第27話 恐怖
「聞いてないわよ……こんなの……私達じゃ……!」
「ぜ、全員でやれば……!」
「む、無理よぉ! もう半分以上やられちゃったのよっ!」
「だからって……逃げられるかよっ!!」
「あっ! ダメよハガー!」
先程ロードに勝負を持ちかけたのがこのハガーである。
彼はBランクの中では優秀な部類に入り、鋼鉄魔法を駆使して様々な依頼を達成してきた。
周りからの信頼も厚く、この依頼では他の冒険者からリーダー格として認められている。
優秀であるという自負が、彼に撤退を許さなかった。
1人、また1人と仲間達がワイバーンの餌食になっていく。
聞いていた話では、目撃されたワイバーンは通常より少し大きいものの、集団で挑めばBランク冒険者でも問題ない筈だった。
目撃者の話から推察するに、恐らく大きめのフレイムワイバーンであろうとハガーは予想していた。
実際その読みは間違っていない。
ロード達が倒したフレイムワイバーンが、まさにその目撃されたワイバーンだったのだ。
しかし、今彼らの目の前にいるワイバーンは、いない筈の2匹目のワイバーンだった。
当然彼らは2匹目だとは知らないが、このワイバーンは最初からここにいた別の個体である。
このワイバーンは数年前からこの地に存在し、人に見つからないように暮らしていた。
普段は人の手が届かない場所にある巣で過ごし、深夜に餌を求めて遠方に飛んでいたのである。
ドラゴンは魔物も人も分け隔てなく喰らう。
近くにいる魔物はもちろん、時には全く別の地で村一つ喰らい尽くしたこともあった。
長距離を移動出来るワイバーンの特性を生かし、自らが冒険者の標的にならないようにしていたのである。
それは、自身がまだまだ強力な人間には敵わないと理解しての行動であった。
そうして狡猾に残忍に、力を溜めていたこのワイバーンの鱗は赤黒く変色している。
このワイバーンは、フレイムワイバーンの上位種にあたる存在。
体もロード達が倒したフレイムワイバーンより一回り以上大きい。
口からは黒い炎を吐き、フレイムワイバーンのそれとは比べ物にならない程の威力を誇る。
名をインフェルノワイバーン。
地獄の炎の名を冠する凶悪なワイバーンである。
フレイムワイバーンに縄張りを荒らされた彼は、怒りに身を任せ、普段なら絶対に近寄らない場所まで下りてきていたのだった。
頭では理解していたが、本能がフレイムワイバーンを許せなかったのだろう。
結果人間に見つかってしまったが、それはそれで構わないと彼は思った。
何故なら魔力が喰えるから。
既に30人が彼の胃袋に収まっていた。
更に、フレイムワイバーンの気配が消えたことに彼は気がついている。
他の人間に殺されたのだと察知し、この場の人間を喰らった後、彼は他の人間を焼き払うことに決めた。
そうすれば、自身の存在を再び隠すことが出来ると判断したのだ。
ハガーは全身を鋼鉄で覆う。
彼の魔法は、触れたもの全てを鋼鉄でコーティングすることが出来る力。
本来の防御力に鋼鉄の硬さを上乗せすることで、多少の攻撃ではビクともしない力を得られる。
更に手に持った大きめの斧も、鋼鉄を纏うことで威力を上げていた。
他の冒険者に気を取られているインフェルノワイバーンに、彼は全力で斧を振るった。
「オォォォォラァ!!」
ガギンっと、けたたましい音が鳴り響く。
しかし、インフェルノワイバーンの右足に叩きつけた斧は、赤黒く変色した鱗に食い込むことも許されなかった。
「ば、馬鹿なっ!」
瞬間巨大な尾の一撃がハガーを襲った。
鋼鉄を纏った肉体は軽々と吹き飛ばされ、地面に何度も跳ねて転がっていく。
力の差は歴然だった。
「がっはっ……!」
「ハガー!」
鋼鉄を纏ったおかげで死にはしなかったが、防御を貫通したダメージにより、彼は地に伏せたまま起き上がれない。
なんとか顔を上げた彼の目に映ったのは、共に旅をしてきた仲間が丸呑みにされる瞬間であった。
気絶した仲間は声も上げずにインフェルノワイバーンのノドを鳴らす。
「ち……きしょ……」
「ハガー! ねぇハガー!」
「逃げ……イネア……お前は……」
「やだよぉ……! やだよぉぉ!」
30人以上を喰らい、残るはあと2人。
ゆっくりと迫るインフェルノワイバーンに、イネアは恐怖のあまり地面を濡らした。
