異空警察 ─Dimension Patrol─

清水 惺

第1話

 その瞬間は突然訪れた。


「おい、どこだよここ!?」

「何が起きたの?」


 バスの中は喧騒に包まれる。

 三泊四日の修学旅行を終え、帰路についた所だった。

 日が暮れて、暗い山間を走っていたバス。

 しかし今、窓の外には夜の帳など一切感じられない。

 生徒達のどよめく声を聞き、彼らの担任・広瀬ひろせも外の様子を窺った。そこには高級なホテルにある広間のような光景が映っていた。

 古めかしい鎧を着た男達がこちらに槍の穂先を向けながら近づいてきている。


 いったい何が起きていると言うのだろうか。

 バスがガタガタと大きく揺れて、眩い光に目がくらんだかと思うと次の瞬間にはこうなっていた。


「みんな静かに! 落ち着いて座ってくれ」


 広瀬は声を張り上げて、しかし努めて落ち着いた口調で着席を促すが、あまり功は成さない。生徒達は我も我もと窓に顔を近づける。

 教師としてなんとか生徒の安全を守らねばならないとの気概を有しているようだが、この異常事態において広瀬に何ができるだろうか。

 せめて、今は生徒達の心が平静を取り戻すようにとひたすら呼びかけるだけだ。


 鎧の男達の槍があともう少しでバスに届きそうという所まで近づくと、その少し後ろからこちらを窺う身なりの良い男と目があった。男は顔を綻ばせて声をかけてきた。


「よく参られた異界の勇者達よ! さあ、どうぞこちらへ!」


 広瀬はこの場にいる大人達と顔を見合わせる。

 副担任は学年主任も兼ねている自分より経験も実力もある教師だ。

 バスの運転手も、車内の安全においては彼の領分であり意見を聞くべき相手である。


「出てこいと言ってますが、どうしましょう」

「あんな物を突きつけてくる連中ですよ。外に出ては生徒達が危険です」

「しかしここにいても安全とは言い切れません。このバスは、あの槍のように一点に集中した衝撃に耐えられるようにはできていません。その気になれば車体を貫通させられるかと。まだ友好的なうちに指示に従うべきでは」

「……。ひとまず私が応対します。皆、なるべく中央に寄って窓から離れてくれ。運転手さん、まだドアは開けないでください」


 広瀬は生徒達に指示を出したのち、自分の席の窓を開けて顔を出した。


「私が責任者です。我々に抵抗の意思はありません。どうかその槍を降ろしていただけませんか」

「おお! 良かった。諸君、下がりたまえ。勇者達に失礼するでない」


 兵士と思しき者たちは穂先を天井に向け、離れていった。

 それを見て担任は安堵の息を吐く。


「さあ、その鉄の乗り物から降りてどうぞこちらへ。我らの王がお待ちです」


 しかし事態は終わった訳ではない、これからどうするか決断しなければならない。

 広瀬は少しの逡巡ののち覚悟を決めた。


「みんな、彼らの指示に従おう。俺が最初に降りる、前から順番に着いてきてくれ。降りたらできるだけ離れないように」

 

 男子二十一人、女子十七人。計三十八人の生徒を大人三人で保護しなければならない。バスを降りると広瀬を先頭に、副担任と運転手が生徒達の後方それぞれ両側に立ち、三点で囲むように控えた。

 武器を持つ兵士に対してあまりに無力ではあるが、もしもの時には肉の盾となってでも守るつもりだった。


「こんなに大勢! ありがたいことです。申し遅れました。私はこのリオハユタ王国にて宰相補佐を務めますカルディナトゥスと申します。お見知りおきを。ささ、我らの王にお顔をお見せください」


 宰相補佐は、数段高いところにある玉座からこちらを見下ろす人物の方へと誘う。

 広瀬は振り返って生徒達を少し見回したのち無言で頷き、着いてくるように指示した。

 レッドカーペットを進み階段の手前で止まる。

 宮中の礼儀作法など、広瀬の日常とは縁遠く知るべくもない。それでもお辞儀くらいするべきなのだろうが、それもなんとなく抵抗があった。

 この訳の分からない状況において、さも想定通りと訝しむこともなく応接する彼らに抱く不信感がそうさせたのかもしれない。


 玉座に座る男を見つめると、その男は立ち上がり近づいてきた。


「勇者達よ! 我らが呼びかけに異界より応じてくれたこと誠幸甚の至り。いまリオハユタは、いや人類は危機に瀕している。魔王の復活から早三年、人類の抵抗も虚しくいくつもの国が滅んだ。我々は過去の文献を調べ異界より訪れし勇者が魔王を封印せしめたことを知った。当時の儀式を行いこうして召喚した次第。勇者達よ。今一度、我らが世界を救ってほしい。お頼み致す」


