五 治めし者
飛び散る
先程までの彼とは違う。私を守るように立ちはだかる後ろ姿は確かに、この地獄を治めし者の姿であった。
移りゆく
「
まばゆい光に包まれ、何も見えないその中で
眩しさに目をぎゅっと瞑りながらも、冥は言われた通りに抱えられている閻魔にしがみつくように力を込めた。
ふと、眩しさが無くなりその代わりにいくつもの話し声が飛び交う喧騒が聞こえる。冥はこれでもかと言うほどきつく閉じていた目を、少しづつ開いた。
「嘘……」
そこには信じられない光景が広がっていた。
赤い橋の向こうで赤褐色のとてつもなく大きな建物が建っている。金や緑の装飾はキラキラと光り輝き、ところどころ透けた
けれども、それらの高尚な雰囲気とは相反するように周りはどうにも騒がしく、人が忙しなく行き交っている。
「
「は!閻魔様が裁きをされた
「よし、わかった。ゆくぞ、私に続け。」
「御意のままに」
何が何だかわからず、ただただ閻魔と戒の話を聞いていた冥であったが、ふと自分の身がまだ閻魔に抱えられたままだと気づく。
「あ、あの!自分で歩けます。もう大丈夫なので、降ろしてください。」
「冥、すまない。もう少し、我慢してくれ。」
懇願するも、閻魔はまたもや「自分を信じて欲しい。」と言わんばかりの瞳でこちらを見つめ、その言葉に何も言えなくなってしまった冥を確認すると、その刹那。
とてつもない速さで、街の中をすり抜けてゆく。
抱えられているこちらが振り落とされてしまうのではないか、という程のスピードだが閻魔は自分を守るようにやさしく、そして強く抱いたまま。
いくつもの建物を後にし、勢いよく駆け抜ける。ふと、彼を見上げると瞳は紅く光っており、真剣な面持ちでただ、ただ前だけを見つめていた。
町を抜けた先、石畳でできた大きな広場の周りを赤い彼岸花が狂い咲くように囲っている。
広場には何人もの人々が中心にいる何かから逃げるように、怯えた表情で座り込んでいる。
混乱の最中には泣いている子供もおり、母親らしき女は子どもたちを守るように抱いている。
閻魔は冥をそっと、地面へ下ろすと混乱に陥っている人々へ言い放つ。
「
閻魔の登場に、人々は安心したようで先程までの混乱が嘘のように皆安堵の息をついている。
その証拠に、「閻魔大王様だわ…!!」「あぁ、閻魔様が来てくださった!」「良かった…閻魔様が来てくださったのならもう安心だ!!」といった安堵の声が次々と聞こえてくる。
「冥。こちらで、待っていてくれ。すぐに片付ける。戒、冥を守れ。」
「かしこまりました。」
閻魔はふわりと、冥の頬を撫でると紅の羽織を翻し、踵を返す。
「睡蓮!あとは私が対処する。お前は下がっていなさい。」
睡蓮、と呼ばれた男は深緑の髪を低い位置でまとめており、口元にはほくろがある。
彼は手にしていた刀を鞘に収め、広場の中心から退く。
「あ、あの!あの化け物は一体なんですか!?」
今、閻魔が相手をしようとしている者はとてもじゃないが普通の人間ではない。
鬼のような角を生やし、その目は真っ黒で、正気を失ったように閻魔に襲いかかる。
「
「悪鬼…?」
戒はいつでも動けるよう、右手で冥を庇いながら答える。
「死んだ人間に、取り憑いてこの冥界を滅茶苦茶にしようとする鬼だよ。特に生前の罪が軽い者に取り憑くことのできる悪鬼はかなり厄介だ。
逆に、生前が罪人である何かしら目に見えて大きな罪を背負った者へ取り憑いている悪鬼はそこまでの強さは持ち合わせていないんだ。善人に憑くことができるってのは、その悪鬼自身の力が強いってことだからな。でも、悪鬼に取り憑かれている者は屍人と言えど元は人間だ。
