三 閻魔、降臨

それから程なくして部屋に夕食の御膳が運ばれ、お言葉に甘えていただくことにした。さすが、お寺と言うべきだろうか。世にいう精進料理というやつで、肉や魚は見当たらない。けれど、どれもやさしい味付けで美味しいものだ。


夕食を済ませた後、父の遺品だと渡された品々と冥は向き合っていた。古そうな箱から新しいものまで、どの箱から開ければよいのか逡巡したが一際目に付いた赤い箱から開けることにした。赤と言っても、赤一色ではない。上の方の赤からグラデーションにならって下の方は黒い箱だ。丁寧に開けると、中には1枚の白い封筒と数珠のようなものが入っている。

もしかしたらこの封筒が躑躅つつじの予想した遺言書なのかもしれない。


「良かった…あった。」


丁寧に丁寧に、封を開けてゆく。封はなぜだか赤い紐のようなものでされており、しゅるりといとも容易く解くことができた。中の便箋を取り出し、開く。



めい

これを読んでいる頃には、俺は死んでいるのかな?神隠しにあっている?どちらにせよ現世にいないのは確かだ。冥をこれから1人にしてしまうこと、どうか許して欲しい。それはそうと、おまえには閻魔大王様の御加護がある。きっと、おまえは幸せになれる。おまえにはこれからしばらく、たくさん苦労をかけてしまうことになるかもしれない。でも、大丈夫だ。きっとあの方は、おまえを愛してくれる。守ってくださるよ。

何があっても、あの方を信じて。おまえの意に反することだというのは、わかっている。でも、おまえを守るにはこれしか方法がないんだ。

大丈夫、おまえは幸せになるよ。


篁世たかせ



手紙を一読するやいなや冥は混乱した。そもそも内容の意味が理解できない。閻魔大王の御加護とはどういうことなのか。加えて"あの人"とは誰のことなのか。聞きたくても、答えてくれる父はいない。何も知らない冥からしてみればそれは意味のわからない文章の羅列に過ぎなかった。


「どういう意味なの…?」


不安に駆られ、ふと一緒にしまわれていた数珠に目を移す。すると恐らく、先程まではなかったであろう黒いカードが目に入る。見落としていたのだろうか。先程までは、この白い封筒と数珠のみだったはずだ。それとも、この白い封筒に入っていたのが落ちたのだろうか。不思議に思い、カードを拾い上げる。

そこには白い文字でこう書かれていた。


"本日、うしこく六道ろくどうの辻にて、御前おまえを迎えにゆく。閻魔 "


「え…?」


文字は昔の字のようで、酷く達筆で読みにくいが間違いなくそう書かれている。六道の辻とは、この寺の入口にある石碑のことだろうか。


「本日、丑の刻って…。」


冥は急に怖くなり、急いで時間を確認する。

現在の時刻は二十二時。夜中の二時を指す丑の刻まではあと約四時間であった。


しかもこの文は父が書いたものではない。差出人は『閻魔』と書かれているし、何より先程書かれた父の遺書とはまるで字体が違う。なにかの悪戯いたずらだろうか?恐怖と緊張感から嫌な汗が頬を伝う。元より、幽霊や妖の類を信じてはいないが父の死が原因不明であること、そして先程の躑躅の話、加えて自分が今いるのは冥界と縁の深い場所。全て辻褄が合ってしまうような気がしてならない。

夜中の二時にこの寺の入口にある六道の辻の石碑の前へ本当に"閻魔大王"が来るのだろうか。まさか、そんな迷信のような話あるわけがない。けれども、ならばこのカードは一体なんなのか。


行けば父のことについて何かわかるかもしれない、という期待と何が起こるかわからない、という恐怖とがせめぎ合う。そもそもこのカードには"本日"と書かれている。もし仮に父の悪戯だとしても、なぜ今日冥がここへ来ることを見越せたのか、など不可解な疑問ばかりが浮かんだ。




その後、他の箱も開けてみたがこれといって父の死に関連するものはなかった。今まで父が書いてきたであろう論文のようなものや、他の研究家たちの名刺、研究結果など冥がみても何かがわかるようなものではなかった。


ふぅ、と息をつく。

他の箱を開けている最中、躑躅が布団の準備をしてくれると部屋を訪ねてきた。その際にこのカードことを話そうか迷ったが、先程の会話を通して躑躅もなにか隠していることがある、或いは父のことについて何か引っかかっているであろう様子が伺えた。そもそも躑躅が信用に値する人物なのかどうか、冥もまだ測りあぐねているのだ。ここで躑躅にこの事を話すのは得策でないということくらい、霊感や妖への知識がない冥ですらわかる。


