九 覚醒

「どうした、睡蓮すいれん。」




閻魔えんま様…!おきが出ました……!!!!」



睡蓮の報告に先ほどまでなごやかであった雰囲気からは一変し、場が凍る。またもや罪のない、それも亡くなった人間の身体を乗っ取る悪鬼あっきが現れたというのか。昼間、冥界へ来たばかりの際に対峙した悪鬼を思い出し、またもや不安に駆られ頬を汗が伝う。

悪鬼はこの冥界の人々をいとも容易く傷つける存在だ。



「くっそ!またかよ!」


柘榴ざくろはイラついたように舌を打つ。

睡蓮は息を整え、思い詰めたようにうつむいている。

ふと閻魔の様子が気になり顔を上げる。


すると、ここにいる皆が不安や苛立ちで下を向く中、彼だけはどこか遠くを見据えていた。整った顔は怖いくらいに無表情で、瞳の中の炎だけがゆらゆらと燃え盛っている。


そして、意を決したように一つ息を吐いた。


「睡蓮、状況の説明を。」


「は!極楽浄土にて、悪鬼に取り憑かれたと思われる死者が暴れ出し、冥界へ逆走してきた模様。今現在人々の避難を最優先に誘導させておりますが、該当の死者が本来は極楽浄土行きと下された者ゆえ昼間のものと同様か、またはそれ以上にかなり強力な悪鬼でございます。至急閻魔様に対処していただきたく!現在前線ではかいの部隊が対峙しておりますが、そう長くは持ちません!」


睡蓮の迅速且つ的確な説明を聞いた閻魔は間髪入れずに指示を出す。


「柘榴、睡蓮を乗せて至急現場へ向かい人々を非難させろ。この冥界の者たちに危害を加えるようものならその際は不死鳥の力を使っても構わない。ただし、炎は周囲に注意しなさい。お前の炎でこの世界を火の海にされては本末転倒だからな。

睡蓮、戒の援護を。私もすぐに後を追う。」


言い終えると彼はこの部屋一番に大きな窓を開け放つ。勢いよく夜風が吹き込んでくるが引けを取ることなく、命を受けた柘榴は不死鳥へと姿を変え、美しい翼の生えた背に睡蓮を乗せて暗闇の中へ飛び立った。


開いたままの窓からは高層階ゆえに風が吹き荒れる。


悪鬼は生前の行いが良い者に取り憑くことができるものほど強力だ。

前線で今戦っているという戒は無事だろうか。怪我をしてはいないだろうか。心配ばかりが募る。


「冥、そう怖がることはない。私が御前を守ると約束したであろう。」


人間離れした冷たくも、やさしい手に頬を撫でられる。


「けれど、わざわざまた怖い思いをしにゆく必要はない。御前はここで待っていなさい。先に夕食をとっていても構わない。そうだな、七七依ななえをつけよう。早急に私は行かなくてはならないから、ここで「……嫌です!」……冥?」


昼間、初めて悪鬼を目にした。取り憑かれた死者はその人の欠片もなく、操られてしまっていた。その際に対峙していた睡蓮は多少なりとも怪我をしていたし、街の人々は皆怯えていた。


そんなことがまた起こっている事実が、怖い。

けれど、今日ここへ来たばかりの自分に皆やさしく接してくれたのだ。それが冥にとって、どんなに安心させられた出来事であったか彼らはわからないだろう。


今も前線で戦っている戒

閻魔からの命を受け、怯むことなく飛び出していった柘榴と睡蓮

そして、今すぐにでも出ていこうとしている閻魔


皆、この美しい冥界を守りたいという思いで一心に戦っているのだ。

そんな人たちが今、傷ついているかもしれない。それなのに自分は何もせずただこの閻宮えんきゅうで待っているだけなど、冥にはできない。

それに、悪鬼は死人に取り憑く鬼だ。父とは無関係、というわけでもないかもしれない。覚悟を決めて、冥は顔を上げた。


「私は戒たちのように戦ったりすることはできません。足でまといになってしまうかもしれないです。まだ出会ったばかりだけど、みんなが優しい人たちだということ私が身をもって知っています。そんなあなたや、皆には傷ついてほしくありません……!人々の避難誘導や、傷の手当なら私でも力になれます。一緒に、連れて行ってください!」


