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住井はお宮のドアを閉めて運転席に乗り込んだ。時計を確かめると、丁度いい頃合いだった。エンジンをかけて霊柩車を走らせた。閉じた正門が、フロントライトに照らされて夜道に浮かび上がる。来るときは並んでいた提灯の男たちはそこにはいない。ただ1人、葬儀場のスタッフらしき、薄い顔をした男が面倒そうに立っているだけだった。
住井が運転席から手を振ると、それに気づいた男が合図に応じて、門の脇にあるボタンを押した。ゆっくりと門が開いていく。
門が開くのを待っていると、男が霊柩車の方に近寄ってきた。怪訝とまではいかないものの、納得しきっているとはいえない男の様子が、暗い中でもはっきりとわかった。門はまだ開ききっていない。それどころか、車体が通れるほどの隙間も空いていなかった。住井としてはここで騒ぎを起こしたくなかった。
覚悟と後ろにいる根津への警告を含めて住井が咳ばらいをする。緊張感からは程遠いが、根津もとりあえず静かにしていた。
「どうしたんだ、こんな時に?」
窓ガラスが開くのを待ってから男が聞いた。
「予定だとこの時間に出発ですよね」
住井は事前に決めていた口実を答える。できるだけ声の調子を抑えて、女性であることを誤魔化そうとした。ああ、と男は腕時計を見ながら答えた。住井は、この時間に霊柩車が出発する予定であると知っていた。だがまだ男の不信感を拭えてはいないようだった。彼女は駄目押しで即席の言い訳に頭を巡らせた。
「ドライアイスもそろそろなくなりそうだし、先に斎場に向かった方がいいと思って」
「ドライアイス……?」
男が不可解そうに住井の言葉をなぞった。墓穴を掘ったと住井はすぐに悟った。継ぐべき言葉を見つけられず、男からそっと目を反らす。ハンドルを握ったまま、袖に忍ばせたナイフを引き出した。
男は怪訝な顔を浮かべてバインダーに目を落とした。住井はその隙にアクセルを踏み込んだ。急加速で体がシートに押し込まれる。後ろからは押し殺した驚きの声が聞こえてくる。
霊柩車は門へ向かって一直線に突き進んでいく。開きかけていた扉は、車幅を数センチ越えるほどの隙間しか空いていない。だが住井のハンドルさばきが、そのわずかな隙間に霊柩車をくぐらせた。車体にはかすり傷すらもついていない。
大航海時代に七つの海から集められ、ヨーロッパ貴族やアラブの王族の手を渡った1ダースの真珠「クラーケンの慟哭」は、そのブランド力だけでなく、類まれなる大きさと、きめ細やかな純白の輝きが示す真珠本来の品質も非常に高く評価されており、合わせてスカイツリーをもう1つ建てられるとも言われていた。しかし20年前に横浜の展覧会で盗まれて以降、その消息は分からなくなっていた。「クラーケンの慟哭」が房緑組総長金岡豪造に埋め込まれているという噂がまことしやかにささやかれているが、その真相を確かめるすべはなかった。
住井と根津の目的は、そんな「クラーケンの慟哭」を盗み出すことだった。金岡豪造の葬儀が秘密裡に行われるという情報を得た2人は、今日のために綿密な計画を立てていた。そしてその計画が今晩実行された。
門で男に怪しまれたのが住井には気がかりだった。角を曲がる直前に、ミラーで確かめる。だが、間に合っていないのか追手は来ていない。代わりに棺桶を前に舌なめずりをする根津が写っていた。
根津はゴム手袋をはめて、メスを取り出した。そして彼は大きく息を吸うと、棺桶に向き直る。
「さてさて――」
両の手の平を擦り合わせながら続ける。
「――ご開帳」
「変なこと言わないでよ」
即座に運転席から住井の不機嫌な声が飛んでくる。
「仏さんを収めた箱を開けるんだ、ご開帳と言って何が悪い」
「根津が言うと気持ち悪いのよ」
「変に想像力を……」
根津は突如言葉を失った。声を出そうとしても喉が動かない。何が起こったのかを知る前に彼は壁に叩きつけられ気を失った。
「おい、根津?」
住井が呼びかけても返事はない。振り返ると根津は仰向けに伸びていた。頭から禿頭のかつらが外れているのが見える。そしてその横に置かれた棺桶から、逞しい腕が飛び出していた。
腕は棺桶の蓋を突き破っていた。想像していない光景に、住井の頭は真っ白になった。今の状況を把握できない。彼女は頭に浮かんだ唯一の言葉を口から絞り出した。
「生き……返った?」
「ずっと生きてたわい」
雄叫びのような返事とともに、棺桶の蓋が飛び上がる。それは勢いよく運転席の方へ向かっていった。住井は無意識に体を滑らせてかわす。
次の瞬間彼女が見たのは、棺桶から立ち上がる金岡豪造の姿だった。死に装束を纏ってはいるが、その筋骨隆々とした姿は生気に満ちていた。運転席から振り返り茫然と眺めていた住井を見て、金岡は勝ち誇ったように高笑いを放った。
「残念だったな、これは生前葬だ」
「極秘手術も嘘だったのね」
「いや受けたさ、親知らずのをな。そんな他人の手術ばかり気にしてないで――」
金岡が一度言葉を切り、顎で前を指した。住井は慌てて視線をフロントガラスに戻す。
「――自分の心配をしたらどうだ」
フロントガラスには迫りくる電柱が写っていた。だがその時の住井にハンドルを切る余裕はなかった。
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