作戦失敗

「随分早いわね」


 住井が怪しまれない程度にスピードを落としたまま、横目で反対側のビルを窺った。助手席の根津も一目見ようと首を伸ばして住井越しに覗き込む。


「まさか署長が誘拐されたと……」


 そのまま彼女は口をつぐんで苦笑いを浮かべる。隣で根津が嘆息とため息の入り混じった息を吐いた。


「どうやらそのまさかみたいだ」


 根津と住井が立てた警察署長誘拐作戦は失敗した。二人は、房緑組から爆弾を外す交換条件に要求されていた一日ついたち警察署長のつもりが、一日いちにち警察署長を務めていた映画俳優の木根鱒太を誘拐してしまった。作戦を練り直そうと藪原の事務所まで来てみたものの、マーチが到着した時にはすでにビルを警察が包囲していた。

 住井は視界の端で不服そうに歩く人影を認めた。藪原が警察にせっつかれながらビルを出てきていた。


「警察も本気らしい。署長のスケジュールへの外部からの不正なアクセスを辿ってあの男をひっとらえたんだ」


 根津の言葉に耳を疑い、住井は視線を助手席に移す。だが彼は真面目腐った様子を保ったまま続けた。


「ぐずぐずはしていられない。アイツを頼れない以上、ここに留まっている理由はない。もしかしたらもう警察にはこのマーチの人相書きが回っているかもしれない」


 ナンバープレートは別に何枚か支給されていた。街に入る前に念のためナンバーを変えておいたが、ベージュのマーチは目立つ。住井は野次馬が飽きて立ち去るようなそれとなさを装ってスピードを速めた。


「まさか他人のパソコンで警察のネットに入るためだけにわざわざ藪原のところまで行ったの?」


 住井は運転しながら尋ねた。ビルに集結していた警察も遠くなったが、自然と声を潜めている。根津は首を横に振った。


「それだけじゃないさ。ただ藪原はパソコンを持ってもいたから都合がよかったんだ」

「随分と彼の口の堅さを買っているのね」

「アイツが裏切ったっていいさ。そうでもしなけりゃ、最悪の場合取調室で――」


 根津は一度言葉を切って、拳を上向きに広げて爆発を表現した。


「――ボカンだからな」

「どういうことだ、爆弾か?」


 助手席に座っていた木根が2人の間に文字通り首を突っ込む。


「誘拐した俺たちが言えたことじゃないのは十分承知しているが――」


 根津はしばらく唇を噛みしめてから覚悟を決めたように再び話始めた。


「――そろそろ降りてくれないか。なんなら警察署の前だろうと好きな場所まで送っていくからさ。無辜の市民を巻き込むのは俺たちの趣味じゃないんだ」

「警察署長ならいいのか?」


 すかさず木根が言った。平然とした口調だった。さすがは俳優で、平然を装っているようには聞こえない。


「こうなっちまったら背に腹は代えられない」


 根津は襟を下げて首の爆弾を見せた。住井がチラと見た限りでは、つけられてから2日で結構薄汚れているようだった。


「爆弾か」

「今夜零時に起爆する。解除したければ署長を誘拐して来いとさ」


 それを聞いて木根は頷いて見せるが、顔には釈然としない表情を浮かべていた。


「荒っぽいやり方だが、房緑組に釈放してもらいたいヒットマンもいないだろ」

「逆だよ。警察から仲間を取り戻すのではなくて、中から警察を追い出したいんだ」

「潜入捜査官なんて聞いてないわよ」


 住井は思わず声を上げた。動揺でハンドルを握る手がぶれて、車内が揺さぶられる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る