第37話 暗闇
私がホルスさんの物になってから2年が経った。
私は今日も、ホルスさんの実験台としての職務を全うする。
「ぐぅぅ……!」
「この程度で騒ぐな。よし、もう少しいけるな……」
私は何人かいるメイドの1人としてホルスさんの屋敷で働く傍ら、夜にはこうしてホルスさんの作った薬の実験台となっていた。
「これを飲め」
「んぐっ……げほっげほっ……はぁはぁ……」
「よし、今日は終わりだ」
「ホ、ホルス様……お母さんは……」
お母さんはこの屋敷の一室でずっと治療を受けている。
たまに面会が許されるのだが、良くも悪くもなっていないように思えた。
「安心しろ。今は安定している。そんなことよりさっさと失せろ」
「は、はい……ありがとうございます」
聞いても返事は大体同じ。
でも、怖くてこれ以上は聞けない。
捨てられたらお母さんの命は終わる。
だから私は……。
―――――――――――――――――――
「無能のティアちゃーん。夕食の買い出し行ってきてー」
「は、はい! 分かりましたっ」
「急いでねー。遅れたら……分かってるわよね?」
「分かっております……」
この屋敷では私が無能だとみんな知っていた。
その為私はストレスの捌け口にされ、こうやって一番面倒なものは大体私がやらされる。
ただひたすらに私は底辺だった。
たまにどうしても憎くて、やり返したくなることがある。
殴りたい……刺したい……殺……。
でも、その度にお母さんの顔が浮かび、そのおかげで思い止まることが出来ていた。
もう魔法は特訓すらしていない。
私はお母さんを助ける物だから。
もうそれ以外はどうでもいい。
―――――――――――――――――――
リストを見ながら急いで買い物をする。
遅くなるとその分酷い目にあうし、それをホルスさんに報告されると、さらにきつい仕置きが待っていた。
薬の実験台とは別の地獄が……。
買い物を急いで済ませて屋敷へと走っていた時、私はいきなり路地裏に引き込まれた。
「きゃっ!?」
「よう、静かにしろよメイドさん。ちょっと遊ぶだけだからよ」
「無能なんだろ? 抵抗したら……衛兵さんに言っちゃうからね。無能に殴られましたってな」
「あいつに感謝しねーとなぁ。無能でも可愛けりゃなんでもいいぜ。安いもんだ」
3人の男に路地裏の奥へと引きずり込まれる。
ああ……売られたんだと、すぐに分かった。
急げばこの道を通ることはみんなも知っている。
お金も手に入るし、私を責められる訳だ。
それに、ホルスさんに仕置きされる私を見てまた楽しむんだろう。
いいよ……お母さんさえ助かるならなんでもいい。
「じゃ、始めるか。精々楽しませてくれよな……無能ちゃ……」
「おい、何してんだお前ら」
え……?
「な、なんだテメェらは!?」
「今無能って言ってたよな? その子を離せ。今すぐ消えるんなら勘弁してやるが……どうする?」
「ざけんなよ……こっちは金払ってんだ。大体無能をどうしようが勝手だろうが!」
「じゃ、痛い目見るぞ?」
「やってみブッ!」
い、今何したの……?
