第18話 叡智を感じる

「お、おはよ」


「おはよう、こころ」


 あれから翌日、気まずさを感じながら鈴に挨拶すると、いつも通りの空気で返事が帰ってきた。ちょっと安心する、鈴の思い遣りをないがしろにしてしまった後ろめたさがあったから。


「……昨日はごめん、鈴」


 だから、素直にそれを口にできた。昨日の夜、一人でウジウジ考えてたのだ。僕は光くんに、どう言ってあげるのが正解だったんだろうって。


 けど、"ごめんね、光くんとはお付き合いできないんだ"と言うしかないって結論しか出せなくて。結局、僕が逡巡している間に、鈴が汚れ役を買ってくれただけだと、寝て起きた瞬間に結論を下すしかなかった。


「こころ」


「はい」


 鈴の優しさに申し訳なくて、朝一番に謝った僕に、鈴はいつも通りに無表情で。


「良いよ」


「……うん」


 けど、やっぱり優しい。思えば、いつも様子がおかしいけど、鈴はずっと優しかった。


 いつか、鈴の優しさに恩返ししないと。

 そう思うけど、そのためにも先ずは男に戻らなくちゃいけなかった。じゃないと、女の子の僕は鈴に匿われて過ごすしかないし。


「ただ……」


「ん?」


 でも、今回は鈴の言葉は、そこで終わらなかった。無表情なのは変わらずに、けどその目はちょっと不満気に揺らいで。


「デート、残念だった」


 しんみりと口にした言葉に、思わずドキッとした。

 僕とのお出かけを惜しんでくれていて、未練を持ってくれてるってわかってしまったから。


「ご──」


 咄嗟にごめんねって口に出そうになったけど、そんな僕の唇を、鈴はそっと人差し指で押さえて。


「だから、埋め合わせ」


 じーっと、僕の目を覗き込みながら、さり気ない様に鈴は告げた。


「しても、良い?」


 嘘を吐けなくなる瞳に覗き込まれて、反射的に僕はたくさん頷いていた。何だか、最近の鈴はとてもアクティブだった。




「ねぇ、鈴」


「何、こころ」


「……埋め合わせするって言ったけど、これおかしくない?」


 あれから、どうしてか僕はソファに座らされていて、鈴は僕の膝に座っていた。なんで?


「犯しい? もしかして鈴、後背位で挿入されているパコか!?」


「おかしいのは、お前の頭もだよ」


 いつの間にか起床していたエロ犬に、煽られる状況。でも、この暑い日に、こんなことをしてくるのは意味がわからない。これ、本当に埋め合わせになってるの? なってるとしたら、どうして?


 深く考えたら、何かに気付いてしまいそうだけど、考えずにはいられない状態。


 鈴がすごく近くて、良い匂いがする。鈴が体重を掛けてくると、軽い鈴の重さを感じられて、顔が首筋に埋もれる。膝をサワサワされるとビクッとしちゃって、エロ犬が感じているパコか? なんてカスみたいな合いの手を入れてくる。


 ……でも、否定しても仕切れないくらいに、なんだか如何わしく感じてしまう。暑くて汗が出てきて、なのに鈴は暑さに耐性があるのか涼しい顔をしてる。僕だけ意識してるみたいで、恥ずかしくて仕方ない。


「本当はね」


「……何?」


「こころに、ジャージを脱いで欲しかった」


「本当に何!?」


 その上、とんでもないことを言ってくる。鈴のジャージを脱いだら、僕はあの妙にキマってしまってる魔法少女姿にならざるを得ない。それで鈴と密着なんてしたら……。考えるだけで、変になりそうだった。


 鈴、今日は完全にセクハラモードに入ってる。いつもだったら、ちょっとベタベタするくらいなのに。今日に限っては、下心めいたものを察してしまう。


「こころ、大事なこと」


「何が!?」


 しかも、なんか詭弁を弄そうとしてる。ジト目で、鈴の首筋を見つめてしまう。赤らんでいるけど、汗ひとつない首筋だった。


「私はね、こころでしかエッチな妄想ができない」


「……そう、言ってたね」


「だから、こころを定期的に摂取しないと、エッチな妄想ができなくなる」


 それで良いんじゃないかな!


