◇4 ありふれた一日の教室②
「なんだいきなり。大きな声出して」
「おっ、お前いつ戻ってきたんだよ!」
心臓が忙しないスピードで脈を打つ。うるさいおちつけ。
「今戻ってきた。で? 私の話をしていたみたいだが、何の話だ?」
「い、い、いやいやいや大したことじゃないぜ? ただ……なっ、なあ与一!」
「おい僕に振るなよ!?」
「……?」
深路は何も言わず圧力をかけるように、じいっとこちらを見つめてくる。もろに見つめ合う形になるが、目線というものは合ってしまった方が逸らし難い。
すっと通った鼻筋と、僅かに釣り上がった目元や引き締まった口元。流れるような黒髪は肩甲骨の辺りまで伸び、白くきめ細やかな肌に映える。こちらは指定のネクタイを上まで締め、全体として冷たく厳しい印象が手前にくるが、やはり彼女も顔は整っていると思う。
「何の話だ?」
そして視線を合わせたまま何も言わない僕に対して、深路は先ほどと同じセリフを繰り返す。自分に聴かせられないようなことなのかと、目力は3割増にして。
180以上ある僕や女子としては平均以上の三谷と比べて体躯はやや小さい。が、……ビシビシと感じる圧力は並大抵でなく、背中に冷たいものが流れてくる。
逆にその冷たさが、溶けた思考にもさらなる冷涼さをもたらしたのは行幸だった。
具体的には、無言という最適解を選ぶことができたのだ。
こいつとは小学生の時からの長い付き合いだが、この手の話題は幼く可愛かった(?)僕が弄りに弄りすぎた。それはもう、当時はもっと大人しかった深路にさえも怒髪天させるほどに。
それ以来はそこを掠める何を言っても不機嫌になっていく気がして面倒……というか怖い。
つまりは言っても言わなくてもどうせこいつは不機嫌になるので、僕が言う必要はない。
言う必要はない、はずだ。
深路は黙ったまま何も言わない僕に見切りをつけたのか嘆息し、そしてくるっと三谷の方を向いた。
「三谷」
「あー、実は与一がまたアタシに告りたいらしくてなー。その相談を受けてたって訳よ」
合図を送らずとも、僕と同じようなことを三谷だって理解している、よな? 適当なこと言いだすから思いっきり否定しそうになったぞ、おい。
「そんな話も合ったな。一度振られたのに酔狂な奴だな、津島」
「だから振られてねえっつの。何回言わせんだお前らは」
今度は思わず悪態をついた。経緯分かっているくせに擦りすぎ。冷たい緊張感なんか急にどうでも良くなってくる。……もう放っといておにぎり食べようかな。
「それで?」
「っ……じ、実はそこから与一の恋愛の話を」
深堀された三谷は視線を宙に彷徨わせての苦し紛れ。しかも今度は完全に嘘だ。それを聞いた深路がピクッと小さく反応した気がした。気がしたが……こいつ鼻で笑いやがった。
「嘘にしても笑えないな」
あっそ。僕のセリフだ。
三谷はうーとかあーとか言いながら救いを求めるように視線を動かし、そしてその視線は僕の机の上で止まった。
「あっ、あーそうそうそう! 香奈はどう思うよ。与一のこのおにぎりの具のチョイスについてさ! どう考えてもおかしいと思うよなあ!?」
「おにぎり?」
露骨すぎる話題逸らしにしっかり釣られる深路。しかしなぜか話題の矛先は今まさに僕が頬張ろうとしていたおにぎりへと渡る。
つまり、2人の視線がしっかり僕を向いた。流石にこの状態で食べるのは嫌だし、無視するのも三谷に悪い。助け船、出すか。
「これだよこれ。新商品だって言うからちょっと気になってさ」
「んー? ああ、これどこかで見たことあると思ったが、ポスッターの広告で鬱陶しいほど見たやつだな」
へー。
……ん? 何か聞き間違えたかな?
「私もポスッターぐらいやってるぞ。ほら」
よほど僕の顔に出ているのか、そういって深路は自分の携帯の画面を見せてくる。
そこには確かに、超有名な呟きアプリの画面が表示されていた。
「なん……だと……」
そんな馬鹿な。
こいつが自分のやることなすことをインターネットの海にさらして、『映え』だか『萌え』だか言っている連中と同種?
そして僕がこいつよりも現代社会に乗り遅れた化石人種だと?