速すぎて全く見えない。
あっという間に1人が地面に転がっていた。
「バ、バルタっ! てめっごっほっ!?」
2人目も同じ。
全く見えなかった。
残された1人はガクガク震えている。
「あ……ああ……」
「クズ2匹連れて失せろ。行け」
「ひ、ひぃぃぃぃ!」
必死に2人を抱え、残された男は路地裏の奥に消えていった。
私は助けてくれた人達に向き直す。
この人達……私を無能って知ったのになんで助けてくれたんだろう。
あ、とにかくお礼を……。
「あ、あの……」
「よう、大丈夫か……無能」
―――――――――――――――――――
首都ニーベルグ
言わずと知れた、ニーベルグの心臓部。
人口は推定で約2千万人、超巨大都市として有名である。
近くにある山頂から見ても、地平線まで続く都市の全景を捉えることは不可能な程大きい都市だ。
都市の中心部には荘厳なニーベルグ城がそびえ立ち、それを中心にして放射状に巨大な都市を形成している。
大都市ならではの悩みとして貧富の差が激しく、城に近ければ近いほど裕福で、その反面郊外はスラム街と化しており、それが犯罪の温床となっていた。
都市の周りには巨大な壁が設置されており、魔物やドラゴンの襲撃に備えている。
仮に壁が突破されても最初に被害がでるのは壁に近い場所、つまりスラム街であった。
故に貧困者、つまり魔法が弱かったり、あまり使えない魔法を持つ者は壁近くに住むしかないのが現状である。
以前に比べ弱い魔法、レヴィの鑑定魔法によるところのランクの低い魔法を持つ者が圧倒的に増え、無能と呼ばれる者も必死に隠しているだけで何人か存在するのではないかと言われている。
スラム化はますます広まり、それに比例して強い冒険者の数は減少、首都でありながら常駐している冒険者がSランクまでしかいないという現状に国家はかなり頭を悩ませていた。
冒険者というのは、強くなるほどに束縛を嫌う傾向にある。
自由に世界を旅し、自由に生き、自由に戦う。
それが冒険者達の多くが抱く信念である。
それでも昔はSSランク冒険者も数人がニーベルグに常駐していた。
しかし今は単純に分母が減った分、常駐しようと思う者が少なくなったのだ。
もちろんSや、SSランク相当の武人がニーベルグ軍には何人かいるのだが、民衆からの依頼に全て応えられる訳ではない。
やはり、強い冒険者が数多く必要であった。
国もそれを理解しており、手厚く冒険者を優遇しているのだがあまり効果は得られていない。
そこで年数回、ここ首都ニーベルグではある行事が行われていたのだった。
―――――――――――――――――――
ヒストリアを出てから4日。
俺達はようやく首都ニーベルグに到着した。
着いたのは昼間だったのだが、情報収集をしている間に日は暮れ、一旦宿探しに切り替えたところである看板が目に入った。
「ふーん、"冒険者決闘大会"か……」
「入賞者は冒険者ランクアップ、更にニーベルグに豪邸を貰えるようですね。賞金もかなり出るみたいです」
「優勝賞金500万ゴールドか。入賞でも100万単位だな」
どの国でも一般的な家庭で年収は約400万ゴールド程度。
優勝するだけで1年分以上の収入が手に入る訳か。
冒険者は危険と隣り合わせな分、その報酬も一般的な仕事より高額だ。
もちろん低ランクだとなかなか食っていけない人も多いし、強くなければ死の危険性は高い。
だから魔法を生かして冒険者以外の仕事に就く方が安全で安定した収入を稼げる場合もある。
普通に暮らすなら月20万も稼げばいいし、平和な時代が長かったこともあり、そういった背景が強い冒険者の減少に繋がっているのかもしれない。
「強い冒険者をニーベルグに住まわせたい訳ですね。地位と名誉と金、ニーベルグにいればそれが手に入るってことでしょう。ロード様どうされます?」
「んー……興味ないなぁ。そんなことより無能と呼ばれる人を探す方が大事だし」
町でそれとなく噂話を聞いてみたのだが、全く情報が得られていない。
これだけの大都市なら少しは噂があるかと思ったのだが、無能と呼ばれる人は中心街にはいないようだ。
町の中心に住める人は大抵金持ちだし、スラム街に行った方が早いかもしれない。
「それにしてもこの町……広過ぎやしないか? 前に来た時はあんまり気にしてなかったけど……」
「ええ、まぁ5大国家の一つですからね。これは骨が折れそうです」
「偶然見つかるってのは期待しない方がよさそう……ん?」
突然目の前の路地裏から2人の男を抱えた男が飛び出して来た。
抱えられた2人はぐったりとしており、抱えているというよりは半ば引きずっている。
男は泣きそうな顔でぶつぶつ独り言を言いながら逃げるように去って行った。
「なんだありゃ」
「さぁ……喧嘩ですかね?」
なんとなく気になった俺達は、彼が飛び出して来た路地裏を覗き込む。
日が暮れた暗い路地裏には灯りもなく、まさに闇そのものだ。
だが、その暗闇が微かに動いているような、そんな気がした。
「誰かいるのかな……」
「気になるなら参りましょう。暗い路地裏で密かに行われている何か……もしかすると、無能と呼ばれる方が関係している可能性もありますし」
レヴィはずんずんと、臆することなく暗闇を進み出した。
頼りになるよ本当に……。
「そうだね。まぁ、行ってみようか」
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