第31話 嫉妬の嵐
一旦、部屋に戻って食堂に集合ということになった。
屋敷全体に結界が張ってあるので、妖魔、厄災、物怪などは迂闊に近づけないので、この中では自由にしてもいいと言われた。
一生から『神石』という平たい石をもらった。持ち主の身を一度だけ守ってくれるという。碧い石だった。素敵な色だなと思いながら、小さな巾着袋に入れ、鞄にしまった。
桜琴は手を洗い、食堂へ向かった。時刻は午前八時過ぎだった。
食堂に入ると何人かの波の忍びの人たちがいて、桜琴に挨拶をしてきた。
昨日とはガラリと変わって、誰も桜琴に接近して来なかった。
「桜琴、こっちだよ」
優しく名前を呼ぶハスキーボイスが聞こえた。一生だった。
そうだった。みんなの前では彼女を演じなければならないのだ。本当は(仮)なのに、騙している人たちに少しだけ罪悪感を感じる。
呼び捨てはまだまだ慣れそうになかった。
頬を少し赤くして一生の隣に座った。すぐにお茶とお水が運ばれてきた。
「食堂は基本、朝七時から夜八時までやってる。私たちの裏稼業が不規則だったりするので、この時間内であれば何か作ってくれる。桜琴もお腹が空いたらいつでも利用してくれ」
一生が説明してくれた。桜琴はありがとうとお礼を言った。
先ほどまで上下紺色のスウェットだったのに、一生はきっちりグレーのスーツを着ている。今日はストライプ模様が入ったブラウンのネクタイだった。
何着ても似合うなと、桜琴は今日も見惚れてしまう。
顔面偏差値が高すぎて、こんな生きた芸術品みたいな人間が芸能界以外でいたことに驚愕する。スカウトとかされたことあるんだろうなぁ、と桜琴は想像を膨らませる。
(こんな白銀髪が似合うの神谷田さんだけだよ……)
「坊ちゃん、おはようございます。昨日はお疲れ様でした」
サトがご飯を持ってきた。
鰹の叩きに、卵焼き、サラダ、お漬物、お味噌汁、ご飯といった豪華な朝ご飯だった。朝から鰹の叩きなんて夢みたいだ、と桜琴は目を輝かせた。
「おはよう。サトの方こそ、色々とありがとう。今日も今から仕事だから、桜琴をよろしく頼む」
「はい、坊っちゃま。かしこまりました」
サトは二人分の食事を座卓に置き、調理場へ戻っていった。
「え、今からお仕事なの? 大変。日曜なのに?」
桜琴は驚いて訊ねた。一生は気乗りしない様子で答えた。
「仕事が溜まっているんでね。今日は大学休みで拓もいるし、サトはああ見えて、女の忍びだったんだ。だから桜琴を安心して任せられるかな」
「そうなんだ……」
今日はもしかしたら一緒にいられるかな、など思っていたが、見事に期待を裏切られた。
ご飯を食べ終わる頃に、山名たち波と、拓実と源次がやってきた。
「じゃあ、私は仕事に行ってくる。なるべく早く帰る」
一生が立ち上がった。
「い、い、行ってらっしゃい」
桜琴がカチコチの笑顔で見送る。
「ぎゃははは。さ、桜琴ちゃん、女優にはなれないね。え、演技下手すぎ……」
拓実が腹を抱えて笑っている。
「ちょ、ちょっと拓くん、やめてよ。しー! 静かに」
「だってロボットみたいだよ。いや、ロボットより酷い。笑うなって方が無理無理」
「う、うるさい。女優なんか目指してないから別にいい」
「あ〜、朝から笑った、笑った。はははは」
「拓様、桜琴様に失礼ですぞ」
山名が見かねて口を挟む。
「本当、失礼! 早くご飯食べれば!」
桜琴がむすっとしながらも笑っている。
一生は二人のやりとりを横目で見て、ため息をついた。
自分の部屋に戻り、歯磨きをして、忘れ物はないか、荷物の最終確認をした。
今日は山名は休みだから、違う運転手だ。
少しでも山名に話を聞いてほしかったが、今から仕事に行かなければいけない。
午前中にどうしても目を通さないといけない書類が山ほどある。
一生は先ほどの光景を思い出して、苛立っていた。
あの二人の仲の良さだ。前から気になっている。
拓実が人付き合いが上手いのは知ってる。
でも女の子には一生同様、警戒心が強かったはずだ。
しかし前にも『桜琴ちゃんを守りたい』と言っていた。やっぱり好きなのか?
じゃあ、どうして飲み会で自分と桜琴をカップル扱いしたのか。
一生には拓実が何を考えているのか、さっぱりわからない。
その時、部屋のドアがノックされた。
(誰だ、サトか?)
部屋のドアを開けると桜琴が立っていた。
「忙しいのに、ごめんなさい。あ、あのこれ、昨日姉が荷物に入れてくれていた『黒糖キャラメル』なんですが良かったら……」
自分の店の商品だと思われる、キャラメルを手に持っていて渡そうとしている。
「…………」
一生は言葉が出ない。拓実とはあんなに楽しそうに戯れあっているのに、自分と話す時はこんなに他人行儀で面白くない。
昨日の彼女(仮)頑張る宣言は嘘だったのかと思ってしまう。
「……あ、あの疲れているみたいなので、甘いものを。キャラメルは嫌いでしたか?」
「……私は疲れているのが通常なので、気を遣わないでください。それはみんなで食べたらどうですか?」
我ながら大人気ない。彼女の優しさを踏み躙ってしまっている。一生は自分が嫌いになりそうだった。
「余計な事して……ごめんなさい。あのなんか怒ってますか? 何かしたなら謝ります」
何も彼女は悪くない。自分も拓実みたいに本当は話したいだけなのに……。
こんな事言いたくないのに……。
「彼氏役、私じゃなくて拓が良かったですね。まるで本当の恋人同士みたいですよ」
一生は努めて明るく口にした。自分は本当に嫌な奴だと思う。
桜琴は俯いてしまい、どんな表情かはわからない。キャラメルを両手でギュッと握りしめていた。
「すみませんが、もう仕事に行かないといけないので」
一生は早口で淡々と話し、ドアを閉めた。
そのままドアを背に座り込んだ。
——最悪だ……。最低だ……。
負の感情が一生を襲った。
「……なんでこんな時にも仕事なんだ」
一生はフラフラと立ち上がり、カバンとスマホを持った。
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