サマー・リマージナル・サマー

津上座

◆1 とある夏の日




「全く、香奈はこんな暑いのによくあそこに行こうなんて思うよね」

「いい外出日和だろう? 日差しも緩くてそんなに暑くない。“年がら年中エアコンの効いた室内に居たら抵抗力が下がって体に悪い”って校長が言っていただろう」

「いやあの校長の話なんか聞いてないから。当たり前のことのように言うのはやめてよね」


 人すら溶かすような炎天の下。セミの大合唱はどこか遠く聞こえ、脳みそが溶けだしているのだろうか、と思わず頭をさする。


 遊園地の裏山にある、自分たちであつらえた秘密基地へ。僕らは緩く続く坂道を上っていた。


 歩きながら和也は香奈にぶつぶつと文句を言っているが、分からないでもない。炎天下での強行軍、その回数は7月だけで10を超えていた。それぐらい、皆あの場所を気に入っていた。

 しかしそれはそれ、これはこれ。特別だとは言っても真夏の山に何度も何度も……。実際に行けばすぐに分かる。暑さで死ぬ。


 今回こそはと持参した団扇であおぎ、あおぎ、あおいで、あおいだ。生暖かい風が通り抜けていくだけで、読んで字のごとく焼け石に水という奴だった。


 僕と和也は完全に暑さにやられきって、まるで百鬼夜行の動く死体のように顔から生気を失っている。

 秘密基地へと続く坂道を歩いている……。

 セミは大合唱している……。

 和也は文句を……。


 何か、違和感が。


 1人だけ元気すぎる香奈は、和也の小言を無視するようにどんどんと先陣きって歩いている。そんな香奈に腕を引っ張られている由香さんの顔は見えないが、多分僕らと同じような表情をしているだろう。南無三。


「〇〇、大丈夫か? 生きてる?」


 そして〇〇は集団の最後尾を歩いていた。

 だがさっきから雰囲気が少し変だ。心ここにあらずといった感じでボーっとしているし、僕の声に対する反応もどこかおぼろげで生気が薄い。


「……ん? ああ生きてるよ与一。ちょっと暑さにやられそうだけど」


 そんな感じで返答はしたものの、やっぱり〇〇は浮かない表情のままだった。

 あまり丈夫でないのだから、辛いなら山へは来なくてもいいと毎回言っているのに。


 返事に反応しようとしたとき、「あー!!!!」ととてつもなく大きな声が耳元で暴れた。


 暑さに加えてのダブルパンチに脳はグラグラ。ノックアウト寸前。考えていたことは全部吹っ飛ばされて、本当のゾンビのようにゆっくりと隣を向く。


「与一、団扇持ってるじゃん! それならちょっと貸してよー! もう私暑くて死にそうなんだけどー!」


 何かを言う前に僕の団扇は何者かに勢いよくひったくられる。

 声を上げる間もなく、下手人は奪った団扇で腕力に任せて仰ぎだす。当然、被った帽子は風にあおられてふわり――――、あ。



 が。と。



 ぐにゃり、と世界がぼやけて消えた。



 唐突に何もない空間に放り出される。先ほどまで世界を作っていたはずのものは白く煙のように漂うばかりで、何も見えず、何も聞こえない。


 そして次の瞬間には全く違う風景が、世界がそこには形作られる。

 辺りを木々で囲まれ、『僕』の周りに人は居なくなっていた。


 晴天、静寂、生木。

 視覚、聴覚、触覚。それぞれから伝わる情報に混乱こそすれ、見慣れたこの場所が遊園地の裏山であることはすぐに想像がついた。

 どうして、と考える暇もなく事態は進む。


 どうやら『僕』は歩いているらしかった。らしいという表現が適切だと思ってしまう程に、体と思考は文字通り繋がっていなかった。

 この体が津島与一、自分のものであることは理解できる。だが一体、それを操れずにただ流されるまま世界を観測するだけの僕はいったい何者であるのか。

 その意思に反して足は動く。置いてきぼりにされる思考へ微塵も配慮せず、徐々にその動きを加速し始める。


 妙な胸騒ぎだけがしていた。

 このままでいたら、何かとんでもないことが起きてしまうような。

 それでも当然のように目を塞ぐことができない。背けることすらできない。


 強烈な日差しの中で、自分だけどんどんと汗をかいていく不快感は、スティックのりで即席に張り付けられた紙のように、心の表面にだけ。

 この場所にいるのに、この場所にいない。歩いている『僕』と、もうひとりの僕。まるで違う人間の感情が混ざりこんでいるような。


 そうして流されるまま歩き続けた。

 『僕』と僕はどちらも同じ気持ちを持っていた。

 『僕』は与えられた点と点だけを結んで最悪の場面を漠然と思い描いている故の不安と胸騒ぎ。――僕が感じているのはこの先に何が待ち受けているのかを分かってしまうからこその恐怖だった。

 いや、おかしい……? 記憶の底だと思っていた場所の下から、『知っている』はずの記憶が零れてくる。


 『僕』が足を止める。

 周りの景色は僕の記憶にも新しい。既に気が付いていたが、この道は回数を数えるのが馬鹿らしくなるほど通ったことのある道なのだ。それでも、この場所の、この道のりのあまりの整い具合に身震いを覚える。


 そこには既に先客が来ていた。

 来ていた、というよりも、いた。

 埋め立て直された記憶の底の底。脳に刻み付けられて離れないその姿が目の前にあった。


「……っ」


 衝撃。そして断裂。

 僕と『僕』の間に裂け目が生まれ、乖離し、浮遊が始まる。

 口の中の水分は当の前から干上がっていて、思わず喉の奥が奇妙な音を立てる。


 赤。

 目に飛び込んできた光景から掬い取れる情報はそれだけ。

 つい先ほどまで『僕』の隣にいた人物が、目の前に転がっていた。

 切断され、地面に乱雑に転がされた四肢。唯一残った右腕の手は血の付いたのこぎりを握る。伸ばされた左手の人差し指の赤く濡れた指先が、文字か図形か、謎の模様を地に刻んでいた。


「……」


 1歩違えば魅入られ、狂い堕ちてしまいそうなほどの異様。

 『僕』は絶叫を忘れ、存在そのものを疑うほどにひたすらそれへと見入っている。あるはずのない既視感を覚えながら。


 観測者である僕。そうでしかない僕。

 光景を客観視させられているだけの状態から、さらに浮き上がっていく。既に目下に映る津島与一の体も、秘密基地の残る遊園地の裏山も、白森市も、小さく、小さく、そして薄れ――――。




 それは最近よく見る、とある夏の日の夢。

 目を覚ます僕は何も覚えてはいないが、確かに同じ夢を見たという奇妙な既視感が、いつも残っている。



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