 咄嗟にそう言いたくなるけど、詭弁なはずなのに至って鈴は真剣な口調をしてる。暑さとエロ犬のせいで、鈴の頭はピンチなのかもしれなかった。


「だって、私だって魔法少女になったから。──こころと一緒に戦う、シコティッシュベルに」


 困ったことに、言い分の筋は通っちゃってる。魔法少女はエッチな気持ちがないと魔法を使えない、本当におかしな異世界魔法だから。


「鈴、一つ聞いていい?」


「なに?」


「……シコティッシュベルって、何?」

 

 ちょうどいい機会だから、ついでに聞いてみる。一度耳にした時もおかしいと思ったけど、二度目もやっぱりおかしく感じてしまったから。


 ていうか、もっと良い名前があったと思うんですけど!

 何だよ、シコティッシュベルって。絶対エッチな意味に違いない、そうとしか読み取れない。よりにもよって、エロ犬側に合わせるのが、本当に意味がわからない。


「シコティッシュベルは、シコティッシュベル。こころでエッチな気持ちになって、それを魔力に変えて戦う女の子の名前」


「エッチな気持ちで変身するから、エッチな名前をつけたってこと?」


「流石はこころ、よく分かってる」


 こんなこと、よく分かりたくなんてなかった。というか、鈴が僕でエッチなことを考えてること自体、意識すると頭がおかしくなっちゃいそうだ。なんでこんなこと、なっちゃったんだろうね……。


「性器の味方、パコも精子の頃に憧れていたパコ」


「せめて子供の頃って言え」


 エロ犬がドカスな茶々を入れてくれたお陰で、辛うじて正気を保ててる。こいつのカスさも、偶には役に立つことがあった。あと、性器じゃなくて正義だし、頑張って譲歩しても性技くらいだ。性器の味方だと、多分泌尿器科のお医者さんになっちゃう。


「だから、こころも魔法少女として戦う時は、一緒に名乗って」


「嫌だよ」


「一緒に口上も考える」


「嫌だよ」


「今日からシコティッシュハートを名乗って」


「嫌すぎるよっ!」


 最早疑いようもないくらい、鈴は完全にふざけていた。無表情なのに、目はイタズラっぽく煌めいてる。


 ここで、やっと理解した。昨日のこと、実は無茶苦茶気にしてて、鈴は報復に来ているんだって。

 気にしてないって言ったくせに!


「報復の仕方がいやらしすぎる!」


「いやらしいのは、ジャージの下にエッチなレオタード着てるこころ」


「変身したら鈴も着るじゃん!」


「私はエッチじゃないから」


「嘘つき!」


 鈴だって、色違いだけど同じものを着てるんだから、間違いなくエッチだしっ。というか鈴、あんな格好してたんだよね……。あの時はそれどころじゃなかったけど、よくよく思い出すととっても際どかった。それに、エロ犬曰く、あそこの布ってズラせるらしいし。


「……こころ、私ってエッチかな?」


 そんなエッチな鈴は、上目遣いでおかしなことを聞いてきた。鈴はエッチかどうか、そんな問い掛け。それに、僕は迷いなく頷いた。


「あんな衣装着て、エッチじゃないわけないでしょ!」


 冤罪ハイレグレオタードを吹っかけられて、頭に血が昇ったまま答える。


 あの時、僕がクジラさんにされてしまったのは、半分くらいは鈴がエッチな格好でギュッとしてきたせいだしっ! 鈴がエッチ過ぎたから、お潮が出ちゃっただけだし!! お漏らしじゃないから、恥ずかしくないし!!!


 キッと鈴を睨む。

 僕はエッチじゃないし、鈴はエッチだと訴えるために。


「鈴はスラッとしてるから、身体の線が出ちゃう格好してるとずっと見てたくなっちゃうしっ。お股が際どくて、ダメなのにいっぱい見ちゃうしっ。そもそも、鈴が可愛いからエッチ過ぎるし!」


 鈴の顔は、表情は微塵も変わらないのに言葉を重ねるごとに赤くなっていく。

 効いてるっ! 確信を持って僕は、トドメに溜め込んでいた気持ちを言葉にする。鈴が二度と、僕のほうがエッチだなんて言い出さないように。


「鈴の方が、僕よりずっとずっとエッチなんだよっ! 女の子で、可愛くて、素敵でっ! なのに、僕の方がエッチだとか、そんな嘘ついたらダメでしょっ!! 鈴、分かった!?」


 感情のままに叫ぶと、鈴はリンゴみたいな顔色になって頷いた。


 よしっ、勝った!

