第8話 異変

 訓練の成果は日を追うごとに実感を伴って現れた。半日走り続けたくらいでは体力は尽きず、全力疾走しても1,2分なら息切れすらしなくなった。平衡感覚や動体視力、並行射撃も訓練初日とは比べるべくもないほどだった。奈糸さん曰くこの世界で生きるあくまで最低限にしか過ぎないが、このまま挫けず訓練を続ければ、すぐにでも元の世界基準では超人と呼ばれるくらいにはなるだろうと。しかし有権者に打ち勝つならばあまりにも“武器”が足りない。誰もが努力すればできることをするだけでは不十分。忌也のクロノスタシスのような、才能の上に成り立つ何かが必要だった。そのための訓練がこれから始まるはずだったが一つ懸念点があった。


「ねぇ奈糸、元の世界に変える方法って、ある?」


 その質問自体は至極当然の疑問だった。表面上は春姉さんも何も変わらない。


「どうであろうな。できないことはないかもしれないが少なくともわしは知らない」


「そっか.........、ありがとう」


「気にするな」


 .........そう、表面上は。

  少しずつ、ほんの少しずつだが春姉さんの訓練に対する熱意は失われていっている。以前とは比べられないほどに強くなり、これ以上の訓練を楽観視し始めている。加えて春姉さんは本気で帰る方法を探している。徐々に恐怖心に侵され、今目の前を見失っている。時間が解決する問題のようにも思えない。

 この現状を打開すべく奈糸さんはこう提案してきた。


「今日の訓練は急遽変更して模擬戦をしてもらう。素手の格闘戦でとどめは寸止めのルールとする。ちなみに言っておくが本気でやってもらうぞ」


 奈糸さんの意図が掴み切れなかったが、言われた通りに本気の模擬戦が始まった。


 体のリーチ差ゆえに春姉さんの先制から始まる。大ぶりな蹴りを膝で抑えて威力を殺す。その隙に距離を詰めて蹴りが遠心力のかからない位置で張り付き続けた。拳に切り替わった攻撃を徹底して腕で外に弾いて、体の中心を捉えた殴打は一度として通さない。反撃する隙こそ無いが一度として有効な攻撃を受けずにタイミングを待つ。痺れを切らした春姉さんは膝蹴りからの正面蹴りで強引に距離を取り、リーチを活かして回し蹴りで決着を決めに来る。視界が切れる一瞬のタイミングに低姿勢で懐に潜り込み、後ろから首筋に手を当て勝負は決した。


「勝負あり。どうだ?自分の現在地は見えたか?」


 目で“視る”力はかなり成長した。しかし、春姉さんとのリーチ差ですら反撃できないほどに抑え込まれている。このままじゃさらに体格差のある敵には手も足もでなくなってしまう。改善点の一つが明確化できた。

 一方で春姉さんは......落ち込んでいるだろうか。そう思い春姉さんを見ると、奇妙なほどに清々しい笑みを浮かべて、敗北を受け入れていた。決して負けず嫌いなわけではないけど、一切悔しさの感じないこの笑顔から“諦観”の感情が見て取れるのはなぜだろうか。



◇◇◇◇◇


 なんてことはない、あの質問からそもそも僕たちの足並みは揃っていなかったんだ。模擬戦で奈糸さんは春姉さんが明後日の方を向いてることを確信して今に至るわけだ。僕は近くにいて何も気づけなかった。他人から見ればあっさりと春姉さんはどん底に落ちたから、感情の緩急についていけないかもしれない。僕だってそうなのだから。でも、人の心は些細なことで、あっさりと揺さぶられ、乱れ、壊れてしまう。悩みの解決だって物語のように都合よくはいかないだろう。

 死を感じたことがない僕には、春姉さんの恐怖心がわからない。奈糸さんやあの女性が何を考えているのかもわからない。今後春姉さんは、もしかしたら本気で元の世界に帰ろうとするかもしれない。そうなったら全力で協力してあげたい。でも僕は.........。




『春姉さん、起きた?』


 拠点に戻ってすぐ春姉さんは目覚めた。状況が掴めなかったのか一瞬呆けて、少し身を震わせた後にようやく答える。


「うん、ありがとう」


 その後も魂の抜けたように俯いたまま、安易に慰めることもできずその日は流れてしまった。



 翌朝目覚めてきた春姉さんは僕と奈糸さんに向けて、


「二日、考える時間が欲しい」


と、呟くように声を発した。


「うむ、それがよかろう」


 僕は無言で頷くにとどめ、奈糸さんも受け入れた。

 訓練は一時中断となった。しかし、特段することもないために自主訓練をしようかどうか悩んでいると、実は着いてきていた、謎の女性が目につく。彼女は瓦屋根の天辺で四六時中剣を振っていた。足音や素早く振り抜いた剣の音すら一切立てない。見惚れるほどに目が釘付けになり、一日中見続けていた。僕の視線に気づかなかったのか、気づいていてあえて無視していたのか、おそらくは後者であろうが、彼女がこちらに意識を向けることはなかった。 

