「お前の潜入のために親父が犠牲になったというわけか?」


 ああ、と古節は顔の色を少しも変えずに頷いた。


「手錠の鍵を上着のポケットに入れたら、発砲する口実を作る罠だとも知らずに、まんまと摺って外しやがった。バカなヤツだよ。二十年も拘る価値はない」


 古節は小馬鹿にするように根津を見つめている。根津は彼の目の奥を覗き込んだ。根津はそこに綻びを見つけたような気がして口を開く。


「20年も組に潜入し続けたお前なら、たとえ酒の一杯でしかつながってなくても、親子と名のついた絆が深いことは身をもって承知してるんじゃないのか」


 根津が言うと、薄ら笑いを浮かべていた古節が固まった。彼は静かに根津を睨みつける。根津はここぞとばかりに続けた。


「もしくは若頭の地位に目がくらんだかい。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのことだ」

「お前に何がわかる?」


 突然古節が立ち上がり、根津に掴みかかった。古節のゆがんだ顔が眼前に迫った根津の耳には、奥歯を強くこすり合わせたキリキリという音すらも届いた。


「わからない、さっぱりわからないね」


 根津が片眉を上げて首を振った。

 古節は威嚇するように掴んだ襟を引っ張り、根津を思いっきり引き寄せた。そして机ごと根津を蹴った。根津の体は人形のように倒れ込み、床を転がっていく。


「あの男はバカなヤツだったさ――」


 そう呟きながら根津は立ち上がる。彼は肩で息をする古節をキッと睨みつけた。


「――バカなヤツだったけどな、そんなヤツが俺の唯一の父親なんだ。殺した人間を見つけて黙っちゃいられないよ」


 根津は腰に刺したナイフを抜いた。古節はまだ気づいていない。根津は即座に床を蹴った。

 古節に向かって飛び掛かる根津の目の前を、影が突き上げる。右手に衝撃が走りナイフを離してしまった。根津の手から落ちたナイフが床に叩きつけられて、跳ね上がる。

 根津は咄嗟に身をかがめた。痛む右手を伸ばして再び床に落ちる前にナイフを掴む。勢い余って、身体が倒れそうになる。彼はその勢いを使って床に倒れ込むと、そのまま一回転して体勢を立て直した。

 立ち上がった時には古節が壁にもたれて座っていた。手足は力なく広げられていて、目からは生気が涸れている。根津はこれを好機だと思い、ナイフを突き出し、床を蹴った。

 勢いよく飛び出した根津にあの影が近づいて来る。影が彼の伸ばした腕にまとわりつく。根津に振りほどく余裕もなく、気が付くと彼の視界には天井が広がっていた。右手にあったはずのナイフの感覚はすでに消えている。

 その天井を人影が覆う。


「人を殺さない、それがアンタの信条じゃなかったの?」


住井が床に仰向けになる根津を見下ろしていた。

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