第6話 訓練は恙なく

『春姉さん、正直休んだら絶対に間に合わないから徹夜になる。だけどこのまま走り続けることもできない。だから80分走って20分歩く、そして20休憩する。この2時間をループして少しでも休みながら前に進もう』


 ナリ君があたしの体力を気遣いつつも目標を達成できる提案をしてくれる。走り始めて既に2時間経ったがあたしはすでに汗や鼻水を拭うことすらも忘れるほどに疲れ果てている。対してナリ君はというと呼吸は少し荒いがまだまだ余裕はありそうだ。申し訳ないけど安全面的にも休憩の提案をありがたく受け入れることにした。そこからは疲労はたまり続けるが始めの方よりも余裕が生まれ、会話もできていた。あたしは運動はある程度できるし体力もある方だ。あくまでナリ君がおかしいのだ。

 奈糸はというとナリ君のフードに収まりながら会話に参加していた。


「今後の訓練って具体的には何をする予定なの?」


「生き残り続ける術と戦闘に関することを実技・講義形式で交互に行いながら、定期的に五感訓練と特殊技能訓練を行おうと考えている」


 ゆっくり話してくれた内容をまとめるとこんな感じだ。


一日目 基礎体力訓練+立体的走法

二日目 健康・衛生・医療の知識習得

三日目 基礎体力訓練+動体視力強化

四日目 武術的+心理学的知識習得

五日目 基礎体力訓練+並行射撃

六日目 創作物研究+休息

七日目 基礎体力訓練+休息


 <基礎体力訓練>

単純な走り込みや筋トレなど今後の訓練の土台を作る訓練。

 <立体的走法>

壁を乗り越えたり、壁から飛び降りたりといったパルクール的な身のこなしを身に着ける。平面を走るだけでは効率が悪いため最短距離を3次元的に走れるようにする。

 <健康・衛生・医療の知識習得>

食事、健康管理、応急処置といった生きるための基本的な知識の習得。

 <動体視力強化>

走りながら高速で飛んでくるものを回避する訓練。瞬発力や先読みの習得。

 <武術的+心理学的知識習得>

武術理論を学び、訓練に取り入れる。知性ある存在がいる以上戦闘時の読み合いに備えるため嘘や目論見を見抜く目を鍛えるため心理学から学ぶ。

 <並行射撃>

根本的な射撃精度を上げるのはもちろんのこと、走りながら撃つ、最終的には3次元的な動きの中での射撃の精度を上げる。

 <創作物研究>

ありとあらゆる創作物語(ファンタジー小説)をもとに、自分たちの世界線に近いものを探し、今後の展開を想定、対策を行う。


 これを1セットとして繰り返し行いつつ、五感の強化と得意なことを伸ばす訓練も並行して行う。思いのほかよく練られた訓練だと思うがやっぱりきつそうだなぁ。また死にかけたくはないから頑張るけど……。


 なんだかんだで会話を続けながら元の神社に帰ってきたのは翌日の20時だった。もうすでに動けなくなりそうなほど疲労がたまっていた。さすがのナリ君も料理する気力は残っていないのか、インスタントのカップラーメンを食べてすぐに寝ることにした。明日の筋肉痛を思うと憂鬱だけど、徹夜明けと疲労、そして満腹感から睡魔は秒でやってきた。


「おやすみ、ナリ君」


『おやすみ、春姉さん』



…………寒い。

 少しづつ体温が下がり続け、手足の感覚は薄れ、まるで体が自分の物ではなくなっていくような気がして恐怖した。意識が水面にあるあたしの体から離れ、海底に沈みながらも必死に手を伸ばす。段々と光が届きづらくなり、深海の底が見え始める。そこに触れたら何もかもが終わりな気がして必死にもがいても、重りにつるされていかのようで抵抗がまったく意味をなさない。もう、まもなくだ。

 あぁ、こんなところで、終わり…………。


 目が覚め、勢いよく飛び起きる。呼吸は荒く、この寒さにも関わらず汗だくで寝起きは最悪。間違いなく悪夢を見たのだろうけど、霞がかったかのように夢の記憶は曖昧なまま。

 ふと隣を見ると既にナリ君は起きてどこかに行ったようだ。日が出てないから今何時か定かではないけど、漂ってくるいい香りから察するにナリ君がご飯を用意してくれているらしい。あたしも料理ができないわけではないが、味付けが壊滅的に濃く辛いらしく、以降はナリ君が担当してくれることになった。