……いや、言い訳をさせてもらうと僕だって昔はやっていたさ。でもあれってほらさ、友達多くなかったら大して何もすることないじゃん? そういうことである。
「まあ、私の場合は特に何も投稿してないし、専ら絵を見ているだけだが」
見る専。
なるほどそういうことで。
それならやってない僕と大して変わらないな。はい終わり終わり。
「上手い下手より、人気の有る無しになるんじゃないのか。そういうとこだと」
「ちゃんと探せば結構上手な人もいるぞ。……ほら例えばこの人とか」
そう言って画像の表示されたスマホを見せられる。
「……確かに上手だけど、別にグッとこないなあ。なんかすごいグロいし暗いし。お前こういうの好きだったっけ?」
「この人結構な有名人で、昔の絵は比にならないぐらい凄かったんだ。かなり前にネットから失踪していたらしい」
「へー、なるほど」
「最近新しいアカウントで復活したらしくて、また少しづつ絵を上げているよ。かなり注意しないと分からないが、どことなく以前の自分の絵に頑張って近づけようとして描いている雰囲気がある」
絵を真似る、か。なんかどこかで……あ、ニュースで流れてきたやつだ。
「それって本当に本人なのか? 勝手に学習させてAIで描いてる奴とか、最近よく話題になってるだろ」
「私見では違う、が最近の技術はすごいからな。一方で期間が開けば変わってしまうのは人間として当たり前でもある。今はまだ、この人の絵がどう進化するのか見守って行こうと思う。そもそもこの人の絵の良さは…………」
深路に謎の熱が入って自分語りが始まってしまった。オタクと早口はなんとやら。
仕方ないので三谷と2人でうんうんと適当に相槌を打つ。
「…………とにかくだな。私だって現役じぇーけーということだ。化石人の津島には難しい話だったかな」
「おー、喧嘩売ってるな?」
「実際しばらく体調不良で休んで化石になったのではないのか? 今日も遅刻していたな、お前」
やべ、面倒な方向に話がいきそうだ。そう察した僕は、おうおうやんのか、と腕まくりのポーズを取って誤魔化す。
「して――いらないなら私がもらってやろう」
あ。
横からすっと伸びてきた手に持っていたおにぎりを取られた。
「んむ、ん……んん。なんというか……不味いな。かろうじて吐瀉物よりマシぐらい」
「人のいきなり食っといて感想がそれってどうなんだ」
早々に返却されるおにぎり。いつも通りの仏頂面で平然と言ってのける横の女に対して抗議、というよりは呆れの視線を送る。
視線に気づいたらしい深路は、はて? と首を傾げている。こいつに何を言っても無駄なことはよく分かっている。これはまだ見ぬいつかに希望を込めた視線なのだ。
というか真面目な話題を中断してまでパクるとはそんなにお腹空いてたのか? ……まあいいや。「そういや聞いてくれよ、香奈。昨日の話なんだけどさー」と三谷が昨日の話を深路に始めたのもちょうどいい。さっさと食べよう。
僕はかじられて小さくなった残りのおにぎりを1口でほおばる。間接キス? 食欲に及ぶものなどない。口の中にわさびの辛味とマヨネーズのまろやかさ、そして存在感を少しだけ保ったカルビが一体となって口の中を満たす。
おいしい。やはりこれは当たりだ。
「そういや、どこ行ってたんだ香奈?」
「白芸祭の準備でな。生徒会室に寄る用事があった」
食べているうちにまた話題の方向性が変わる。おしゃべりなことで。
「へー、9月まであと2か月近くあるのにこんな時期から大変だな」
「運動部のお前にはピンとこないかもしれんな。生徒会だけじゃなく、文化部や熱意のある人は活動しているぞ。最近学校をサボり気味のこいつみたいな不真面目を除いて」
指をさされる。うるせ。
「あー、たしかにそう言われるとそうかも。うちの学校、謎に芸術関連へのこだわり凄いから運動部の方が暇かもってね」
9月の白芸祭。とは聞こえが仰々しいが、まあ文化祭のことある。
芸術関連へのこだわりが凄い、と三谷に言われる白森市、そして白森高校。その文化部にいる僕としても無関係な話題ではない、はずなんだけども。
「美術部ってどう? 大所帯だし結構自由にやってるイメージなんだけど」
「まあ個人主義だからな。やる気ある奴だけ参加する形だ。こいつみたいな不真面目を除いて」
再び指をさされる。ほっとけ。
「せっかく2人と仲良くしてるんだし、アタシもなんか絵とか描いてみようかな」
「おお、良いんじゃないか。私にできることなら教えるぞ」
こいつ絵に関わることだとほんと早口だしニッコニコだな。……というか、そもそも美術部って絵描いてる、のか?
いかんせん真面目に部活動をしていたことがないから、自分の部活が何をするのかも分からん。部内に知り合いもほとんどいないし、それに。
「単純に面倒だし」
「「……はぁ」」
話していたはずの2人から思いっきりため息をつかれた。
見なくても分かる。どうせ「またこいつは……」という顔をしているのだろう。
「メンドウ、メンドウってよぉ……口癖になってるじゃんもう」
「自分が嫌なことは絶対やらないからな。津島の性格を端的に表していると言えばその通りの単語だな」
なんて失礼な奴らだ。
変える気がないとはいえ、たまには我慢してるぞたまには。
口の中のものをしっかりと味わって飲み込んでから、僕はもう1つのおにぎりの包みを剥いた。
ネギ味噌醤油コーンだ。
流石に少しだけ躊躇し、せいっ、と食らいつくが米と海苔の味がするだけ。中を見るとまだまだ具は微かにも見えてはいない。
むう。
もう1口食べる。
……あー。うん。これは、ちょっとヤバいかも。
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