俺たちは一応敬意を込めてそいつらを『お憑き』って呼んでんだ。取り憑かれる基準や原因はまだわかっていない。そもそも、この冥界に奴らが
「鬼って、そんな…。閻魔様は大丈夫なの…?」
「睡蓮」と呼ばれた男も、とても苦戦しているように見えた。
すんでのところで閻魔によって、退いたようだが今はその閻魔が一人で悪鬼の相手をしようとしている。
「おいおい、おひいさん。あんた、閻魔様を侮りすぎだぜ。悪鬼は俺やさっきまで戦っていた睡蓮て奴も
俺たちが相手をしても、器の人間ごと滅することしかできないからな。この地獄を守る者として、俺や睡蓮、もちろん閻魔様だって、それは避けたい。閻魔様は強い御方だ。悪鬼ごときに引けはとらない。ほら、よく見てろよ。あの御方の強さを。」
戒が「ん。」と、顎で指した方向では恐ろしい顔をした悪鬼が、閻魔へと飛びかかろうとしていた。
閻魔はそれをいとも容易く避けると、おもむろに右手を宙に掲げ、ゆらゆらと揺らした後にぐっと力を込めて握りしめる。
じりじりと寄ってくる悪鬼を避け、一定の距離をとると握りしめた拳を前に突きつけ一気に拳を開いた。
「はっ!」
真っ赤な炎が燃え上がる。赤い、というよりも赤黒い。
地獄の底のような炎を一身に浴びた悪鬼はとてつもない
だがそれも束の間、
悪鬼の動きは確かに素早く、攻撃も一度受けたらとてつもない大怪我だろう。
けれども、戒の言う通り閻魔はそれ以上だ。
いくら、素早い攻撃であろうともその
「さあ、これで終いだ。さっさと、高潔なその器から出てゆけ。」
閻魔がトドメを刺そうと、右手を宙へ掲げた瞬間。
悪鬼は突如、地鳴りのような奇声を発し閻魔ではなく、こちらへ向かってくる。
「…!!!」
冥を守るようにして構えていた戒は、すぐにさしていた刀を抜くと、襲いかかる悪鬼に振りかざす。けれども、先程の奇声で更に悪鬼の力は膨大となったのか、戒はギリギリの状態で何とか食い止めている。
「クッソ…!」
それもつかの間、悪鬼の一際力強い攻撃により戒は弾き飛ばされてしまった。
いよいよ、悪鬼は冥目掛けて飛びかかろうとする。
「あ…、嫌…!!来ないで、!」
じりじりと距離を詰められ、冥は後退ることしかできない。恐ろしい顔をした悪鬼への恐怖から全身がガタガタと震え、涙が頬を伝う。
(どうしよう…足がすくんで…。)
今すぐにでも逃げようとするが、ガタガタと震える足はすくんでいた。
と、その時。
「お前の相手は私だろう?余所見をされてしまっては困るな。」
先程まではなかった黒い翼を羽ばたかせ、今度は両手に炎を宿した閻魔が冥の目の前に舞い降りる。
飛び散る焔。
ふと、こちらを向き冥を見つめたその瞳の中、ゆらゆらと揺らめいていた炎は今や、紅く、紅く燃え盛っている。
先程までの彼とは違う。冥を守るように立ちはだかる後ろ姿は確かに、この地獄を治めし者の姿であった。
「さあ、茶番は終いだ。早くその器を返してもらうぞ。」
両手に宿した炎を悪鬼に向かって放つと、悪鬼はそれらをすぐに
けれども、その炎は消えることはなく悪鬼を素早く追いかける。
次第に炎と悪鬼の距離が縮まる。
炎に夢中になった悪鬼がこちらに背を向けた瞬間、閻魔はすぐさま右手に炎を作り出し、ふぅとやさしく息を吹きかけ、それらを悪鬼に向けて飛ばした。
「穢れし悪鬼よ、出てゆくがいい。この閻魔大王が炎の中に滅そう。」
閻魔の吹きかけた炎に包まれた悪鬼はやがて、紫の煙を
「戒!この者を頼む。」
先程、悪鬼に弾き飛ばされたにも関わらず閻魔の命令により刀を
(怖かった……。)
悪鬼の瞳は深い闇のように真っ黒に染まっていた。怨みなのか、辛みなのかわからないほどの感情に支配された顔は鬼よりも恐ろしい。