「おはようナリ君。料理ありがとね」


『おはよう春姉さん。もうすぐできるよ』


「ナリ君と会話してることもそうだけど、この脳内に語りかけられる感じ慣れないなぁ~。あれ、奈糸は?」


『もうすぐ戻ってくるよ』


「おはよう。よく眠れたか?」


「うん、ぐっすり。というか、あれ?筋肉痛間違いなしだと思ってたけど痛みがないどころか疲労もきれいさっぱりなくなってる」


「おぬしたちが寝ている間にマッサージのようなものをしてやったからだな」


『ありがとう奈糸さん。さあ食事にしよう』


 かなり豪勢で量もたくさんの食事が机に並べられた。ちなみに奈糸用に小さめの食器と体に合わせた量の食事が別で用意されていた。どこまでも細かい気配りができるなんて、将来いいお嫁さん?になれるよ。


「今日から訓練が始まるんだよね。具体的な内容を教えてくれる?」


「うむ、昨日は一日中走ったから基礎体力訓練はなしにして立体的走法の訓練を集中して行おう。昨日も少し話したと思うが敵から逃げるとき障害物をゆっくり乗り越えたり遠回りしていたらすぐに追いつかれてしまう。だから塀や壁を伝って素早く屋根上に上ったり、塀から塀へ飛び移ったりしながら極力地面に触れずに移動できるようにする。まとめると3次元的な移動方法で最短距離を進む訓練というわけじゃ」


「あれだよね、パルクールってやつ」


「その通り。もちろんすぐにできるとは思っていない。だからまずは怪我を恐れないよう慣れるところから始めていこう」


 食事の後すぐに訓練は開始した。まずは神社を使って、屋根の上を駆け回ったり飛び回ったり飛び降りたり、高いところでの行動に慣れていった。また高い壁をすぐに乗り越えられるよう、助走をつけて素早く手をかけ全身を持ち上げる訓練を繰り返し、徐々にスピードを上げていった。他にも木登りをしたり、細いパイプの手すりの上で長時間立ち続けたり、ほとんど身近なもので訓練を続けた。見違えるほどの結果が一日で得られるわけはなかったが、一見くだらない訓練もあたしの中に少しばかりの成長を実感できるくらいには意味のあるものだった。


「地面に不安を覚えたのは初めてだよ」


 今日の訓練自体はハードなものじゃなかったけど、一朝一夕でできるものではない。その点ナリ君は今日やった訓練も最終的にはほとんどこなしていた。さすがというほかない。


『明日は健康・衛生・医療技術に関する講義だったよね?』


「その通り。だが基本はおぬしたち自身で学んでもらう。この裏庭において“選択”することの責任はすべて自分で背負わなければならない。自分たちにとって何が大切かの取捨選択と優先順位の確立を日ごろから意識しておけ。失敗も後悔も必ず起こるものだと心得よ。それでも安心しなさい。少なくとも訓練であればどれだけ失敗しても反省し修正できる。その手伝いも惜しまない。だから思考を絶やすな」


『優先順位……つまりは生存のための訓練メニュー』


 なるほど、ここまで言われたらあたしでもわかる。最初に提示された訓練メニューは“生存”を最優先としている。1つの選択の結果を自身の死という形で責任を取らなければならないことだって起きうる。だから死なないための最善の行動を選択できること、そしてその最善の行動を選択できる力を得ることが必要。そのための訓練メニュー。


「わかった。ありがとうね、奈糸」


「なんじゃ、藪から棒に」


「いやね、今までは選択の責任は大人にあってあたしたちにはまだ早かった。だからまだ実感を持てないけど、その選択を支えてくれる存在の大きさだけはあたしでも理解できた。元の世界の大人よりもあたしたちのためにアドバイスをくれる奈糸に自然と感謝がこぼれた、それだけだよ」


 あたしは満面の笑みで感謝を伝える。さすがの奈糸も気恥ずかしかったのか思わず顔をそらす。あたしも少し顔が熱い。


「ほれ、いいからさっさと寝なさい。十分な睡眠も訓練の一環じゃからな!」


 ツンデレかな、とか突っ込むと本気で怒りだしそう。


「うん、おやすみ~」


 こうして今後の展望に思いを馳せながら訓練初日は恙なく過ぎていった。

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