第44話 アスクレピオス

 

「行くぞぬしどの……雨が降っていたのは、僥倖であったな……!」


 その瞬間、全ての雨粒が空中で動きを止めた。

 先程まで激しく建物を叩いていた雨音は止み、聞こえるのはティアの唸り声だけだ。


「こ、これは……!?」


「ふふ……我が力は、全ての水を操る力なり。少々痛いかもしれんが……まぁ堪忍せい!」


 トライデントが右腕に持った槍ごと身体を捻る。

 その回転に呼応するかのように、空中で静止していた雨粒が一斉にトライデントの切っ先に集約した。

 三又の槍を中心に、集まった膨大な量の水が凝縮され、小さな小さな水の粒へと変わる。


「古の人間達はこの技を見てこう言っていたよ……"海竜の逆鱗に触れた"とな!」


 刹那槍を突き出して放たれた激流が空中にいたティアに直撃した。

 細身の槍から繰り出されたそれは、まさに竜のように巨大な胴体をうねらせながら突き進む。


「うおおおっ!?」


 近くにいるだけの俺にすら放たれたその衝撃が伝わってくる。

 その直撃を受けたティアだったが、練り上げた膨大な魔力でそれを受け止めていた。

 しかし、全ての力を防御に回しているのだろう、段々と空中から地上へと身体が下がり始めている。


「うぎああああああああああああああああああああああ!!」


「ほうっ……加減しているとはいえよく耐える……! ぬしどの急げ!」


 俺は激流の横を走り抜け、ティアの下へと辿り着いた。

 今のティアに、お母さんのことを想って泣いていた少女の面影はない。

 なんとしても……本当の彼女を取り戻さないと!


「ティア! もうやめるんだ! このまま力を使い続ければティアが死ぬ……!」


「う……るさい……! 殺すんだ……お父さんを殺した奴を……お母さんを殺した奴を……!」


「馬鹿野郎!! お母さんは死んでないっ! 何の為に今日まで生きてきたかを思い出せっ! お母さんと……未来を生きる為だろ!」


「お母さんとの……未来……ぐうっ……未来なんてない……! お母さんは殺され……!」


「お母さんは死なない! 俺にはお母さんを治す力がある! お母さんが助かった未来に、お前がいなかったら意味が無いんだよ!! 思い出せ……! お前は……何の為に……誰の為に! 今日まで耐えてきたのかを!!」


「ぐううっ……! 私……は……お母さんと……!」


「ティア、お前の気持ちは分かる……けど、お前の未来はこれから始まるんだ! 辛いこと、悲しいこと……それだけで終わらせはしない! 思い出せ! 大切な人は……お前が愛する人は……今確かに生きている!! ティアと……未来を生きる為に!!」


「わた……私……ロードさっ……あああああ! お、お母……お母さんと……生きっ……!」


「ティアアアアアアアアア!!」


 振り返ると、レヴィに支えられたティアのお母さんがそこにいた。

 身体を蝕む毒により、声を出すことすらままならない筈だ。

 しかし、その叫び声は何よりも大きく、そして……何よりも強いその魂の叫びが、ティアの表情を変えていた。


「お母……さん……? お母さんっ!! 私っ……許せなくて! 許せないの!! どうしたらっ……私っ私……!」


「ティア……私の願いはただ一つ……あなたと一緒に……! それだけでいいっ! ティアがいなきゃ嫌だよ……? ティアがいなきゃ……ティアと一緒に私は生きたいっ!」


「お母さん……お母さんっ! 私もお母さんさえいればいいっ……! うっうっ……お母さんがいなきゃ嫌だよぉ! お母さん……ずっと一緒にいてぇっ!!」


 その瞬間、海竜は数多の水飛沫へと姿を変えて霧散した。

 キラキラと煌めくその飛沫しぶきは……2人の身体を支えるように優しく空中に漂っている。


 歩き出そうとしたティアの膝が折れかけたが、ぐっと踏み止まり、今度こそお母さんを見つめて歩き出した。

 よろよろと弱々しい足取りだが、それでも確実に大地を踏みしめ、1歩ずつ……世界で一番好きな人に向かって歩を進める。

 お母さんもまた、毒に侵された身体で必死に足を出し、2人は泣きながら互いを求め合う。

 そして遂に手が触れると、2人は強く抱きしめあった。


「ティアっ……!」


「お母さんっ……!」


 俺は込み上げる涙を抑えられなかった。

 もう誰にもこの光景は奪わせない。

 2人の未来は……俺が守る。



 ―――――――――――――――――――



「ありがとうトライデント……君がいなけりゃやばかったよ」


「ふふ、役に立てたならよいのだ。しかし、親子の絆とはこうも美しいものか……わらわも子が欲しくなったわ。ぬしどのとの子……」


「トライデント様? お疲れでしょう? どうぞごゆっくりお休み下さい」


「やれやれ……冗談の通じぬ奴よのう……では、またなぬしどの」


「はは……またな」


 彼女を手帳に戻す。

 それにしても……。


「レヴィ、俺の魔力って多いのか?」


「何を今更……常人の軽く10倍はありますよ。でなければ武具様達があれだけ能力を使えませんし、生命魔法の回数もこんなに多くないです」


 10倍!?

