5
住井が部屋に飛び込むと、根津と古節が対峙していた。2人とも彼女に微塵も興味を示さない。その間に漂う殺伐とした空気に、彼女は鳥肌が立つのを感じた。
根津はナイフを抜いており、古節に飛び掛かろうとしている。根津の目の色を見た限り、手加減をするつもりはないようだ。吟味している猶予はない。住井は考えるより先に飛び出していた。
根津は住井に気づかずに突進し続けている。彼女はその右手を蹴り上げる。固く握られた拳が緩む感触が足先に伝わる。彼女はそのまま根津を押さえるつもりだった。
彼女の視界の端で古節の目が光ったのを捉えた。古節は腰の後ろに手を伸ばして、拳銃を抜こうとしていた。警官である以上、古節の拳銃の扱いに油断できなかった。住井は蹴り上げた足が着地する前に、二段蹴りの要領で古節の顎をめがけてもう片方の足を振り上げた。
顎を蹴り上げられた古節はそのまま後ろへ倒れ込んだ。着地した住井が振り向いた時には、彼は壁際に座り込んだまま気を失っていた。だが息はしているようだった。
「何を……」
住井の声が、素早い足音と重なる。根津はいつの間にかナイフを拾っており、古節めがけて駆け出していた。ちょうど2人の間にいた住井は、根津が通り過ぎる瞬間にその腕を掴んだ。そして彼女は根津の腕を持ったまま彼の体を背負い込み、そのまま彼の体を床に叩きつけた。
根津の肺から空気が押し出される音とともに、ナイフが床に落ちる。住井はすかさずそのナイフを部屋の反対側に蹴る。
床で大の字になった根津は、きょとんとした顔で天井を眺めていた。先ほどまでのただならぬ表情の面影はまるでない。もしかしたらナイフを握っていた間、根津は身体の制御を別の何かに乗っ取られていたと言われても、住井は信じてしまいそうだった。だが彼の手に握られていた薄汚れた電子キーを見つけた住井はそんな冗談を空想するのを止めた。
「人を殺さない、それがアンタの信条じゃなかったの?」
根津はしばらくしてから瞳を住井に動かした。そしてすぐに、恥じ入るように視線をそらした。
「ごめん、俺には無理だった」
「まだやってみるつもり?」
「息が整ったらもう一度」
か細い声だったが、根津がふざけているようには聞こえない。だが、住井には彼がしようとしていることを虚しいと言い切る自信がなかった。それでも彼は古節を殺してはいけない気がした。殺すことを彼女自身が容認することもいけない気がする。なんとなくで導いた結論かもしれないが、それはそれで彼女に譲れるわけではなかった。
思案しようと住井は視線をぼんやりと動かした。古節はいまは白目をむいた滑稽な表情のまま気絶しているが、動き出したらその迫力は本物の組員と変わらなかった。もしかしたらそれ以上かもしれない。若頭として尊敬を集めているのも理解できる。
「いま殺しても、古節は組のために命を捧げた義理深いの若頭か、捜査の最中に殉職した警察官の鑑として弔われるだけよ」
住井はしゃがみ込んで言った。何かに気づいたかのように根津が目を見開いた。彼女は口の端に笑みを浮かべると、続けて根津に尋ねた。
「どう、ナイフをもう一度取る気はまだある?」
根津はゆっくりと起き上がった。その姿勢から、向かい合って気絶する古節と鏡写しのようだなと住井は思った。下がり気味の首の角度までそっくりだった。だが根津の方にだけ瞳に生気が宿っていた。
根津はうなだれた首を力なく横に振った。
「ちょっといいかな」
突然古節が座る辺りから声がした。住井はすぐに立ち上れるように体勢を直した。2人が同時に振り向くと、古節の傍に木根がいた。騒ぎを聞いて車から抜け出してきたようだ。木根は患者を触診する医者のように古節の様子を見ていた。
「こいつはあと3時間はこのままだ」
平然とした口調で木根がそう告げた。
すでに21時を10分ほど過ぎたところだった。
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