時刻は午前一時。記された時刻の一時間前だ。


(何が起こるかわからない。でも、お父さんの手がかりになるかもしれない。それに閻魔大王だなんてただの迷信だよね。きっと、お父さんを知ってる誰かの悪戯に決まってる。)


そう自分に言い聞かせながら、冥は丑の刻。六道の辻にて、誘いを受けることにした。





音を立てないよう、ゆっくりと部屋の襖を開ける。勝手に寺内を歩き回っていることが躑躅にバレてはまた怪しまれてしまうかもしれない。あと五分ほどで丑の刻、午前二時となる。音を立てないことに細心の注意を払いながら、ゆっくりと寺務所の入口へ向かう。外は中からでもわかるくらいに相変わらずの大雨が降りしきっている。

そこで気がつく。もしかしたら、外への扉を開けてしまう際、酷い雨の打ちつける音が響いてしまうかもしれない。


「どうしよう…。早くしないと二時になる。」


その時、ふと躑躅の言っていたことを思い出した。



"庭にはひとつの井戸がありましてね。"



(庭…。庭…!正面の扉から出るのはリスクがありすぎるし、冥土通いだかなんだか知らないけどその庭からなら外へ通じているかもしれない…!)



すぐに踵を返し、目を閉じて耳を傾ける。先程の冥土通いの井戸の話を聞き、恐怖心がないわけではないが、いかんせん今はもう時間がない。それに、あの後躑躅は作り話だと言っていた。雨の音を頼りに、冥はその庭がみえるという部屋を探す。躑躅たちが寝起きしている部屋や客間からは距離があると言っていたから、それとは真逆の東の方向かもしれない。


寺の東の方向へ向かって、またもや足音を立てないように庭に面した部屋を探す。だんだんと雨音が近くなってゆく。入口からみて東側、そしてまたその奥。北東の位置に一際雨音が聞こえる部屋を見つけた。


(ここみたい。きっと、もう二時になってしまっているはず…。誰かが待っているかもしれない。)


慎重にその部屋の扉を開くと、冥は驚いた。確かに庭があり、庭の一番端の方に井戸のようなものもある。井戸の話は作り話ではなかったのか。それとも、その後が躑躅の作り話だったのか。けれど、そんなことよりもこの部屋は庭があるにも関わらず戸が閉められていなかった。縁側は雨で水浸しであるし、何より畳も縁側に近いものは濡れていて湿っているからか特有の匂いがする。その光景に呆気にとられていたが、ふと襖を開きっぱなしなことに気づきすぐに後ろ手で襖を閉めた。


滑らないよう、ゆっくりと庭の方へ向かう。持ってきていた靴を庭に出し、縁側へ腰を下ろした。そこではたと気づく。生憎あいにくと傘を持ってくるのを自分はすっかり忘れていた。冥は土砂降りの空を見上げたが、迷っている暇はない。


靴を吐き終え、立ち上がる。庭の端、井戸とは真逆の方向にある正面へ出られるであろう扉へ向かおうとした、その時。


井戸全体が青白い光に包まれている。


「な、なに…?」


雨が降りしきっていると言うのに、まるで井戸の周りだけは雨を通さないような、そこだけ別空間のように異彩を放っている。

先程までは普通の井戸だったはず。


冥は思わず、足を井戸の方向へ向ける。すぐそばまでくると、井桁いげたに両手をかけ思い切って未だ青白い光を放ち続ける井戸の底を覗いた。


するとその瞬間、底から何かが這い上がってくるようにとてつもない光に包まれる。


「きゃっ!!!!!」





「おや。六道の辻にて、との約束だと思っていたがわざわざ私を出迎えてくれたのか?」



地獄の底のような、真紅の瞳。


無造作にまとめられた暗闇のような長い髪は毛先につれ、燃え上がる烈火の如く紅い。


現実味のない白い肌に、明らかに現世の者ではない豪華絢爛な着物をなびかせる。




「御前を迎えに来たんだ、冥。嗚呼、怖がる必要はない。私は御前に、ずっと焦がれていたんだよ。」



身を引いた勢いで尻もちをついた冥に手を差し伸べ、男は言った。




彼の真紅の瞳の中で、炎がゆらゆらと揺れめいている様を冥は時が止まったようにみていた。



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