◇2 ありふれた一日の憂鬱
雨が降っていた。
雨とも言えない、とても細かい霧。次第に弱まっていくことが朝の時点で予報されていた。
薄雲を透かした太陽が空気中の水滴に、微か濡れた路面に鈍く反射する。道を通る人は少なく、また通る車も前方からくるバス1台のみ。日頃から他人の視線を苦手とする自分にとっては、なかなか快適だ。
雨粒とは不釣り合いなほど大きい傘を広げ、制服を着た男子高校生――僕は普段と変わらない速さでゆっくりと歩いていた。
午前8時15分。1限開始まで15分。
自宅から学校まで歩いて20分強かかるので時間的余裕はない。生徒の姿が見えないのはそのせいである。しかし遅刻の心配など少しもせずに、悠然とした足取りで学校とは逆方向へと向かっている。
目的地はバス停である。このまま歩いておよそ300メートル。地図上で見れば遠回りしているように見えるが、結果的には5分ほど早く着く。
我ながらなんとも贅沢な奴であるが、慣れとは恐ろしいものだ。先日まで続いていた梅雨の時期の頻度は我ながら反省が必要だと思った。
そう、だから学校には間に合うのだ。
しかしそれは丁度今横を追い抜いて行ったバスに乗っていれば、の話である。
……いつかは、と思っていたが、遂にやってしまった。
元よりバスを使ってでも高校に間に合おう、などという発想は自分の内からは絶対に出てこないものである。遅刻すると面倒なことを言ってくる同級生が、それより面倒なだけ。
口元を傘の持たない方の右手で覆って、ふう、と溜息混じりに細く息を吐く。息が眼鏡を曇らせ、湿気を含んで重く垂れた前髪を軽く揺らした。
白いモヤはすぐに消え、視界も晴れる。映るのは薄暗い曇天と、いつもと変わらず何かが欠けた世界。
世界は世界で。目に見えるそれが全てで。それなのに、マンメイドの作品のようにどこか歪で、足りない何かを求める感覚は止むことがない。大人になってしまえばすべて解決するだろう、そんな何かを。
どこかの偉い人が言っていた。人間が認識する世界とは、環境とは自らの内面の鏡である、と。
であるならば、もとより自分にも決定的に欠けているものがあるのだろう。
自覚している。でも何が足りないか、僕には分からない。
こういったえもいわれぬ無駄な客観性こそが、年長者が嬉々として批判するゲーム感覚という奴なのかもしれない。最近の若者は……から始まるアレであるが、僕は別にゲーム好きでもない。最近のゲームも、人生も、すぐにルールが変わるから余計なことを考える必要に迫られるから。
――まったく。脱線して余計なことに頭回してしまった。
今抱えている嫌な欠落も、どうせ時間が解決してくれると祈りながら、ただ世界の潮流に流されているぐらいがちょうどいいのだ。
経験、責任、そして傷――すべて好きな奴だけ負っていればいい。些末な引っかかりに余計な思考を重ねてしまうのは悪癖でしかない。
……さて。
小さくなっていくバスの姿を認めた後に、自分が今まで歩いてきた方向へ振り向く。
(これ、引き返さなきゃいけないんだよな……)
学校に行かない、という選択肢は取れない。もっと面倒なことになるから。
冷静になると、我ながらポエトリックに自己正当化をしていたものだ。恥ずかしさの前に虚しさが買ってきたぞおい。
はあ。
――そんな、ありふれた憂鬱な1日の始まり。
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