安心したためか、またもやぽろぽろと涙が溢れ出てくる。皆が、戦ってくれていた中自分だけ涙を流し、迷惑をかけるわけにはいくまいとゴシゴシと目を擦るがなかなか止まってはくれない。
すると、カツカツとブーツを鳴らした閻魔がこちらへやってきた。冥は思わず、涙が溜まった目で彼を見上げると、ふわりと抱きしめられた。
「え、閻魔様……?」
唐突な出来事に、冥が困惑していると閻魔はつとめてやさしい声で言う。
「すまなかった…。
冥はゆっくりと、閻魔の肩を押しその顔を覗くと瞳の中の炎はこちらを心配するように小さく揺れていた。
「あぁ、こんなに泣いてしまって…。そんなに擦っては、御前の綺麗な瞳に傷がついてしまう。」
ぽん、ぽん、と閻魔は赤い
現世では閻魔大王は恐ろしいものだ、考える者がほとんどであろう。それもそのはず、人は一度死んだ者が生き返ることはない。そもそも閻魔大王が死後の世界に実在するかどうかなど、生きている者では確かめようがない。そのせいか語り継がれている書や絵画では、閻魔はそれはそれは恐ろしい表情で地獄の番人をしているのだから。
けれども、冥は大きな勘違いをしていたのかもしれない。今目の前にいる彼は紛れもない閻魔大王だ。その実、冥界の人々を守るため、冥を守るため焔を散らす彼はきっと強く、やさしい人なのだ。それは全て、彼の瞳や先程の出来事が物語っている。今、自分を心配するように揺れる炎は冥にとって、とても暖かいものに感じられた。
「ごめんなさい。こんなことで、泣いてしまって。閻魔様は命懸けで私を守ってくださったのに、急なことばかりで何が何だか…。」
突如現れた閻魔大王。
そして、またしても突如連れてこられた冥界。それに加えて、先程の悪鬼。今ですら、まだ悪い夢を見せられているのではないかと思うほどだ。
そんな冥をみて、閻魔は穏やかな口調で言う。
「いいや、御前は悪くないさ。説明も無しに危険な目にあわせてしまったのは私の落ち度だ。私を信じて、ここまで来てくれたことに感謝している。そして御前を泣かせてしまったこと、どうか許して欲しい。」
閻魔はおもむろに冥の左手を
突然の出来事に、冥は顔に熱が集まる感覚がする。口をパクパクさせて、何も言えずにいると彼はくすりと笑って、ほっとしたような口ぶりで言った。
「おや、顔が赤いな?あまり可愛らしい反応をしてくれるな。」
「え、閻魔様が急にこんなことするからです!もう!からかわないでください!!」
「ふむ。私は存外、本気なのだがな。まあ良い、時間はある。これからじっくりと御前に愛を囁いていくこととする。」
彼は顎に手を当てて、さも当然というような口ぶりで言う。
顔色一つ変えずにとんでもない言動ばかりの閻魔に、冥は思う。
(完全にこの人のペースに振り回されている気がする…。)
そもそも、なぜ閻魔が自分をここへ連れてきたのか、自分に固執するような素振りをみせるのか、そして何より父のことだ。
本来の目的を思い出し、ハッとする。
「貴方はどうして私に固執するんですか?私を守ってくださる理由もまだ聞いていません。この世界へ私を連れてきたことも、父のことも…。」
冥が真っ直ぐに閻魔を見つめると、彼はやさしく笑って言った。
「あぁ、そうだな。順を追って説明しよう。
けれど、これだけは先に言わせてもらうぞ。」
閻魔は左手で腰を抱き寄せ右手で冥の手を取り、ぐい、と一気に距離を縮める。
色艶やかな紅い髪が風に
「私は御前を愛している。御前はこの私の婚約者だ。これから末永く宜しく頼むぞ、
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