 彼女の一挙手一投足を見逃すまいと一日中ただ見続けていたのに、決して無駄なことのように思えなかった。だから思い切って彼女に話しかけてみようと思った。しかし名前がわからないからなんと呼べばいいか、よくわからないところで悩んでしまう。あなた?君?それともお主?うーん、どれも不適切のように感じる。お姉さん、が無難だろうか。


『お姉さん、僕に訓練をつけていただけませんか?』


 そこで初めて彼女は僕に意識を向け、目こそ隠れて見えないがじっと見つめられる。体感5分間沈黙の時間が2人の間を流れ、おもむろに彼女が口を開く。


「よかろう。さっそく持論で悪いが武とは言葉で語れることの方が少ない感覚の領域だ。ゆえにわたしの訓練は実戦のみである。わたしの意図はわたしの動きから読み取れ。敵の意図を見抜く観察眼は実戦からしか得られない」


 とてもゆっくりと喋りながら降りてくる。僕らには実戦が圧倒的に足りていない。彼女の提案は僕にとって渡りに船だった。


『よろしくお願いします』


 持っていた竹刀をこちらに投げ、背中に提げていた大刀を両の手に持つ。鞘と鍔を紐で結ばれて、決して抜けないようになっている。


「わたしからの攻撃は隙を小突く程度に留めるが、気を抜けばこの大刀の質量で骨折くらいはする。だから少しも気を抜くなよ」


 実戦、というにはあまりにも物足りない。常に僕が攻撃を繰り返し、彼女は防御しつつも僕の隙をその大刀で体に触れる。本物の刃物で切られていれば死んでいたという実感を感じさせつつも痛みはない。力を絶妙にコントロールするくらいには手加減されていて、実戦訓練としてはあまりにも力量差がありすぎる。

 時折防御の力を強めたり、反撃の速度を上げてこちらのリズムを常に変えることで、意識せずとも常に緊張感を持ったままに訓練に挑めた。



「君は第六感とは何だと思う?」


 剣戟の最中、彼女は問うてきた。唐突な質問に忌也は答えあぐねる。


『言葉はいらないのでは?』


「何も黙って訓練しろとは言っていない。武は見て経験して感覚で以て会得すべきと言っただけだ。特段目のいい君には言葉よりも実戦経験が大事だと考えた。これはあくまで雑談ではあるが、考えることは大事だぞ。形代に第六感を鍛えるように言われただろう?そもそも第六感が何か知っているのか」


『形代......奈糸さんのこと?』


「今はそう呼ばれているのか」


『第六感は五感に対する無意識の反応だと考えています。五感で収集した情報すべてが意識に昇ってくることはないけれど、無意識がそれら情報を精査する中で、無意識に大事だと判断したものを意識に伝えられたもの、ですかね』


「ふむ、例えば通常の意識も無意識を通して伝わるものだが、食い違う意識的な判断と第六感の判断はどうして生まれるのかな」


『えっと、おそらくそこに自分で解釈できる論理や根拠があるかどうかで変わる、と思います』


 思考しながら無意識に竹刀を振っていた、感覚だけで体を動かしていた。剣戟のスピード感は変わっていない。それでもついていけている。


「よいな、いい意見だ。では意識的な判断と第六感の判断で食い違ったときどちらを優先する?」


『えっと、それは......』


「突発的かつ緊急の事態が起こった際、その思考に割く時間が状況の危険度を吊り上げていく。今十分に悩み、いざというときに咄嗟の判断ができるように意識してみるといい」



 訓練開始から3時間、たかが3時間程度剣を振っていただけで、もうすでに僕の体は立ち上がることすらできないほどに疲労していた。つまり僕は実戦においては3時間も戦い続けられないということ。それに対して彼女は息一つ乱さず、汗すらも見えない。今なら奈糸さんが、今までの訓練を最低限といっていた理由がよくわかる。

 横たわったまま呼吸を整え、神社の入り口を横目に見ながら彼女に相談してみる。


『恐怖を克服するにはどうすればいいのでしょうか』


 彼女は悩む素振りすら見せず即答する。


「普通に考えれば恐怖の根源を取り除くか、綺麗さっぱり忘れてしまうかだろうな」


『そのどちらも難しい場合は?』


「ふむ、そもそもその恐怖を取り除く必要はあるのか?」


『え?』


「恐怖というのは指標だ。彼我の能力を冷静に見極めてこその感情というものだ。恐れに身を竦め一歩退くことも一つの英断であるということを念頭に置いた上で、それでも乗り越えたいのなら、強くなるしかない。どれだけ力を付けても上には上がいるだろう。その度に鍛錬し、力を高め、恐怖を足蹴に乗り越えろ。これは経験則でしかないがな」


『そう……ですね』


「これだけたくさん話したのは初めてで、喉が痛いな。今日はここまでとしよう」


 そういって再び高さが3mはある瓦屋根の上に一息で登り、瞑想を始めた。少し隙間の開いた神社の戸口から中に入り少し休憩する。まだ昼前だけど昼食と夕食は作り置きしてあるから、少し寝てからまた自主訓練を始める。明日春姉さんがどうするのかわからないけれど信じて待つ他ない。今はただお姉さんに言われたことを一つ一つ反芻する。そうして長い一日は過ぎていった。

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