第7話 訓練の深化

「さて、昨日も言ったと思うが何を学ぶか自身で考えて行動してほしい」


 一応はある程度の方向性を示してくれるし、疑問点があればできる限り協力してくれるらしい。ひとまず僕なりに優先順位を考えてみる。まずは健康的な食生活、病気の予防、怪我の応急処置などを最優先として学んでいく。そのため町の書店に向かい必要な書籍をいくつか集める。幸いなことに他の生物に襲われることなく帰ってくることができた。その日は丸一日本を読むことに費やして知識を深め、活かし方を話し合って終わった。


 三日目は基礎体力訓練と動体視力強化の訓練だ。この日行ったことは単純で走りながらナイトさんが投げたものを避けたり仕掛けた罠を回避し続けることを長時間繰り返した。最初はサッカーボールをそこそこの速さで投げてきたが次第に球は小さく速くなっていった。疲労も相まって後半は体にたくさんの痣を作りながらも走り続けた。意外にもこの訓練においては春姉さんの方が多くの球を避けていた。僕は見てから避けるスタイルのため集中力の持続が不可欠だった。一方春姉さんは後半ほとんど感覚に頼って避けている印象を受けた。


 四日目、武術的・心理学的知識の習得は二日目同様関連書籍を集め、読み込むことに一日を費やした。


 五日目、基礎体力訓練と並行射撃の訓練を行った。いつも通り走り込みを行い、同時に射撃ができるように目標を変えながら照準を動かし続ける。当然根本的な射撃精度をあげるための訓練も行った。銃弾の無駄遣いはできないため並行射撃の訓練はエアガンで行っている。棒立ちでの射撃は本物を使っているが今のところかなり精密に目標にヒットさせている。しかし走りながらになると常に手元はぶれ狙いがうまく定まらない。加えて両手で拳銃を構えたままだとかなり走りにくく、片手で持たざるを得ない。


 六日目はほとんど休息日となった。とはいえ漫画や小説などを読み今後起こりうる出来事について知っておくことが一応の課題だ。ファンタジー小説に出てくる存在しないモンスターたちとの戦い方は、対人間と違った工夫があった。


 七日目、走り込みと筋トレを行いつつ新しいことに挑戦した。それは極力つま先で走ることを意識しながら足音を立てない動きにチャレンジした。さすがに靴を履いたまま足音を立てないことはできなかったが、裸足であればかなり軽減できた。奈糸さんに教わってかかとはつけないまま親指から順に指を地面につけていく、いわゆる抜き足差し足を素早く行うことでかなりの隠密性が実現した。一応靴下を履けばさらに足音が小さくなるが、アスファルトの上を走るには破れたりしてかえって邪魔になりかねないため場合によって靴か裸足を切り替えるのがベストだろうか。


 こうして訓練のワンループは終わった。今後を見据えた訓練であるために短期的な急成長はできない。地道な努力は割と得意な方だが心配なのは春姉さんのほうだ。努力はできるけど成果の見えない地道で長い継続が不得意なところがある。まあ一度死にかけたから生き残るために頑張るはずだ。


 八日目、また基礎体力訓練と立体的走法から始まる訓練のループかと思いきや、今日は特殊技能訓練を行うらしい。


「そもそも特殊技能ってなに?」


「本来であればおぬしたちの特技を伸ばすための訓練だがまだ得意不得意の判断がつかん。よって当分は五感と第六感、そして無意識の拡張に努めてもらう。物は試しじゃ」


 ナイトさんが手を「パァンッ!!」と叩き何事か呟く。


「……え?」


『なに、これ』


 視界が端から徐々に黒く染まる。眼球そのものが黒く塗りつぶされ始めているという感覚だ。


 ――――怖い。

 ただ視界が塞がれただけなのにそれが自分の意思によるものではないだけでここまで恐怖を感じるとは。やはり人間の暗闇に対する根源的な恐怖心は簡単に克服できるものではないんだ。裏庭自体が僕たちにとっては逆境、今のようにほんとに視界が断たれる機会が訪れないとも限らないし、この訓練は思いつきもしなかったけど絶対必要な訓練だと思う。


「ほんとになにも見えなくなったけどこれは何分続けるの?」


「まあ今日は初回であるからして8時間くらいかの。このまま訓練も食事も行ってもらうぞ」


「えぇ~、さすがに無理じゃない?」


「何も危険な街中を歩いたり怪我をしそうな訓練をやらせるつもりはない。料理だって多少手を抜いたって構わない」


 訓練と言われれば是非もなくやるけれど、危険が無ければ簡単なわけではない。ほんの少しの段差に躓くし、何を触るにもおっかなびっくりといった様子。もう歩くだけで神経をすり減らし、疲れるなんてものじゃない。

 開始から2時間、その場から動くこと自体が危険と判断して筋トレに励んだ。視界がない分自分の体の状態に、常に意識を向けられる。

 一日中続ければ感覚が鋭くなる、ということもなく結局は暗闇に慣れるくらい。第六感なんてそうそう得られるものじゃない。これもまた時間をかけて習得していくしかない。僕たちはまだスタートラインなんだと改めて認識させられた。


「すぐにできるものではないことくらいわかっておる。時々通常の訓練に組み込むから今の感覚は忘れないようにな。では光を戻すぞ」


「眩しッ!!」


 開ききった瞳孔に薄明かりが突き刺さる。瞼を閉じていなかったから急な光の刺激が強すぎたようだ。夜が眩しいと感じるなんて初めてだった。


 


 それからの訓練はとりとめて話すこともないほど単調で、たった一ヶ月でも着実にできることが増えている。後は五感の強化と第六感の習得ができればナイトさんにとっての基礎訓練は終了らしい。


