際に、部屋の中にいるであろう広夢へ声をかけた。が、案の定返事は返ってこない。

 分かってはいるけど、一応ね。どうせ自分で何か買っているだろう。

 ささっと1階に降りて、音楽プレイヤーを掴んでスウェットのポケットに入れる。


 僕もさっさと買ってきてなにか食べよう。もうモタナイ。ゾンビニデモナリソウ。


 玄関で使い古した白いスニーカーを履いて、ドアを開けて外に出る。いつものように財布の小銭入れの中にある鍵を取り出し、施錠はしておく。


 外は帰ってきた時よりいっそう日が沈んで薄暗く、というかもうあと何分もしないうちに辺りは真っ暗になるだろう。この辺りはそんな人通りの多い場所ではないため、家を出たばかりの道は明かりもない。玄関先の常夜灯は少々せっかちながらも仕事のできる奴だった。


 ユーズド感溢れる音楽プレイヤーを右手に、イヤホンコードの先をジャックに差し込む。

 電源が入るかどうかはさっき確認しておいた。暗い中に、背面と同じロゴマークがディスプレイの光で浮かび上がるのを見とめながら、イヤホンを耳に入れ込む。


 さて、どんな曲が入っているのだろうか。唯一入っている『タイトルなし』のフォルダーを選択する。


 ――あれ?


 フォルダーの中には『不明』と書かれた曲が入っていた。しかしそれは1つだけ。

 デフォルトで入っているであろう曲なんかもすべて削除されている。この端末の中の曲を聴きながら歩こうと思っていたから肩透かしだ。


(もしや本当に呪いの類じゃないだろうな?)


 さっきの突飛な妄想が頭によぎりつつ、だからといってこのイヤホンのジャックはスマホに挿すことができない。無音、というのもなにか侘しすぎる。


 しょうがない、と機能欄の所にあったループ再生をオンにしてから、曲を再生する。


 両耳へ流れるそれは、歌のない曲だった。

 落ち着いたテンポで、それでいてとびきりノリノリで、分かるようで分からない掴みどころのないような曲で……夜に出歩くのには最高だ。

 不思議と涙が出るような懐かしさを感じたのはどうしてだろう。


 なにはともあれ、準備万端。

 遠くに見える雲とそれに少しだけ絡まった赤い陽。課題だからと美術の時間に無気力を振り絞って描いたグラデーションのように混沌としていて、お世辞にも綺麗とは言えない。

 しかし熱帯夜の今日は、たまに吹いてくる風がすきっ腹を通り抜けていくのが特別に気持ちいい。それぐらいは我慢するさ。



 近くのスーパーまでは歩いて10分弱。人が通らないような裏道を音楽のリズムに合わせて、僕1人だけが存在する世界で体を揺らしながら行く。人に会うこともなく、ノリノリの気分のままで目的地まで辿り着けた。


 外観は他の建物に比べて圧倒的に光って目立つものだから実に分かりやすい。中は……流石にまあまあの盛況ぶりだな。他人に気を付けながらも音楽は止めず、ささっと弁当のコーナーへと向かう。


 今日の日替わりは……アジフライ弁当か。まあ悪くないしこれでいっかな。あいや、やっぱこっちの新作のコロッケの方にしよう。よし決定。

 もはや空腹は限界近く、悩んでいる時間が勿体ない。経験上、新作買っとけば結局正解。たとえ美味しくなくても美味しくないという新発見があるからな。


 菓子パンやスナック菓子の誘惑を断ち切り一直線に進む。レジではきちんとイヤホンを外してコロッケ弁当を買い、いつもの習慣でレシートを受け取った。

 覚えていないぐらいずっと前から使っている財布は、ぐちゃぐちゃぎっしり。整理も面倒で放置していたら、最近は奥底に眠る謎の固い物が引っかかって上手く入らないことも。

 膨らんだ財布と首に掛けたイヤホンを元の位置に戻し、弁当としっかり貰った割り箸が入ったビニール袋をさげてスーパーを出る。


 ……もう真っ暗だ。

 そんなに長居していたわけではないが、もうすでに日は沈んでしまっており辺りは完全に真っ暗になっていた。

 物凄く明るい場所にいたせいで目が慣れていっそう暗く感じる。

 僕は再度音楽をかけなおして、行きと同じようにゆらゆらと体を風に任せるように歩き出した。そんな格好いい感じではないだろうけども。


 行きとは少し違った道を通り、ちょうど帰り道の途中で古い公園に差し掛かった時だった。


「ういたっ」


 目を瞑って歩いていたら、道路の小さな段差に思いっきり蹴躓いた。

 躓いた拍子にポケットに入れておいた音楽プレイヤーとイヤホンとの接触が悪くなったのか、流れていた音楽がプツンと止まった。


 有線だとよくあるんだよな。イヤホンはともかく機械の方は新しくはないだろうし、しょうがないことなんだろうけど。


 単なる接触不良だろうと思って何度か刺し直してみるが、なぜか一向に音楽は流れてこない。何度も試行しているうちに、スーッと昂っていた気持ちが一気に冷めていく。


(……はあ。まあ仕方ないか)


