第33話 大好物のオムライス
「山名、どういう事だ? 桜琴さん、実家に帰ったんじゃないのか?」
「えぇ!? なんでそんな話になるんです? 何かあったんですか? その前に顔を洗って着替えませんと。髪まで濡れて汗だくじゃないですか。風邪ひきますよ」
とりあえず、自分の部屋に戻り、顔を洗って水色のシャツとジーンズに着替えた。
山名にはこれまでの経緯を話した。
呆れられるかと覚悟していたが、意外な答えだった。
「若様、わたくしめは非常に戸惑っています。まさか若様の桜琴様へのお気持ちがここまでとは……」
「え? ここまでって?」
「とにかく桜琴様に会いに行きましょう。サトも困っていますし」
一生は山名と食堂に向かった。厨房は食堂の奥にある。食堂がすでに少し騒がしい。
波の者たちが何人か、厨房を見ている。
そこでは桜琴が三角巾にエプロンを着て、何やら家政婦たちと作業をしているようだった。
一生は唖然とした。桜琴が何をしているのか分からない。
「あ、坊っちゃん! 今おかえりですか?」
サトが早歩きで一生の元にやってきた。困り果てた顔をしている。
「桜琴様が今日は朝から窓拭きや、庭掃除を手伝ってくださったのですが、さらに調理場の手伝いにまできて、ここは危ないですし、調理など不慣れでしょうから、大事なお身体に傷でもついたら、と思うと……、このサト、居ても立っても居られなくて、お仕事中の坊ちゃんにお電話してしまいました。すみません」
捲し立てるようにサトが話す。
「いや連絡ありがとう、サト。彼女はなんで手伝いを?」
「それがよく分からないのですが、働かざるもの食うべからず、とかなんとかおっしゃってます……」
(は、働かざる者食うべからず??)
一生は
「……桜琴と話をしてくる」
山名にそう告げて、急ぎ足で一生は厨房の入り口に立った。
「桜琴、何してる?」
いきなり話かけられて驚いた桜琴が顔を上げる。悪いことがバレた子供のような表情だ。
桜琴は三角巾に花柄のエプロン姿だった。波の者たちは桜琴のこの姿に見惚れていたのだろう。
一生は無言で厨房に入り、桜琴の右手を強引に引っ張りながら、食堂を抜け、そのまま何も言わず歩き続け、自分の部屋に桜琴を入れた。
どうぞ、と言い桜琴を座布団に座らせた。座卓を挟み、一生も向かい合って座る。
桜琴は怒られると思った。あの件だと思った。
ところが謝ってきたのは一生の方だった。
「桜琴さん、ごめんなさい!! 朝はあんな言い方して本当に申し訳ない」
一生は申し訳なさそうに、目一杯頭を下げた。
「え? 何の事ですか? ちょ、頭上げてください。謝るのはあたしの方なんです」
「ん? 桜琴さん、何かしました?」
「……はい、実はずっと気にはなっていたんですが、こういう事を聞くのも気が引けて、なかなか聞けずに今に至りました」
「はい?」
何のことやら一生には全く思い当たる節がない。
「護衛料金の支払いのことです。今朝、母に聞いたら、そんなの払ってないって。どういう事なんでしょうか。後払いですか? 母がそんな事も確認してないなんて、びっくりを通り越して恥ずかしいです」
「ご、護衛料金?」
「はい、神谷田さんはあたしを守るのはお仕事って言ってましたよね? あたしがここにいる以上、護衛料金と宿泊料金もかかるわけですよ。当然の対価が発生するわけです。なのであたしは神谷田さんと母の間でやりとりしているものだとばかり……。本当にすみません。帰ったら必ずお支払いします」
「あ、あの、桜琴さん? 何の話……」
「護衛料金に宿泊料金は含まれますか? 別料金ですか? 例えば二週間宿泊した場合、いくらぐらいですか? こんな高級旅館みたいな場所に泊まり、ご馳走を食べておきながら、支払い方法を確認もせず、無銭飲食みたいな真似を……。我ながらお恥ずかしい限りです」
「む、無銭飲食!?」
「神谷田さん、確認不足の上、後払いで、本当はこんな事頼めないんですが、母が治るまではここに置いてくれませんか? 山名さんから聞いたんですが、母は怪我が治ったら精霊王とも戦えるんですよね? めちゃくちゃ強いんですよね?」
「あ、いや、それはどうかな……。ま、まぁ、お母様には何か秘策がありそうでしたけど……」
「あたし、精霊王の所には行きたくありません。わけが分からないし。ここで一所懸命、働きますから、もうしばらく置いていただけませんか?」
