第58話 SSS

 

 暗い地下。

 水滴が落ちる音以外、何も聞こえないその牢獄に彼女の姿があった。

 彼女は鉄の首輪をされ、そこから繋がる鉄の鎖は壁へと続いている。

 手足にも鎖が繋がれており、満足に身体を動かすことは出来ない。


 彼女が捕らえられてから約1週間が経とうとしていた。

 彼女が人と接するのは、1日2回の食事を与えに来る衛兵と、2日に一度身体を洗う為に現れる水魔法使いだけだ。

 もちろん会話はない。

 ただパンとスープを渡され、無言で水を浴びせられるだけだ。


 人間の精神は非常に脆い。

 なんの希望もないこの牢獄でそんな扱いを受けていれば普通は壊れてしまう。

 だが、彼女にはどうしてもやらなければならないと決意していることがあった。

 それが彼女をギリギリのところで支えている。


 彼女は今日もそのことだけを考えていた。

 それは叶わないかもしれないが、唯一叶うとすれば自分が処刑される時だろうと彼女は理解している。

 だから、それまでは死ねない、死なないと決めた。


 彼女は特に罪を犯した訳ではない。

 確かに殴り掛かろうとはした。

 しかし、ある人物の顔が思い浮かび、その拳を引いたのだ。

 だが、その場面を運悪く衛兵に見られ、彼女は捕まってしまった。


 既に世間では、彼女は人を殴った犯罪者として扱われている。

 これは殴られそうになった家族の母親が、子供を救う為に嘘の証言をしたからに他ならない。

 再び同じことが起きたら、という恐怖からの行動だった。

 そしてなにより、この王都ケルトで彼女が無能だと知らぬ者はいないのもその原因の1つだろう。

 何故全員が知っているのか。

 それは勇者がそう言ったからである。


 彼女は勇者に連れられ、5大国家の1つであるケルトまで来た。

 何故勇者が彼女をケルトまで連れて来たのか、彼女には遂に分からなかった。

 しかし、彼女にとって重要なのはそこではない。

 彼女は奪われたのだ。

 文字通り全てを。

 そして、無能となったのだ。


 だが、それすら彼女にとってはもうどうでもよかった。

 それよりも自分がしたことを悔いていたから。

 自分がそうなって初めて彼女は理解した。


 自分の行いの幼稚さを。

 自分の行いの非道さを。

 自分の行いの悪辣さを。

 自分の行いの愚かさを。

 自分の行いの無能さを。


 死んでいるかもしれない。

 けど、生きているかもしれない。

 彼が生きていれば伝わるかもしれない。

 そんな考えを何度も繰り返した。


 死んでもきっと、自分は地獄に行くだろうとからと。

 死んでいれば、きっと天国にいるロードには会えないだろうからと。

 だから、彼女は今日もそれを口にする。

 届くかは分からないが、その言葉だけは死んでも忘れないように。


「ロード……ごめんね……」



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 オリンポスには続々と各国の王達が集まっていた。

 それに伴い、護衛の為の軍隊や、高ランクの冒険者達も続々とオリンポスに到着する。

 オリンポスの町は堅牢で巨大な壁に囲まれており、中に入ることが出来るのは4つの門だけであった。


 そこには厳重な警戒が敷かれ、町に入ることが許されるのは特別な許可証を持つ者のみ。

 更に各国の王ですら隅々まで身体を調べられ、魔法を無効化する術式により、変身魔法や掌握魔法などの催眠にかかっていないかまで確認された後、ようやく町に入ることが許される。