 リオハユタ国王は力強い眼差しを向けている。

 しかし、広瀬達一行とておいそれと頷ける話ではない。

 平和な国の文民に過ぎない者達に何をさせようというのか。


「ふ、ふざけるなよ! 元の世界に返せよ!」

「藤木! よさないか!」


 普段はクラスでもお調子者の生徒が口を挟むので広瀬は慌てて止めた。この緊張状態に耐えきれなくなったのだろう。しかし勇者とやらがどの程度の身分かはわからないが公然と国家元首を批判するのはあまりに危険すぎる。

 

「……申し訳ないが我々は貴殿等を元の世界にお送りする手段は持ち合わせていない」

「……は?」


 生徒を止めたばかりだが広瀬も、ともすれば威圧と捉えられかねない言葉が漏れた。


「我々は帰れないということですか? 呼びかけに応じた等と仰ったが、我々は、いつの間にかここにいたんです。そこに我々の意思はないんです。我々にどうしろと仰るんですか! ここにいるのは学校の教師と生徒。戦う力なんかありません!」

「広瀬先生!」


 今度は広瀬が副担任に止められた。

 副担任とて同じ思いだが、強く出て不興を買うのはまずいと歯の奥を噛み締める。


「……文献には召喚の儀式のみ記されており、送還についてはその手段の記述がないのだ。しかし役目を終えた勇者が元の世界に帰っていったとの伝承も残っている。役目を終えればあるいは……」


 王は、血の池地獄に垂らされたか細い蜘蛛の糸のような微かな希望を提示した。

 しかし、そんなものは慰めにもならない。


(なんだそれは。勝手に連れてきて、見ず知らずの奴らのために働けということか。血を流せということか。俺達は奴隷か? そんな馬鹿な話があるか)


 広瀬の内心が怒りで煮えたぎる。

 しかし、この話に乗らなければ僅かな希望の光は消え失せる。その事実が広瀬の頭を冷ましていく。


「……我々をここに呼び寄せた目的が達成されれば、我々は帰れるのですね?」

「その可能性が高い。我々のために、そして貴殿等のために、この世界を救ってもらえぬだろうか?」

「わかり──」


「突入!」


 広瀬が意を決して承諾の返事を返そうかというとき、突然、後方にある大きな扉が両開きに開いた。

 扉の向こうからは、見慣れぬが確かに自分達の文明と近しいと感じる警察官らしき制服を着た男女が銃を構えて続々とこの玉座の間に入ってくる。


「なんだ貴様らは!? 衛兵! 衛兵!」


 宰相補佐の叫びを聞き槍を携えた兵士がこちらも負けじと駆け込んでくる。

 制服の者達が広瀬達を背に守るような形で取り囲み、そこに槍を向ける形でリオハユタ王国の兵士達がさらに取り囲む。

 一触即発の雰囲気の中、凛とした声が響いた。


「応じる必要はありませんよ」


 声がしたのは扉の方、制服を着た青年が一人歩いてくる。


「何者だ貴様は!」


 宰相補佐カルディナトゥスはこめかみに血管を浮き上がらせて吠えるが青年は涼しい顔で近づいてくる。


異空警察ディメンションパトロールだ。攫われた我々の世界の住人を返してもらいにきた」

「不埒な輩め。王の御前である、控えよ!」

「あいにく邦人拉致の首魁に下げる頭は持ち合わせていない」

「なにを言うか! ええい、であえ!」


 広瀬達を囲んでいた兵士達は穂先を近くの隊員達に狙いを定め突撃する。

 しかしその足は、響き渡った轟音と突如生じた激痛によってすぐに止められた。


「ぐ……ぐう」

「があ、くっ。ぬう……」


 穴の空いた腿を抑えてのたうち回る。

 槍を交わす間もなく、蹲ってしまった兵士達を見てリオハユタ王国首脳陣も唖然とするしかない。


「なっ!?」

「まだやるか?」


 青年の挑発的な言葉にカルディナトゥスは唇を噛むが、腹を立てたとて為す術はない。


「やめよ」


 今にも癇癪を起こしそうな宰相補佐を止めたのはリオハユタ王だった。


「すまなかった。強大な勢力を誇る魔王軍に対し長い間なんとか耐えてきたが、兵達は消耗しきり防戦一方。この悪夢を終わらせる手段がなく、勇者召喚という希望に縋るしかなかったのだ。本当に申し訳ことをした。しかし願わくば! 勇者達の慈悲を賜りたい」


 リオハユタ王は他の首脳陣や兵士達が見ていることにも構わず深く頭を下げた。「陛下、お辞めください」なんて声が小さく聞こえてくるが、強く主張してこないあたり彼我の戦力差が嫌でもわかってしまったのだろう。

