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「藪原に調べてもらったんだが――」
根津は体ごと住井の方に向き直る。取り繕うときの彼の癖だ。それを知っていた住井は見向きもしないが、それでも彼は続けた。
「――署長しか閲覧権限を持ってない書類の並びを見る限り、署長直属の対房緑組潜入捜査チームが組まれている可能性が高いらしい」
「そういう大事なことはもっと早く教えてほしかったわね。アンタはいつも後になってから言ってばかり」
「潜入捜査官なんてさして重要な話題でもないだろう。じゃあ何か、俺の今朝からの行動を逐一報告した方がいいのか。朝は目玉焼きを食べた。卵は賞味期限が昨日だった。粉末スープにお湯を……」
根津は口先を曲げながら淡々と述べ始めた。皮肉っぽい口調は止まりそうもない。住井はそれを無視して口を開く。
「藪原に調べさせたのは、アンタが今回の仕事に関係があると思っていたからでしょ。そういうことをなんで私に共有しないのよ」
「藪原に調べさせたのは確かにそういうわけだが、結果としては別に大した話じゃなかっただろ」
「さっきから出てくる藪原ってのは誰だ?」
木根が質問を挟む。タイミングよく話が反れて、根津は嬉しそうに後ろを向いた。
「いま警察にしょっ引かれていった男だ」
「署長のスケジュールを調べていたのも彼。きっと署長と一日署長のスケジュールをないまぜにしていたのよ」
釣られて住井も愚痴をこぼす。彼女は藪原のポンコツさをありありと思い出してため息をついた。
彼女に同調するように木根が言葉にならない息を漏らす。彼はそれとなく根津の顔を窺った。根津への刺激を減らすためか、困惑しきった表情に笑みを浮かべてどうにか取り繕っている。
「そんな男の情報を信用できるのか」
「まあ、大丈夫だろう」
根津の淡白な返事もここまで来ると物音以上の意味を住井には見出せなかった。彼はシートに倒れ込んだまま上の方を眺めており、それが言葉の重みを削るのに一役も二役も買っている。
だが皮肉にも、根津の言葉を裏付けるように、1台の車がマーチの後ろを走っていた。住井が気づいたのは、藪原の事務所を通り過ぎた頃だった。何度か揺さぶりを掛けてみたが一向に離れないことを見ると尾行されているようである。
根津はまだ視線を上の方に向けていた。その先にはミラーがある。彼はずっと追って来る車を観察していたらしい、と住井は気づいた。
前の二人が揃ってミラーを見ているということに木根は違和感を覚えた。ミラーに何が写っているのか確かめるには、木根の位置からは振り向いた方が楽だった。
マーチの後ろを1台の車がついて来ているのが見えた。木根にはその車に何とも言えない怪しさを感じた。一番怪しいのはあの男が単独で運転していることだった。
「古節か」
木根がその男の名を呟く。
「詳しいな」
木根の独り言に気づいた根津が目を丸くして後部座席を向いた。
葬儀場で感じたあの禍々しい雰囲気を思い出して、住井は首の周りが一層締め付けられたように感じた。少しでも不安を紛らわせようと重い口を開く。
「バレたのかしら」
「バレてたら、今ごろ藪原は事務所でジャージャー麺を食べていたさ」
だが住井はなおも怪訝な顔を浮かべていた。根津はおどけて小さく両手を振りながら続けた。
「君なら自分の素性を知っているキーパーソンを諸手を上げて潜入先に迎え入れられるかい?」
「若頭がスパイだったなんて」
後部座席で木根が驚嘆の声を上げた。
さて、と根津は改まったように声を出して、振り返った。彼は居ずまいを正して木根と向き合った。
「付き合わせて悪かった、そろそろ降りてくれないか。これから俺たちの仕事が始まるんだ」
「俺の仕事でもあると言ったら?」
木根が間を置かずに返す。彼に挑むような笑みを浮かべられて、根津は言葉を失った。困惑した視線は住井がすでに向けていた。
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