第30話 温泉に入る男衆

「あ〜、気持ちいい〜〜! 極楽だ〜」

 拓実が温泉に浸かりながら、歓喜の声を上げる。

 三人は温泉に入っている。天然の露天風呂だ。

 ここは大神龍が結界師のために掘り当ててくれた温泉だとも言われていて、千年前から存在するらしい。一生の露天風呂もここから湯を引いている。疲労回復、肌荒れ、神経痛など、ありとあらゆる効能がある。


「……本当だな。朝稽古の後のここの温泉は最高だな。疲れが吹っ飛ぶ」

 源次も湯で顔を洗いながら、しみじみと語った。

「そういえばさ〜、一生、何で歓迎会の時に抜けたんだよ。桜琴ちゃん、大変だったんだよ。また仕事絡み?」

 拓実が不満の色を隠さずに話す。

「……いや、仕事じゃない。親父から電話があってな。何で女の子を屋敷に泊めるんだって話さ」

「……まぁ、そうなるよな。いきなり女の子連れて帰って同居だもんな。そら、親父さんも驚いただろうて」

 源次がうんうんと頷きながら言葉にした。

「親父には護衛の仕事でって説明したんだけどな。なかなか納得してくれなかったな」

「そら天下の神谷田グループの跡取り息子だもんな。その辺、お前は自由がないよな。哀れだ。どうせ結婚相手も親父さんが決めた相手だろ?」

「さあね。私はそういうの、もうウンザリなんだが、また次の婚約者を見つけてきたから会えって話だった」

「……会うのか?」

「まさか。そんな気、毛頭ない」

「そうだよね、彼女できたし。同棲も始めたばかりだしね」

 拓実が口を挟んできた。

「ば、同棲もしてないし、彼女でもない。なぜそうなる?」

 拓実の突拍子もない発言に、一生はしどろもどろになった。

「彼女じゃないの?」

 拓実が食い下がる。

「拓実、一生は護衛対象者を守るために芝居をしてると聞いてるが……。お前わかってるよな」

 源次が拓実に確認するように訊ねる。

「でも一生さ、桜琴ちゃんの事、好きだよね?」

 源次の言葉を素通りして、一生の方を拓実は見た。拓実はニコニコしている。

「……彼女は護衛対象者だぞ。仕事だ、仕事」

 一生が何事でもないように返す。顔には出さない。

「素直じゃないなぁ。昨日抱き合ってキスしようとしてたじゃん」

「た、拓! な、何を……」

「俺が気づいてないと思ってた? あんな下手な嘘。信じてるの桜琴ちゃんぐらいだよ」

「……一生、お前まさか、もう甘山さんとそういう関係なのか……?」

 源次が信じられないといった目で見てくる。

「な、まだ何もしてない! 誤解だ、誤解」

「まだ? 今からするのか?」

 源次の目がカッと見開く。充血している。

「な、ち、違う。確かに桜琴さんのことは好きだが、まだ気持ちすらも伝えていない」

「……やっと認めたね。せっかく俺と薫さんがうまく持っていったのに彼女(仮)って、何それ。そのまま彼女にしちゃえば良かったのに。莫迦だな、一生は」

「そんな事言ったって、桜琴さんの気持ちもあるし。私の一存では決められない」

「桜琴ちゃんも嫌いな相手と抱き合ったり、キスしようとしないって」

「わ、私はもう風呂から出るからな」

「おい、一生お前、大学時代の恋愛のスペシャリストみたいなお前はどこに行った?」

 その声を無視して、持ってきたタオルで前を隠そうともせず、一生は引き締まった裸体を見せつけるかのように、そのまま脱衣所の扉の中へ消えていった。


「……あいつが女に本気になってるの初めて見たわ。真剣だと案外何もできないのかもな」

 源次が明るくなった空を見ながら呟いた。

「だよね〜。面白いぐらい真面目な恋愛構想だよ」



 桜琴はスマホを見ていた。楓から返信が届いていた。

『お母さんはまだ傷口が痛いみたいだけど元気だよ。そちらの生活はどう? 明日の昼からなら店を早く閉めるので、急だけど午後四時頃会えない? お母さんが大事な話があるってさ。早く会いたいよ、さくちゃん』


(あたしも会いたいよ。楓姉……。少し話がしたい)


 ——それにしても、この部屋、神谷田さんの匂いがする。あの香りは白檀のお香だったのか。それに森林の匂いが混ざって、上品で優しく包まれているみたいな香りになってたんだ。

 桜琴は大きく息を吸い込んだ。


 その時、一生がお風呂から上がってきた。茹蛸のように顔が赤い。

 冷蔵庫を開け、スポーツ飲料水をコップに移し、ゴクゴクと飲んでいた。

 一生に明日の予定の話をすると『何とかします』との短い答えだった。



「あ、あの、のぼせたんですか? 大丈夫ですか?」

 桜琴が心配そうに一生の顔を覗き込んだ。桜琴の大きな目が潤んで、桃の香りがした。

(ち、近いです、桜琴さん!)

 一生の心臓が飛び跳ねた。何とか冷静になろうと口火を切った。


「だ、大丈夫ですよ。あ、そうだ。私たちの仕事について話をしておかねばなりませんね」


 一生は桜琴に製菓の専務の仕事以外に、政府公認の裏稼業をしていることを話した。

 また自分の家が代々の結界師一族で、その長であること。結界師は五家で成り立っていることも説明した。

 またこの神社には大神龍が祀ってあり、その力を借りて、神通力が使え、神獣になれること、妖魔や厄災についても話をして、それらを倒すには時に神獣の力が必要だと伝えた。

 そしてここは神気に溢れ、常に頑丈な結界が張られているため、精霊王のような上位の神にも見つかりにくい事と桜琴の部屋には三重で結界が張ってある事などを話した。


「昼も夜も働いているんですか? お身体、大丈夫ですか?」

 桜琴が発した言葉はそれだった。その瞳は潤んでいて、揺れている。

「あ、心配させてしまいすみません。私たちは神力があるので普通の人間よりは疲れないんですよ。それに大体二時間も寝れば全回復します」

「……そうですか、良かった。二時間寝ただけで全回復なんて羨ましいです。ふふ」

 桜琴が奇麗な歯を見せて、笑いかけてきた。傷んだ髪が痛々しい。

 一生は思わず、桜琴の頭を撫でた。生まれたての赤ん坊を触るような優しい手つきだった。

「こんな髪にしてすみません……」

 一生の瞳には明かりのない、暗い夜の海が浮かんでいるようだった。

「いいんですよ。それに神谷田さんのせいじゃないですよ。この間失恋した時に切れなかったから、切るにはちょうどいい機会です」

 桜琴は気にしないでください、と言ったが、一生は非常に気にしていた。


 ——今、失恋って言ったか? この間? 桜琴さんフラれたのか? てか好きな人いたんだな……。

 一生の心が針を刺したようにズキッと痛む。


 その時、人の気配を感じた。

 拓実と源次が襖の影からのぞいていた。

「ちぇっ、何だよ〜。結局、頭撫でただけかよ〜!」

「……つまらん。抱きしめて、接吻ぐらいしろ」


「お前ら、のぞき見とは趣味がいいな。本気になった私と稽古したいらしいな」


 一生の氷を纏った神通力が拓実と源次に絡みつき、二人が寒くて震え上がって、また温泉に飛び込んだのはいうまでもない。

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