若頭合流

 古節の先導でベージュのマーチは街はずれの幹線道路を進んだ。案内されたのは一階が全て車庫になっているガレージハウスだった。隣にはすでに終業時刻を迎えた駐車場の広い書店があった。人の気配はほとんどなく、代わりに野生動物が潜んでいそうな雰囲気だった。セーフハウスにもってこいの立地である。

 住井は隠れて常時監視している捜査官に案内されるかと思ったが、ガレージには誰もいなかった。ガレージに車を停めて降りてみると、埃っぽい匂いが鼻をつく。


「逃げられないから変な気は起こすなよ」


 後部座席に向かって根津が釘を刺すように言った。どちらかと言えば、そのセリフは古節に聞かせるためのものだった。署長に扮した木根は縄で両手を手すりに縛り付けられていた。もちろん事前に打ち合わせておいた通り、何かあれば一人で抜け出せるような縛り方にしている。

 古節の方へ歩こうとした住井は、根津に肩を掴まれて足を止めた。根津は不安げな表情を浮かべている。住井は何事かと思ったが、彼の目は伏せられており、その真意は読み取れなかった。根津は彼女の耳元に顔を近づけて、囁くように言った。


「タバコ、やめたんじゃないのか?」

「やめていたの、一昨日まで」


 根津に心配そうな顔を浮かべられたことがどうも気に食わず、住井は肩に置かれた彼の手を振り払いながらそっけなく言った。それから彼女は素早く古節に向き直る。


「タバコ吸ってきていいかしら?」

「悪いが外で吸ってくれ」


 そう言った古節が眉をひそめているところを見ると、喫煙自体があまりよく思われていないようだった。根津はそんなことに目もくれず小さく手を上げて言った。


「ついでに俺、トイレ」

「トイレはそっちだ」


 古節はガレージの奥を指さした。それを見た根津は一目散に指の指す方へ向かった。古節は、世話が焼けるとでも言いたげに肩を落としながら独り階段を上って行った。

 最後にガレージを出たのは住井だった。マーチのロックは掛けずにいた。署長の両手を縛ってあるという体でいるのだから、わざわざドアを施錠すると怪しまれかねなかった。

 タバコを吸うと言った時に、古節が見せた嫌そうな顔を思い出すと、ガレージの傍では吸いにくかった。しかたなくガレージの裏に回ると通気口があった。換気扇が回っているのか、外に向かって風を吐き出している。ここなら吸ってもガレージにタバコの匂いがつかないだろうと、住井はその横に立つ。しかしどうしてもまだ吸うのが憚られるような気がした。

 首回りを常時圧迫されるのは心地いいものではない。それが明確に自分を害するものだと認識すると余計に精神をキリキリと穿たれているような気分になる。いい加減限界に近づいているのは住井自身も自覚していた。

 だがまだ先は長い。これ以上続けるには溜まったストレスをタバコの煙に溶かして吐き出すほかはない。

 しかし喫煙の再開を知った根津が浮かべていた心配そうな表情を思い出すとどうも気が向かなかった。その顔を見た時に反射的に抱いた苛立ちを、住井は当初この状況を作り出す一因となった張本人に心配されたくないという思いによるものだと思った。だが彼の態度が住井に喫煙をとどまらせているところを見るとどうやら違うらしいと彼女は気づいた。

 どうせタバコを吸うのは今日が最後になるはずである。明日になればタバコを吸えなくなっているか、吸わなくてもよくなっている。いずれにせよわざわざ喫煙を続けることはない。彼女がその落としどころまで自身を運ぶのに随分時間がかかってしまった。ガレージからトイレの流水音が聞こえてきて久しい。

 ようやくタバコに火をつける気になった彼女は、右ポケットに手を入れた。昔からタバコは決まってそこに入れていたはずだが、彼女はポケットの中で空を掴んだ。反対側、後ろ、しまいにはサイズが小さくてはいる訳のない胸ポケットまで探した。ライターやマーチのキーは見つかった。だがタバコはどこにも入っていなかった。

 房緑組から解放されてから住井はタバコを吸い始めたが、まだ一箱目だ。最後に吸ったのは今日、この仕事に出る前である。その後にシャワーを浴びているし、服も替えていた。

 1つの疑念が住井の頭に浮かんだ。どうして根津は住井のタバコのことに気づいたのだろうか。そして彼女はすぐにその1つの可能性を見つけた。

 彼女はもう一度右ポケットに手を入れた。今度はその位置を確かめるように。マーチは専ら彼女が運転していて、根津はその間助手席に座っていた。

 根津ほどのスリの腕があるなら、車に乗っていたどこかのタイミングで、すぐ横にあった私の右ポケットからタバコを抜き取ることくらい容易いことだろう。

 私はようやく決意したそばから戻らされることに小さく舌打ちをしながら、元来た道を逆にたどった。タバコをスって私に二度手間を掛けるのは根津のやりそうなことではあった。

 ガレージに戻ると、住井はマーチのダッシュボードに見慣れたパッケージを見つけた。やはり根津がポケットからタバコを取ったらしい。住井はもう一度舌打ちをしながらドアに手を掛ける。そのまま引くと、固い手ごたえを返されて、ドアは微動だにしなかった。彼女は首を傾げながらもう一度ドアを引いた。ロックをせずに車を離れたはずだった。だがドアは鍵が掛かって開かない。

 どうやら根津はキーまで盗ったらしい。住井は苛立ちを通り越して子供じみたイタズラをする根津に呆れてしまう。ため息をつきかけて、キーがポケットに入っていたことを思い出した。

混乱し始めた住井は、怒鳴り声で我に返った。男の怒りに満ちた声は、2階から聞こえてきた。そのただならぬ雰囲気を肌で感じ取った住井は咄嗟にすぐさま階段を駆け上がった。

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