真剣にこちらを射貫く真紅の瞳を見つめる。


「私が読んでいるに、此度の悪鬼は昼間のものとは比にならない妖力を感じる。かすり傷や切り傷では済まされない怪我を負う者もいるかもしれない。最悪の場合、人が死ぬかもしれないのだぞ。御前はそれでも連れて行ってくれと、そう言えるか。」


今目の前に君臨しているのは先程までの穏やかでやさしい閻魔ではない。この冥界を治める者としての、閻魔大王としての彼だ。


それでも……。


(答えは決まってる。)


「……はぁ。私個人としては、かわいい御前をわざわざ危険をかえりみるような場所へなど、連れていきたくはないのだがな。

い、御前の覚悟しかとこの私が受け取った。この私に、閻魔大王に力を貸してもらおう。」


すると、閻魔は開け放たれたままの窓へ向かって全速力で走る。ぱっと、手をとられ、気づいたときには暗闇と朱の提灯が灯されるだけの美しい世界へ飛び込んでいた。


「しっかり捕まっていなさい。飛ばすぞ。」


美しい赤と黒の装束がなびき、漆黒の翼が現れる。



街は混乱に陥っていた。

中心部に佇んでいた建物は破壊され、閻魔の言っていた通り昼間よりも大きな悪鬼が暴れている。それに対峙しているのは戒と睡蓮だ。周りには戒の部隊の構成員であろう者たちが怪我を負って倒れている。中には血を流しているものもみられと漏れてしまう漏れてしまう。


柘榴であろう美しい不死鳥は暗闇の空を飛び回り、上空から火を放ち応戦しつつ人々を避難させている。


街のそこかしこから人々の悲鳴が響きわたり、女子供は泣いている者もいる。


閻魔は素早く戦乱の渦へと降り立った。


「皆、遅くなってすまない。あとは私に任せておくといい!

周辺にいる民はすぐに避難するんだ!柘榴、まだ取り残されている者がいないか今一度確認を!

戒、睡蓮は傷の深い者を優先し、負傷兵たちに手当を!援護は要らぬ、皆自分の命を最優先に考えるのだ!」



閻魔の命令により混乱していた人々は幾分か落ち着きを取り戻し、互いに声を掛け合って再度避難を開始したようだ。


「冥、御前は戒と睡蓮のサポートを。予想以上に傷の深い者が多いだろう。頼む。」


「は、はい!!」


刀をさやにしまった二人の元へ駆け寄り、周囲に倒れている兵士たちの手当を施す。






「さて、お前の相手は私だ。悪鬼よ。

仏ともいえる高尚こうしょうな存在の者の器を乗っ取るとは、罰当たりな。即刻にね。」



悪鬼は次々と攻撃を仕掛け、閻魔はそれをいとも容易くかわす。紅く燃え上がる炎を作り出しては、悪鬼に向けて放った。

すると、やはりかなり妖力の強い悪鬼なのだろう。動きが素早くなり、閻魔目掛けて様々な攻撃を繰り返してくる。

凶悪な爪を何度も閻魔目掛けて振り下ろす。これもまた容易く躱したようにみえたが、閻魔が攻撃を避けた隙に悪鬼は端に倒れている負傷兵目掛けて拳を振り下ろそうとした。



「っ!!」


間一髪、というように振り下ろされたその拳を閻魔は抑えつける。けれども、急な対応に出遅れたからか悪鬼の爪はそれを食い止める閻魔の腕に食い込んでおり、ぽたぽたと血が流れ出す。



「っ!?、閻魔様!!!!!!」


片膝をつき、すんでのところで攻撃を止めている状態だ。それでも悪鬼は容赦なく、波動を放つ。閻魔も片手で炎を作り出し、それを封じ込めるように放った。


炎と波動がぶつかり合い、強風と砂嵐を巻き起こす。前が霞んで何も見えないが、二つの力がせめぎ合っている今バチバチと火花が散っており、傷を負っているにも関わらず閻魔の力は衰えてはいない。


