第9話-星とは見れど 遥けきやなぞ-

「お、お邪魔します」

「はい、いらっしゃい、奏詩くん」


 入学式のあった日の週末、土曜日の午後。柚葉に指定された場所に到着したが、ここがどこなのか少し戸惑いながらマンションの一室に入っていく。


「いらっしゃい、奏詩くん。虹ヶ丘大学の二年生で、柚葉の姉の乃愛だよ。よろしくね?」

「は、はい。よ、よろしくお願いします」

「もう、お姉ちゃん、なんでいるの? 今日ってサークルのライブだよね?」

「ああ。別に私のバンドは今日演奏しないから、行っても意味ないし」

「ふうん。私たち、これから宿題するから邪魔しないでね?」

「あ、うん。お楽しみなわけね、お姉ちゃん。邪魔しないから」


 ここは柚葉の家である。柚葉の家があるマンションは虹ヶ丘駅の東口、学校とは反対側の駅前近くのエリアに位置している。都心付近の駅近物件は少々お高めだと啓太から聞いたことがある。もしかして柚葉はお嬢様、セレブなのだろうか。それはさておき、学校で見る柚葉とは雰囲気が違うように感じる。


「お待たせ、私の部屋に案内するね」


 女子の部屋に入るのは初めてで、妹の部屋には何度か入ったことがあるが、身内以外の異性として見ている人の部屋に入るのは初めてだ。緊張するな、どんな部屋なんだろうか。


「お、お邪魔します」


 生唾を飲み込みながら、ドアを開けた柚葉の後を追い、恐る恐る部屋へ入ると、そこはまるで桃源郷のようだった。可愛らしい女の子の部屋で、ピンクの壁紙にゆるキャラマスコットやアニメキャラクターの人形がたくさんベッドに敷き詰められている。そして何より、大人気アニメ『あにまるがーるず』に登場するキャラクター、馬の擬人化体キリマンジャロモカのデフォルメぬいぐるみがベッドに横たわっていた。サイズは約130センチもあり、かなりの大きさだ。この商品、高かったような気がするけれど、やはり柚葉はセレブなのだろうか。


「ちょっと待っててください、飲み物持ってきますね」

「お、おう」


 好きな人の部屋に独り残されるのは一大事だ。俺だって思春期の少年、年齢だって未だ15歳だ。変なスイッチが入ってしまうかもしれない、全力で我慢するつもりだが、理性が抑えきれなくなってしまうかもしれない。すると、不意にノックの音が聞こえてきた。


「今、大丈夫?」

「あ、はい。大丈夫です」

「お邪魔しまーす」

「あれ、お姉さん。大丈夫なんですか? 柚葉に怒られるんじゃ」

「ああ、大丈夫、大丈夫!こっそりやってることだし、それに少年が妹の部屋でやらかさないかの見張りもしなきゃだし」

「あ、はい。何もしません」

「つまり、何か考えていたということなのかなあ?」


 理性が本能を上回り、変な気が消え去った。恐怖心からか、それともシリアスな空気を作り出した乃愛さんの影響なのだろうか。


「こほんっ。それで、何か用があったんじゃないですか?」

「あ、そうそう。君、昔何かやらかしてる匂いがするね。辛い過去を引きずっている匂いが」

「…………ッッッ!?」


 なんなんだこの人は。俺の過去を知っているのか? いやいや、そんなはずはない。だって今日が初対面のはずだ。いや、あり得るのか、あり得てしまうのか? 彼女は大学二年生で、高校三年生の代の人だ。中高一貫校の弊害で風の噂が伝わっている可能性がある。ここは彼女の持つ情報を探ろう。この黒歴史は絶対に隠し通さなければ。


「な、なんでそんな風に思ったんですか?」

「ああ、だって君、何かに怯えて生きている、そんな雰囲気が出ているよ」

「…だから、なんで!」

「知ってるのよ私。そうやって心を押し殺して生きていく感覚を。だって私もそうだったし」


 本当になんなんだこの人は。俺の何を知ってるんだ? 俺が消し去りたい過去、あの時の苦しみ悲しみは誰にも理解されないはずなのに。理解されたくもないのに。


「まぁ、とりあえず君も変わらなきゃ。高校生っていうのは子供から大人への一歩を踏み出す期間だからね」

「あの、それってどういう?」


 意味がわからない。この人は俺に何を期待してるんだろうか。俺は何をどうしたらいいんだろうか。


「LINKやってるんでしょ? 連絡先、交換しよう」

「いいですけど、何をするつもりですか?」

「あはは、何って、君の相談相手になるってことだよ」

「は、はあ」

「いい? 何かあったら必ず連絡すること。それがどんな大変な相談事でも私は聞くから」

「はあ、わかりました。何かあったら連絡しますから」

「よろしい!じゃあ、色々がんばってね〜」


 まるで嵐のような人だった。俺の過去を知っているわけでもなさそうなのに、本当に調子が狂う。深くため息をつき、バッグから教科書を取り出していると、静かに扉が開くのだった

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