 そんなにあったのか……。


「知らなかった……」


「武具様達の力は膨大な魔力を消費しますからね。それに、魔法を使うことに慣れてきたからでしょう、今日はかなり使った筈ですが、まだまだ生命魔法を使えそうですね」


「ああ、確かに……まだ余裕があるな」


 5回は使っている筈だが、まだ何度かいけそうだ。

 これなら問題ない。


「ティア、大丈夫か?」


「ロードさん……私……」


「大丈夫だ。さぁ、お母さんを元気にしなくちゃな」


「で、出来るんですか……? 私はまだ……生きられるの……?」


「もちろんです。頼むよアスクレピオス」


 手帳から、金色の蛇が絡みついた白い杖が現れる。

 カドゥケウスと似ているが、こちらは蛇が1匹だけだ。

 医療の神が持っていたと言われるこの杖ならば、きっとお母さんを救うことが出来る。


 俺はアスクレピオスに生命を与えた。

 すると、白い光に包まれた杖が宙に浮かび、徐々に人の形へと変貌していく。

 その人は、金色の髪を綺麗な三つ編みにまとめ、美しい白いローブを着ていた。

 身長は160センチ程だろうか、あまり高くはない。


 そして地面に降り立ったのは美しい女性だった。

 彼女は少し垂れた目を開くと、俺を見つめてにこっと微笑んだ。


「どうもー。わぁーこれが身体かぁー……すごーい」


 また少し変わった人が来たな……。

 なんだかふわふわしているというかなんというか……。


「あ、初めましてご主人様ー。あたしはアスクレピオスですー。よろしくお願いしますー」


「よ、よろしくなアスクレピオス。早速で悪いんけど……」


「はーい。この方ですね? あ、ちょっと痛いですよー? いきますよー……えい!」


 アスクレピオスが杖でティアのお母さんの頭を叩く。

 すると、ティアのお母さんは胸を押さえて苦しみだした。


「あっ……ぐっ……ぐうぅぅ……!」


「お、お母さん!?」


「我が名はアスクレピオス。全ての病を癒す、医神の宝杖ほうじょうなり。そんな我が手に癒せぬものはなしー!」


「ロード様、これを」


「お、ありがとうレヴィ」



 ―――――――――――――――――――



 アスクレピオス 医神の宝杖


 女神が創った伝説の杖。


 あらゆる身体の異常を治すことが出来る。

 だが、その症状の重さによって身体を激痛が襲い、重い症状であればある程その痛みは長く続く。

 それが収まった時、その者の身体は完全な健康体となる。


 ただし、体力を回復させることは出来ず、身体を治している時は一切動くことが出来ない。


 武器ランク:【SS】

 能力ランク:【SS】



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「これって……死んでなければ傷も治るのか?」


「はい治りますねー。でもね、怪我ならエクスカリバーさんの方が早いんですよ……あの人化け物です! 医療の杖のお株奪われまくりですよホント……まぁ、病気を治せるのは私だけですからー! 毒とかもお任せ下さい! それに、多くの人を癒せますからー」


 エクスカリバーは確かに化け物だよな……。

 なんか気持ちが分かる。


「ありがとなアスクレピオス。なんで力を貸してくれる気になったか聞いてもいいか?」


「あーそれは、にーさんがご主人様にべた惚れで。だから私も興味を持ったんですねー」


「お兄さんって……」


「カドゥケウスですー。同じ神に創られたんですよ私達。まぁ私も手帳の中からご主人様の話とかを聞いて、ああーこの人いいかもーって」


「な、なるほどな」


 カドゥケウスとは全然性格が違うな……というか武具にも兄妹とかあるんだ。

 なんにせよ、病気や毒の治療をしてくれるのはありがたい。


「あ、そろそろ治りますね。もう大丈夫ですよー」


 すると、今まで苦しんでいたティアのお母さんがゆっくりと起き上がった。

 不思議そうに胸に手を当てて、息を大きく吸い込んだり、吐き出したりしている。


「く、苦しくない……痛みもない……! な、治った……治ったよティア!」


「お母さ……お母さんっ!!」


 抱き合うのを見るだけで泣けてくる。

 もう目が痛いよ……本当によかった……。


「ありがとうございますロードさん……なんてお礼をしたら……」


「ロードさん……お母さんを助けてくれて……ありがとうございます……! ありがとうっ……うっうっ……」


「な、なんか泣けてきましたー! 親子愛ー!」


 やっぱりみんないい人なんだよなぁ……武具達ってさ。

 何か願いがあればいいんだが……それは今度ゆっくり聞くとしよう。


「よかったよ……本当にさ。なぁレ……」


「ぐすっ……はいぃ……よかったですぅ……」


「レヴィ……」


 彼女をそっと抱き寄せると、レヴィは俺の胸で肩を震わせていた。

 もしかすると、魔法を教えた負い目があったのかもしれない。


「大丈夫だよレヴィ。みんな無事だ」


「あい……ロード様のおかげです……」


「いや、俺はなんもしてないよ。俺の仕事はこれからさ」


 さて、もう一仕事……やらないとな。

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