 その為、町の外には中に入れない各国の軍隊が所狭しと並んでいく。

 中には小競り合いを起こす国々も現れていたが、それはこのオリンポス会談ではいつものことだった。

 ある種風物詩的な、祭りのようなものだ。


 中に入っても厳重な警戒は続く。オリンポスの町の中にも壁で仕切られた区画があり、城があるその区画には転移魔法を封じる術式が張り巡らされていた。

 そこに入るにも再び厳しい検査を受けなければならず、入れる者は更に限られる。

 そうして何重ものチェックを受け、ヴァルハラ大陸に於いて最大を誇るオリンポス城の中に続々と王達とその護衛が入っていく。


 そして、そのオリンポス城のある一室に、この世界最強の10人が集まっていた。

 彼らに序列はない。それぞれがそれぞれに最強だった。

 ただ1人だけが勇者と、そう呼ばれているに過ぎない。

 何故ならその名前が必要だから。それ以外に理由はない。


 そして、今の勇者を決めたのは、彼らでも世界に生きる人々でもない。

 バーンがロードに言ったように、この世は綺麗なものだけではなかった。

 だが、もちろん彼もそれだけの力を持っている。

 だからバーンはそれでよかった。

 ロイの中に、薄っすら見える邪悪に気付きつつも。


「何年振りかな? このメンツが集まるのは」


 10人が長机を挟んで5人ずつ座り、沈黙にも飽きた頃、彼らの中でも一際巨躯の男が口を開いた。

 彼の名はオルグレン。

 冒険者ギルドにおける最高責任者、通称グランドマスターである。

 齢50を超え、その頼りになる風貌と優しい性格から、冒険者達や民衆からは"お父さん"と呼ばれ親しまれていた。


「お父さん僕眠いよーお部屋戻っていい?」


 ふざけてそう答えた彼の名はディー。

 肩まで伸びた黒髪を後ろで束ねており、非常に整った顔をしている彼は一見すると好青年である。

 しかし彼はこの世の何よりも女性が好きで、ついたあだ名は"最強の女たらし"。

 流した浮名は数知れず、流させた涙も数知れないという罪深い男である。


「お前にお父さんって言われるとゾクッとするからやめてくれ……お前にだけは娘をやりたくない」


「まったまたぁ……俺、一途だよん?」


「うるせーぞど変態。女に刺されて死ね」


「おい……ありえるからやめて?」


 ディーに辛辣な言葉を掛けた茶髪の彼はズィード。

 ディーとは幼馴染で旧知の仲である。

 口は悪いが人情に厚く、ボヤきながらも困った人を救うことで有名だった。

 しかし、自分のこととなると途端に面倒臭がり、完全な駄目人間になってしまう。

 そんな性格と彼が使う魔法から、ついたあだ名が"無気力な英雄"。


「オルグレンのおっさんさ、早いとこ議題言った方がいいよ。じゃないと終わんねぇから。この馬鹿2人は」


「バーンくん? 何言っちゃってるのかなぁ?」


「バーンてめぇ……この人間の形をした性欲と俺を一緒にすんな」


 因みにこの2人はバーンとも親交が深く、今でも定期的に酒を酌み交わす仲である。

 全員25歳と年齢が同じだったこともあるが、なんとなく3人は気が合った。


「バーンの言う通りだな。じゃ早速……って、おい起きろヴィヴィアン!」


「んがっ!?」


 机に突っ伏して爆睡していた細身の女性が慌てて立ち上がった。

 メガネを掛けた目は半開きで、口元から耳にかけてまでよだれでべたべたになっている。

 そして、その耳は細く長く伸びていた。

 彼女は王族の血筋を引く、エルフ最強の魔法使いである。


「起きてますよわたくしは! わたくしは起きてますよ! まったく……起きてますよわたくしは!」


「分かった分かった……そのまま立ってなさい」


 オルグレンにそう言われ、彼女は立ったままムスッと口を膨らませ腕を組む。

 だが、次の瞬間には再び瞼が下がり、彼女はうとうとし始めていた。

 言うだけ無駄だったとオルグレンが頭を抱えるのも無理はない。


 ヴィヴィアンはどこでも眠る。

 風呂に入っていようが、食事をしていようが、それが戦闘中でもお構い無しだった。

 彼女は生きた22年のほとんどをそうやって過ごしてきた。