「さて、できることも増えたことだし狩りにでもいってみようか」


「狩り?動物、というかモンスター狩り?写し人狩り?」


「もちろん前者じゃ。とりあえずは外に出て訓練の成果を試してみるとしようか」


 神社の外に出るのは久しぶりでとても空気が気持ちよかった。耳をすませば少し先の生物の寝息が聞こえる、風が吹けば感じる触覚で周りには誰もいないと感じられる。たったこれだけの成長が僕に全能感を与えてくれる。これは果たして余裕なのか自信なのかそれとも慢心なのか、まだ判断がつかないが今はこの心地よさに酔っていたい。


 そんなささやかな高揚感すらも長くは続かなかった。

 カツンッ、と靴の音がよく響く。


「流転こそが生命の本質、君もそうは思わないか?」


 女性としては低くくとも透き通るような声はまるで旋律のようだ。

 耳のそばで意味深な言葉が囁かれるまで何一つ感じられなかった気配が、まるで突如出現したかのように後ろに現れた。焦りを胸に秘めたまま振り返りざまに手刀を放つ。しかしむなしくも振りかぶった手は空を切り、人間とは思えない跳躍を眺めていた。その姿が月に重なる。そこで初めてその女性の全体像が見えた。暖簾のような布を顔に被せ真ん中には切れ込みが入った特徴的な覆面をしている。何かしらの力が働いているのか、風の抵抗でめくれる様子はない。覆面の女性は手に持った竹刀を振りかぶったまま落ちてくる。忌也は落下地点を見極め着地に合わせて正拳を打つ。頭から落ちてくる女性は着地の衝撃を手で支えたまま地面のスレスレまで身を屈め、その姿勢のまま回転して忌也の足を払う。立ち上がりざまに覆面の女性は小春に向かって襲い掛かる。そのまま一対一の格闘戦に移行するが差は圧倒的だった。致命傷となりうる頭や首、みぞおちは寸止めに、肩、腕、横腹、太もも、ひざを容赦なく攻撃する。すぐには動けなかった忌也も起き上がってきて格闘に参戦するが、崩しや受け流しで態勢を崩すことしかしてこない。徹底的に小春を叩きのめすつもりのようだ。

 この構図は数分続いたが、覆面の女性が濃密な殺気とともに本気になり始める。小春はすでに満身創痍であったが、その気配に呼吸が乱れ、意識を失いかける。


「ふざ‥‥‥けるな」


 殺意に過敏に反応した忌也は、迷いなく時間を希釈し低速の世界に入る。腰元のナイフを抜いて相手の動きを見てから斬りかかる。しかし覆面の女性は左手を体で隠し、攻撃すべてを紙一重で躱し続け、忌也が素手の右腕に意識が向いたタイミングで竹刀を振りぬき忌也の首元に突きつける。


「ふむ、先読み‥‥‥のような曖昧なものではないようだな。極端な眼球の動き、本来認識できないはずだが視空間認知能力が人並み外れている、だけじゃないだろうな。後の先といったところか。相手の動きを見てから反射で動く‥‥‥反射?いや見えているな?認識できているな?なるほど時間を拡張して捉えているのか、興味深い」


 見え、なかった。


「確かクロノスタシスといったか。眼球運動直後の映像が長く続いて見える“錯覚”だったはずだが‥‥‥」


 忌也の戦闘スタイルを一度見てすぐに看破した。戦闘中ほとんどしゃべらなかった覆面の女性は饒舌に独り言をつぶやく。


「もうそこまでで良いじゃろう」


 奈糸さんの声が響く。完全に糸が切れたのか春姉さんは倒れて気絶してしまった。すぐさま介抱に向かい奈糸さんたちにどういうつもりだ?と目で訴えかける。


 「少女が気絶してるうちに説明しておこうか。まずこの子を君たちに襲わせたのはわしだ」


 な‥‥‥に?


「あぁー、だからそう早合点するな。別に悪意や害意があってそうしたわけじゃない。少年も薄々感じていたとは思うが最近の少女は少年に依存気味だった。一度死にかけたからか、もしくはどれだけ努力しても覆らない才能の差を感じてしまったのか、もしくはもう元の世界には帰れないと悟ったのか。いづれにしてもこのままだと悪影響しか及ぼさない。だから一度少年と戦わせて現実を見せることで改善する、予定だった。しかし結果はより現実を見ることを恐れるようになってしまった。そこで、もう一度死にかけた“あの時”を思い出させるという荒療治に出たのじゃ」


 確かに、気づいてはいた。春姉さんは間違いなく成長しているし強くなっている。でもそれは初心者だからだ。初めのうちはできなかったことがどんどんできるようになっていくから急速に成長する。しかし次第に技術習得に時間がかかるものも増え、成長は本当の努力に見合った分しか還元されなくなる。今のように与えられた課題以上のことは何もせず、訓練に工夫もなければすぐにでも頭打ちになってしまう。もちろん春姉さんだってそんなことはわかっているのだろう。ただ今回の場合はおそらく臨死体験が原動力ではなく恐怖となってしまい足枷となってしまっている。そういう意味でも“あの時”を思い出させる荒療治はきっと効果的なのだろう。方法に思うことがないわけではないが、合理的な判断であることは認めざるを得ない。春姉さんはちゃんと強い女性だ。何度だって逃げるけど何度だって立ち向かえる。僕は春姉さんを信じよう。


「この子の紹介は少女が目覚めてからにしよう。今後しばらくは君たちの訓練に協力してもらう予定だ。では帰ろうか」


 春姉さんに肩を貸して歩き出す。意識はないはずだが開いたままの目はうつろだ。僕はほんの数日前の勝負の日を思い返していた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る