 息も絶え絶えになりながら、思わずガッツポーズをする。失われそうになってた、男としての尊厳が戻った気がするから。


「……あのね、こころ」


 そうして鈴は、真っ赤な顔のまま、魔法少女に変身していた。

 ……なんで?


「今度は逆、するね?」


 真っ赤なのに無表情を保ったまま、鈴は僕を抱きかかえたままソファへと座る。……え?


「な、なに、どうしたの鈴?」


 鈴から答えはなくて、ただ抱きしめられる力が強くなる。絶対に離さないって、そんな感じの抱きしめ方。本当に鈴、一体何なのこれ!?


「こころ、格好いい告白だったパコ」


「エロ犬、なんかした! 何なのこれ!?」


「なにって、こころが鈴に告白して、鈴はそれを受け止めたパコよ。若いって、良いパコね~」


 ”レズ妊活頑張るパコよ”と言い残して、エロ犬はそっとフェードアウトしていく。とことん役に立たない上に、一言余計なカスだった。


「告白、されちゃったんだね、私」


「違うから、一言も告白要素なかったからっ! エロ犬のクソバカな妄言に騙されないで!」


 ぬいぐるみみたいに抱きしめられて、耳元で鈴が語りかけてくる。小さな声で囁かれて、背中のゾワゾワが止まらない。鈴の息が、耳に当たってゾクゾクする。


「──こころ、私のことエッチだって思ってたんだ」


「それ、はっ」


 全身をムズくされて、それからそんなことを言われる。違う、なんて言えない。だって、さっき実際に口にしちゃってたから。正気に戻りたいのに、鈴に耳元で囁かれるとそれができない。


「エッチな目で、見てくれてたんだ」


「っ、だって、そんなのっ」


 鈴の柔らかい肌を、薄いレオタード越しに感じる。緊張で敏感になってる神経が、感じる鈴のこと全部を僕に伝えてきてしまう。


 鈴の柔らかさ、背中越しにスリスリされることで分かる気持ちよさ。逃さないって抱きしめられながら、優しく手で身体を触られる恥ずかしさ。鈴の吐息や体温が、今までで一番近くに感じられる。


 ──そっと、ジャージのファスナーに手を掛けられた。


「す、鈴、何してるの!?」


 ハッと目が覚めたみたいになって、問い掛ける。

 僕、何されそうになってるの?


 すると鈴は、耳元にふぅーって息を吹きかけてくる。ビクンって背中が跳ねて、今までで一番の緊張が身体を包んで。


「こころ──きっと、私もこころ、エッチな目で見てるから」


「え?」


「だから、脱がすね?」


 そうして、僕はジャージを脱がされて、魔法少女の衣装が露出してしまった……そんな時のこと。


「鈴、こころ、淫行に及ぼうとしているところ申し訳ないパコが、魔力反応があったパコ」


 酷く申し訳なさそうにしながら、エロ犬がそんなことを伝えてきたのだ。──ふと、正気に戻る。


 ……待って、僕何されかけてたの!?

 どうして抵抗してないの!?

 なんで受け入れて、身を任せちゃってたの!?


「……惜しかった」


「危なかったの間違いだよね!!」


「こころ、男の子に戻してあげられるって思ったのに」


 無念そうに、そう鈴は呟いて。

 あれ、とここで気が付いた。


 鈴は、僕が好きな人同士のエッチじゃないと、元に戻れないことを知ってる。両思いでないと、魔法は解けないと理解してるはず。


 知ってるはずなのに、エッチしたら僕を元に戻せる自信があったってこと? それってつまり……。


「こころ、ううん、シコティッシュハート、行くよ」


「うん……」


 上の空のまま、僕は鈴の家を出た。鈴の背中を、定期的に見やりながら。




 そうして、魔力の渦巻いている現場に駆けつけた僕たちを出迎えたのは、一人の小さな赤毛の女の子だった。


 ツインテールに髪を結んで、僅かに上気している顔は、何かを期待するような眼差しをしている。


 ──そして何より、この子もハイレグレオタードを身に纏っていた。


「魔法、少女?」


 思わず確かめるように、呟いた言葉にこの子はパァッと明るい表情をして。


「こんにちは、お姉さん!」


 とても親しげに、嬉しさを隠さないままに、僕に話しかけてきたのだった。

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