 それ故に、ついたあだ名は"眠り姫"。


「楽しそうなのは結構ですが、早くしてもらえますか? 時間の無駄なんで」


「まーたそんなこと言って……そんなんじゃ彼氏出来ないぞルカちゃん」


「う、うるせぇ……です! ほっといて下さいよ! というか気安く愛称で呼ばないで下さい!」


 ディーに気にしていることを言われ、つい激昂してしまった彼女の名はルッカルルカ。

 歳は20。見た目は水色の短い髪をした色白の可愛い少女なのだが、実は非常に血の気が多い。

 そのせいで彼女の見た目に惹かれて寄ってきた男性は彼女の本性を知って去っていく。


 今はなんとか敬語を使っていたが、完全にブチ切れてしまうと見た目とはかけ離れた恐ろしい言葉遣いになってしまう。

 そんな彼女についたあだ名は"爆怒の妖精"。

 因みに、そう呼ばれるだけでキレる。


「おい……くだらねぇ話が続くんなら俺様は帰るぞクソ共」


「今話すから落ち着け。あと、机から足を下ろしなさい」


 悪態をく彼の名はドラグニス。

 歳は30。赤い髪に赤い服を着ている彼は、ルッカルルカとは違い燃え盛る激情を最初はなから抑える気などない。

 強さに裏打ちされたその言動に異議を唱えられる者は、この部屋にいる同じ力を持った彼らくらいだろう。

 誰とも馴れ合わず、誰とでも距離を置く孤独な男であるが、ただひたすらに強さを求めるその姿は純粋そのものであった。


 彼は自分の為に戦っていたが、結果助けられた人々は非常に多く、また、特に見返りも求めないことから実は意外と人気が高い。

 そんな彼は人々から、尊敬と畏怖の念を込めて"逆鱗の王"と呼ばれていた。


「クソが……わざわざ来てやったんだから俺様の時間を無駄にすんじゃねぇよクソが」


「……あいつ今"クソが"って2回言わなかった? だっさ!」


「殺す……!」


「ディーもドラグニスもやめい!」


「ディーさんが黙れば解決ですわね。ということで死んで下さいお願い致します」


「相変わらず冗談エグいなぁ……はは……」


「あら、本音ですわ」


 にっこり微笑みながら毒を吐く彼女はベアトリーチェ。

 24歳。美しい黒髪を腰まで伸ばした絶世の美女であり、豊満な胸を限界まで露出しているその姿は世の男達の憧れであった。

 しかし、それはあくまでその容姿のみの話であり、その証拠にディーですら彼女には手を出さない。

 美しい声で、綺麗な言葉で、そして麗しい顔から吐き出されるその猛毒は、容赦なく男達の心を抉る。

 故に彼女は"地獄の女神"と、そう呼ばれていた。


「だっはっは! ディーが黙った黙った! ざまぁねぇな!」


 ベアトリーチェのおかげで静かになったディーを見て、腹を抱えて笑う彼はヴォルクスファング。

 オルグレンとは昔からの知り合いで歳も近い。

 小柄なドワーフの中では身長170センチと大きく、立派な髭を蓄えた彼の見た目は非常に強面である。

 しかし、実は愛嬌の塊で、気さくでおおらかな性格により、誰とでもすぐに打ち解ける彼の人気は高い。


 ドワーフ最強と呼ばれる男であり、怪腕から繰り出される一撃必殺の斧が彼の武器。

 小細工なしの真っ向勝負で彼とまともに打ち合えるのはバーンくらいなものだろう。

 非常に正義感が強く、誰かを護る時こそ彼は最大の力を発揮した。

 また、打ち抜いた敵が粉微塵になることから"抹消の守護者"と呼ばれ、本人もそれを気に入っている。


「うるせーヴォルクスファング! 俺の傷口に塩をすり込むな!」


「だっはっは! 女のケツばっか追いかけてんだからよ! たまにはケツでぶっ飛ばされりゃいいのさ!」


「馬鹿馬鹿しい……俺様は帰るぞ」


「あらあら……全員黙ればいいですのに」


「あーもう……みんな静かにしてよ……」


「ねぇ、みんな。そろそろ真面目にやろうよ」


 瞬間部屋の空気が変わる。

 全員が彼を睨みつけていた。

 しかし、彼はその視線を平然と受け止める。


「さ、始めよう。SSSランクの会議をさ」


 そう言って、ロイは笑った。

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