様々な攻撃を躱し悪鬼に近づき、心の臓へ炎を押し込む。すると、悪鬼はとてつもない呻き声とともに苦しむように身を振る。


「うがあああああああああああ!!!!」


「ふん。やったか。」


悪鬼は紅蓮の炎と光に包まれてゆく。

それらが止むと、操られていたであろう人間が姿を現した。


けれど、おかしい。

まだ並々ならぬ悪鬼の妖力を感じる。






「っ!冥!!!!!!!!!」


自分の後方へいた冥へ目をやると、本来の姿を現した悪鬼がじりじりと近づき、拳を振りかざしていた。




「い、嫌…!!来ないで!」


振り翳される拳に、冥はただただ目を閉じることしかできなかった。


同じく手当にあたっていた戒や睡蓮の声が遠くに聞こえる。痛みを耐えるようにぎゅっと、目を瞑った。何秒の間そうしていただろうか。けれど、いつまでたっても来るはずであろう痛みがくることはなかった。



少しづつ、目を開けるとそこには膝をつき、片手で悪鬼の拳を抑えている閻魔の姿があった。


「閻魔様……!!」


悪鬼の力を抑えている方の手のひらで絞り出されるように作られた炎を受け、悪鬼は跳ね返される。



「っ、ごほっ、!!」


嫌な音がする咳をした閻魔の口から吐き出されたのは、多量の赤。


ごぽごぽと、垂れ流れる血に冥は目の前が真っ暗になる。閻魔の腹には穴が開いており、先程自分を庇った際に負ったものだろう。


きっと、先程作り出した炎が最後の力を振り絞ってのものだったのだ。咄嗟に駆け寄って、背を支える。元々人間離れしたしろい肌は青ざめた顔をしており、荒い呼吸を繰り返している。それでも尚、冥を守るように立ち上がろうとする姿が痛々しいがそれも叶うことなく、深い傷によってフラフラと倒れてしまう。



(どうしよう……。私のせいで、私のためにこのままじゃ…閻魔様が死んでしまうかもしれない…!!わたし、私のせいだ…私が連れて行ってほしいなんて頼んだから…!!)


どれだけ悩んだところで、悪鬼が消えるわけはなく。またもや波動を作り出し、閻魔目掛けて放とうとしていた。


「やめてっ!!!!!!!!」


閻魔を庇い、咄嗟に前へ出る。

何かに導かれるように思わず両手を翳すと、眩い光が二人を包んだ。


「ごほっ、!っ、冥、御前……。」


冥の髪は白銀へと色を変え、瞳は金色に輝いている。

それだけではない。漆黒のようであった閻魔の髪も、美しい白銀へと色を変え、紅く燃ゆる炎のような瞳も冥と同じく金色に染まってたのだ。


そして、揺らめく青い炎が冥の手のひらへ宿る。

閻魔が作り出す紅い炎と似通ったそれを悪鬼へ向けて放つ。


炎を正面から受けた悪鬼は苦しそうに呻き、暴れ出す。

すぐに立ち上がり、もう一度炎を生み出そうと手を空に掲げると、その手は何者かによって阻まれた。




「冥、恩に着る。げほ、あとは、私が。」


咳き込み、腹を抑えたままの閻魔が冥の手を制したのだ。


「っ、駄目です!閻魔様……!私が「問題ない。」……!!!」



「好いた女にいつまでも守ってもらうほど、ヤワじゃない。御前はここにいろ。」


閻魔のあまりの威圧感に力が抜けた冥の手をやさしく押し退け、閻魔は立ち上がった。先程までの彼とは決定的に何かが違う。


傷こそまだぽたぽたと血が流れたままであるが、白銀色に変わった髪はまるで生きているかのようにゆらゆらと揺れ、黄金の瞳は獲物を前にした獣のようにギラギラと光彩を放つ。


地獄のような高笑いが冥界に響く。


「ふふ、あはははははははははは。

はこの地獄を統べる閻魔大王だぞ。

貴様らのような陳腐な小鬼、造作もない。さて、すぐにでも俺の前に平伏させてやる。」


冥の炎を浴びて、未だ呻き暴れる悪鬼の元へ閻魔は人の目には見えないほどの速さで近寄り、宙へ手のひらを揺らめかせ、一際大きな炎を作り出す。







「この俺に傷を負わせたこと、この地獄を滅茶苦茶にしてくれたこと死んで償え。」


「終いだ。」








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