ハガーの鋼鉄魔法は既に解除され、インフェルノワイバーンにとっては喰い頃と言えるだろう。
「あ……ああ……」
「イネア……逃げ……」
インフェルノワイバーンの巨大な口が開かれる。
器用にハガーを口先で摘み、空へと放り投げた。
丸呑みにするのは、魔力を余すことなく吸収する為である。
血の中にこそ、魔力が多く含まれていた。
インフェルノワイバーンはそれを理解しており、丸呑みにすることで全てを吸収する。
「ハガァァァァ!」
イネアの悲痛な叫びがこだまする。
空に放り投げられたハガーは、まるで幼児に遊ばれている人形の様に宙を舞い、インフェルノワイバーンの口に吸い込まれていった。
「やぁぁ……いやぁぁぁぁ!」
インフェルノワイバーンは、最後に残った餌をどう調理しようか考えているようだ。
すぐには喰らわず、イネアを軽く嬲り出した。
「ぎゃっ!」
口先で軽く弾いただけで、イネアはゴロゴロと地面を転がった。
イネアは泣き喚き、恐怖により身体が震え、必死に逃げようと地面を這いずり回る。
その様子に、ノドを鳴らしてインフェルノワイバーンは
「何がおかしいんだこの野郎」
不意に聞こえた人間の声に彼は振り返る。
しかし、そこに姿はない。
だが次の瞬間、彼の大事な翼が1枚、彼と別れを告げていた。
「ギィァァァァァァァア!?」
黒い刃が彼の目に映った。
それは頑強な鱗を容易く切断する破竜剣。
彼の首を狙うそれを、なんとか後方跳びはねて回避する。
バルムンクの存在を知っていた訳ではない。
ただ本能が、それを受けることを拒否したのだ。
翼を奪われ、もはや飛ぶことは叶わない。
というより、彼は違う感情に支配されつつあった。
この人間に、自分は敵わないと。
自身を睨みつけるこの人間から、彼は凄まじい力を感じていた。
それはこの人間が持つ武器に限った話ではない。
身体から溢れ出すエネルギーが、遥かに自身を凌駕している。
しかし、もう逃げられない。
「ギガァッ!?」
「レヴィちゃんの魔術と俺の力の合わせ技……動けないでしょ?」
「素晴らしいお力ですソロモン様」
「可愛い子に言われるとやる気でるなぁ」
「お戯れを……」
インフェルノワイバーンは飛ぶことはもちろん、身動きすら取れない。
口を開こうにも、見えない何かがそれを許さなかった。
黒い刃を持った人間が確実に彼に近づいていく。
そして、彼の感情はある一つに集約した。
「分かったかインフェルノワイバーン……それが恐怖だ」
そして彼は、世界と別れを告げた。
―――――――――――――――――――
「飲み込まっ……! みんながっ!」
「大丈夫、分かっております。落ち着いて下さい」
「そんなに泣いたら可愛いお顔が台無しだよ? 大丈夫だから、ね?」
さっき分かったが……ソロモンは女好きだ。
絶対間違いない。
そんな彼が泣き喚く彼女の背中にぽんっと手をやると、彼女が段々と落ち着きを取り戻していった。
また何か力を使ったようだ。
「はぁ……はぁ……わ、私……」
「大丈夫大丈夫。旦那、頼むよ」
「ああ、レヴィ指示をくれ。胃を傷つけたらまずい」
「かしこまりました。まずはここを……」
レヴィの指示に従い、バルムンクで慎重にインフェルノワイバーンを捌いていく。
中に冒険者がいることはレヴィの力で分かっていたので、インフェルノワイバーンの首を切断してトドメを刺したのだ。
「ロード様、間も無く……」
「お、これか……パンパンだな」
数十人が収まっているであろうその胃袋はかなり膨らんでいた。
慎重に穴を開けると、中から冒険者達が溢れ出し、それと共に放たれた空気が異臭を放つ。
「ぐっ……どゔだレヴィ?」
「ばい……大丈夫でずね」
鼻をつまんでいても頭がクラクラする。
何にせよ全員息はあるようだ。
臭いからちょっと離れよ……。
「ソロモン頼む」
「はいよ。その前にこれ洗い流した方がいいかもしんねぇな。服が溶けてるぜ? くせーし……おえっ」
確かに服は溶け、鎧すら柔らかくなっていた。
水か……あ、確か……。
黒い手帳を取り出し、俺は目当てのページを開いた。
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