 それ以上聴くのを諦めてイヤホンをポケットにしまった。



 …………代わりに耳へと飛び込んでくるのは圧倒的なまでの静寂。沈黙。無音。



 感情の落差によってか、夜の闇はより暗い。

 それ以上でもそれ以下でもない、さっきまでと変わらないはずの僕1人だけが存在する世界。見慣れているはずの夜の街、のはずなのに。

 世界が広すぎて、ひとりである自分に恐怖を抱いた。


 まるで何かに警戒を促すかのように、必要以上に研ぎ澄まされた五感がどんどんと頭の中をいらない情報で埋め尽くす。

 なにか、変だ。


(……!?)


 そして目の前の光景に、踏み出そうとした足さえも止められる。

 目の前の壁沿い、公園入口。車止めの逆U字のポールに、いつのまにか『あの』黒衣の少女が座っていた。

 組んで宙に投げ出された足は、切れかけた街頭に照らされて雪のように白く、変わらない黒衣と長すぎる黒髪がよりいっそう際立っている。顔はよく見えなかったが、それだけですぐに先日の少女だと分かった。


「……何なんだよ?」


 心臓が鼓動を打つ速度はいつもよりも早くなっていく。先日通りの強烈な存在感、違和感を醸し出している存在に対して、しかし自分が嫌悪といった類のものを一切抱いていないことに驚く。

 少女は声に対してやはり答えず、ふっ、と軽やかに立ち上がる。


 そしてこちらを向き、――酷く綺麗で感情の読めない微笑みを浮かべた。


 ……分からない。何がしたいんだ。

 混乱する僕を置いて、少女は公園の中へと静かに歩いて去っていく。

 脚は動かず、取り残されたまま。見えなくなっていく背中を目で追い続けることしかできない。


 少女が見えなくなり、しばらくしてやっと自分が握っているビニール袋とその中身の存在について思い出す。原始的な欲求も、もはやどこかにいっていた。


 早く帰ろう、そう思った時だった。



 ――ザ……ザザ……ザザ。



 何かがズレたような、世界のルールが変わってしまったような、感じたことのないような悪寒が体を駆け巡った。


 鋭敏化していた五感の中で、まず初めに違和感を訴えていたのは公園の周りに植わる草木を感じていた嗅覚であった。


 息を吸い込んだ鼻の奥に――こびりつく鉄さびの臭い。


 カチリ。すぐ近くの大通りの赤信号が青に変わる。

 瞬間、曲がった車のフロントライトは僕の周りの景色を一瞬だけ明らかにした。


 そしてコンマ何秒かの後、少女を追っていた視覚が異常をはっきりと捉えた。

 瞬間のうちに世界は固定され、刹那を無限に引き延ばす。


「……はっ、ふっ、はっ」


 呼吸が荒い。

 自分の体が自分でコントロールできなくなっていく。

 視界は大地震が起こっているのかと錯覚するほど定まりを欠いていく。

 辛うじて網膜の奥へと像を結ぶ。

 それがなんであるのかを脳が拒否して受け止められない。

 額から汗が大量に噴き出る。

 オーバーヒートを起こした機械のように頭の中は熱い。

 ただただ呆然と目の前の惨状を見つめることしかできない。



 ――それは『人ではない』、ヒトだった。



 左足。

 右足。

 左腕。

 切断、されている。

 唯一残った右腕の手が握るべっとりと血の付いたのこぎり。

 乱雑に置かれた左手が奇妙なものを描いていた。


 意味が分からない。/見覚えがあった。


 いいや、ちがう。ちがうちがうちがう。

 “これ”はどこか歪で、きもちが、わるい。


 永遠にも思える刹那の中、ヒトの周りから、闇とは違う黒い『ナニカ』が世界に染み出す。

 蠢き、笑い、侵していく。


 通り過ぎていく光に焦り、必死に後ずさりをした足は、固まった逆の足に絡まる。

 浮遊感の中、さらに狭まる視界の奥に、映る人間。


 その像を結ぶことはできずに、すべてが暗転した。



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