「…………それで働いてたんですか?」
「そうです。朝、神谷田さん、不機嫌でしたし、でもそれ当たり前ですよね。いい歳した大人がお金を払わずに、人様の家で平気で寝泊まりして……」
一所懸命、話をする桜琴を見ていたら、一生は笑えてきた。
怒っていたのはそんな理由じゃないのに……。
「ふっ、はは。失礼だな、桜琴さんは。私はそんなケチではありませんよ。それにその……、裏稼業はしっかりと国からお給料出てますから。お金は要りません」
桜琴が目を瞬かせる。
「じゃあ、なんで朝、あんなに怒ってたんですか? キャラメルがそんなに嫌いでしたか?」
桜琴がまっすぐな瞳で訊ねる。
「い、いや、それはその私が……」
「私が?」
桜琴が座卓に身を乗り出してくる。
「焼いたんですよ!!」
「焼いた? 誰に?」
「拓とあなたと山名と源次にですよ!!」
どんな焼き餅の焼き方だ、自分で話していて訳が分からない、一生はもう笑えてきた。
ただの変なやつだ。はっきり桜琴に好きだと言えないヘタレな自分。ここまで走って帰ってきて、生まれ変わったんじゃなかったのか、一生は自己嫌悪に陥った。
桜琴はきょとんとした目で見てきたが、やがて納得したように話しだした。
「それって、もうみんなが好きすぎて、今日は仕事に行きたくなかったって事ですよね。みんなと遊んでいたかったんですね。なるほど、だからキャラメルもみんなで食べたらって言ったんですね」
桜琴もわけの分からない解釈をしだした。
「ええ? 今日は確かに仕事には行きたくなかったんですが……」
「神谷田さんでも、仕事に行きたくないって事あるんですね〜。意外」
「人を仕事大好き人間みたいに言わないでください。仕事なんかやってられない事だらけですよ」
「ふふ、なんか人間らしい。仕事の愚痴、初めて聞きました。今日はその焼き餅の中に、あたしを入れてくれてありがとうございます」
桜琴は笑っていたが、突然、瞳に悲しみの暗色を纏った。
「実はあたしの事、嫌いなのかなぁって、あの後ずっと落ち込んでました。でも理由を聞いて安心しました」
「……嫌いなんかじゃない。好きです」
真正面に座っている、桜琴の透明度の高い栗色の瞳をじっと見つめて、一生は言葉にした。
「……あたしも好きですよ。神谷田さんと一緒でみんな好きです!」
(が〜ん。そうきたか。そういう流れだったか? やっぱムードが足りなかったか……)
一生は項垂れた。
「そんなことより、桜琴さん、敬語をやめませんか。その……敬語は寂しいです」
一生はもうこれだけいうのが精一杯だった。目の前に好きな女性がいる。心臓が歓喜のリズムをずっと打ち出している。
「……ふふ、そうですね。敬語はあたしも寂しいです。ちゃんと話せてよかった。さぁ、そろそろ戻らないと。お母さんから電話来てるかも。もう行くね。敬語直せるように頑張る」
桜琴は立ち上がってドアの方に向かおうとしたが、一生に左腕を掴まれた。
「ど、どこにも行かないでほしい。突然出ていくとか、そんなことはしないでほしい」
桜琴は大きな瞳で一生を見た。一生の瞳の中のゆらめきが、桜琴の瞳のゆらめきと重なる。
「……どこにも行かないよ? 急に変なの」
桜琴がえくぼを作って笑った。とても可愛かった。
一生の心の中の土砂降りが晴れて、虹がかかった。
突然、桜琴のエプロン姿が一生には新妻のように見えてきた。
告白(失敗)、恋人、結婚、同居、何もかものプロセスをすっ飛ばしている。
「あ、あの夕飯、オムライスが食べたいんだが」
一生の土砂降りが、無茶振りに変わった。
「オムライス?」
桜琴が首を傾げた。
「ああ、大好物なんだ。もし良かったら作ってくれないか? 無理強いはしない」
「あたしのでいいの? 厨房使ってもいい?」
(しまった!! 彼女はあの殺人兵器『塩饅頭』を作るぐらい、味覚がおかしい時があったな!!)
「も、もちろんだ。話は通しておく」
「じゃあ、また後で!」
そう言って、桜琴はニコニコしながら、ドアの向こうに消えた。
——ま、不味くてもいいや。本当の恋人同士みたいなやりとりができるなら……。少しずつ、一つずつ、君に伝えていく……。
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