 先ほどまで強大に思えたリオハユタ王のその姿は、広瀬の目にあまりに小さく映った。


「あの、なんとかしてあげられませんか?」


 同じように憐れに思ったのだろう、女生徒が異空警察を名乗る青年に声をかける。


「いや。同情をひくような言動をしてるが、やってることは自らの駒を減らしたくないからと他国の国民を拉致するようなクズだぞ。これ以上関わらない方がいい」

「貴様ぁ!」

「やめよと言うておる!」

「しかし!」


 直接的な侮辱の言葉に宰相補佐をはじめ兵士達がいきり立つ。それを怒鳴りつけて止めたのは国王だ。

 自分達が被害者であり、異空警察の青年の言っていることも正しい。そのはずなのに、どうにもこちらがいじめているような雰囲気だ。


「なんと言われようと! 我々に力がない以上! 勇者の慈悲に縋る他ない以上! 喜んで受け入れよ! 多くの臣民が地に倒れ伏すことに比ぶれば些細なことであろうが」


 玉座の間を沈黙が支配する。


「俺、協力しようかな……」


 沈黙を破ったのは一人の男子生徒の呟いた声。


「吉田」

「だって、俺達にはこの人達を助けられる力があるってことなんだろう? だったら協力したっていいんじゃないか?」


 リオハユタ王の言動に絆されたのは彼一人ではなかったのだろう。吉田少年の言葉に同調する生徒も少なからずいるようだった。

 彼らを保護する立場にある広瀬としては良くない流れだ。そして何より助けにきてくれたという異空警察の面々に申し訳もたたない。


「そうか。好きにするといい」


 機嫌を損ねないか心配していた青年からは意外な言葉が帰ってきた。


「我々はその意に反して連れ去られた拉致被害者を救出にきた。ただし、自らの意思で残るというのなら尊重しよう。君達がどのような選択をしても自由だ」

「どうか! どうかお頼み致す!」


 リオハユタ王が頭を下げ、他首脳陣も続いた。


「ただし、我々が救出にくるのはこの一度きりだ。それは予め承知しておいてほしい。今この手を払いのけるならば次はない。本当にここに残ると決めていいのか? 魔王とやらを倒したとて日本に帰れる保証なんかないぞ。その過去の勇者だって表向き帰ったとされて、本当は役目を終えた英雄など邪魔だと殺された可能性だってある。それでも君は残るのか? 修学旅行の帰りだったんだろう。君の家族は無事の帰りを待っているんじゃないか? ここにいない友達だっているだろう。その子達とも永遠に会えないかもしれない。この青少年の純粋な心を誑かして戦地に送ろうとする輩は本当に君達の日常を捨てるに相応しいか、よく考えて決断することだ」


 それでも残ると宣言する生徒はいなかった。


「何卒、何卒! 我らの方でも元の世界にお帰りいただく方法を探しまする。例え、時間がかかろうと必ずお帰し致します! 何不自由なく過ごしていただけるように計らいますので何卒!」

「日本の生活水準には及ばないと思うなあ」

「交渉の邪魔をせんでくだされ!」


 宰相が必死になって頭を下げている。

 広瀬は、子供達にこの人達を見捨てるという決断をさせるのは酷だと思った。


「ええと、その異空警察? の……」

「ああ、申し遅れました。赤﨑と申します」

「どうも、広瀬です。赤﨑さん。ここにいる全員、日本への帰国を希望します。どうか連れて帰ってください。よろしくお願いします」

「そんな! 勇者様!」

「他の方々の意見も聞きますか?」

「いえ、その必要はありません。全員、帰国です。この判断は私が全責任を持ちます。みんな、帰ろう。親御さんが待ってる」


 異空警察の赤﨑はにこりと微笑んで頷いた。

 子供達が負い目など抱かないようにと、決定の責任を背負い込んだこの広瀬という教師に好感を抱いたのだった。


「承知しました」


 赤﨑がどこかに通信で指示を送ると、ジェット機のエンジン音のような轟音が近づいてきた。

 異空警察に先導されて玉座の間の扉を抜け廊下を抜けバルコニーに出ると、目の前には巨大な戦艦が宙に浮いておりこちらにタラップを伸ばしている。


「さあご乗船ください。日本に帰りましょう」


 広瀬達が乗船後、艦は向きを変え、ランプウェイよりバスを積み込む。


「こんどウチの住人に手を出してみろ、魔王じゃなく我々が滅ぼしてやるからな」


 赤﨑がそう言い残すと、戦艦は上空へと飛び立ち加速、ついには異空間へと消えていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異空警察 ─Dimension Patrol─ 清水 惺 @Amenoyasukawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