第27話 彼女(仮)
桜琴はビール一杯だけ飲んだ。隣を見ると一生はビールに手をつけていなかった。きっと護衛の仕事があるからだろう。いつも仕事のことを考え、そういう生活をしているのかもしれないな、と桜琴は勝手にそう解釈した。
「桜琴さん、あまりお酒は飲まないのですか?」
一生がエビチリを食べながら訊ねてきた。エビが一般家庭のそれとは明らかに違う。大きくてみるからにぷりぷりしたものだった。
「そうですね。まあ、酔うまで飲んだことがないので、そう言われれば飲まない方かもしれません」
「酔うまで飲んだことがない……、自分を持っていらっしゃるのですね。桜琴さんは二十一歳でしたよね。その年齢あたりは楽しくて、無茶をして、自分を試してみたくなる年頃だなと思いまして……。私もそうだったので……。大学時代はかなり莫迦な事もたくさんしました。ここは精霊王も来れませんし、安心して飲んでくださいね。まあ、無理に飲めとは言いませんが……」
ビールが空になっていたので、一生がドリンクメニューを渡してくれた。
「じゃあ、レモンサワーをもらおうかな」
桜琴もあと一杯だけお酒を飲む事にした。
レモンサワーを飲んでいると、浴衣姿の男の人たちが五人やってきた。
「こんばんは。若旦那様。こんな豪華な会を開いていただいてありがとうございます」
五人が一生に頭を下げている。一生が手を左右に振り「気は使わなくていい」と言っている。
「お酌をしにきたんですが、やっぱり飲まれないのですね」
そのうちの一人が残念がっている。
「ああ、仕事もあるしな」
拓実が畳で寝ているため、桜琴の右隣は空いていた。そこに波の一人が座り込んできた。
まだ若く、身なりも奇麗にしていて、おしゃれに敏感そうだ。山名と何やら話をしていたが、目当ては桜琴だったのか、やたら近い。山名との話が終わると桜琴に話かけてきた。肩がぶつかりそうな距離だった。
「あ、あの、僕は坂本って言います。初めまして。普段は営業してて、今忍びになって今、二年目なんですけど、甘山さんの事、頑張って守りますから。あの、今、何歳なんですか? 彼氏っていますか?」
「歳は二十一で、彼氏はいません」
桜琴は仕方なく淡々と答えた。
「え、うっそ! いないんですか? そんなに可愛いのに」
「お、おい。坂本、お前、なに抜け駆けしてんだよ」
また他の男がやってきた。坂本の隣から身を投げ出して話しかけてきた。
「こんばんは〜。俺は中村って言います。コイツと同じ営業です。普段は何の仕事してるんですか?」
「おい中村。隣、座んなよ。僕が今、話してんだよ」
「うるせー。坂本、お前、彼女いるよな。バラすぞ」
「はっ? あいつとはもう別れたんだよ。僕は甘山さんのが断然タイプなんだよ」
「こんな可愛いのに彼氏いるだろ」
「それがいないんだよ」
「マジかよ。俺、てっきり若旦那様の彼女かと思ったわ」
「何、何、何の話してんの〜」
また新しい波の男がきた。次から次にやってくる。桜琴は質問攻めにあっている。男性というのは集まると、こちらが答えるのを待ってくれないまま、我先にと、次から次に一方的に会話をしてくる。酒の勢いもあって皆、声も大きい。辟易する。
薫がその光景を見て、やっぱりこうなったか、と思った。
波の独身寮は若い男性が多い。御飯時しか会わないとはいえ、奇麗な子が屋敷で暮らすとなれば、若い男たちが大人しくしていられるわけがない。
助けてもいいが、助けない。これは試練だ。彼女を助けるのは彼女を愛している男性でなければならない、と恋愛至上主義の薫は思っている。
(だからちゃんとしなさいって言ったのに……)
薫はしばらく様子を見る事にした。恋愛に淡白だった一生がどう出るか、見ものだと口元が綻んだ。
一生は桜琴の周りに、波たちが群がっているのはわかっていた。
一生の左隣の場所を手に入れた波の一人が、ここぞとばかりに懸命に話しかけてくる。一生に気に入られたいのが見え見えだった。だが会社の話をしてくるので、無下にもできない。察しがよく、いつも助太刀してくれる山名はトイレに行っていて、不在だ。
一生は桜琴の方をチラリと見た。桜琴は明らかに困惑している。波の男たちが群がり、逃げ場がなく、桜琴は包囲されている。
我先にと会話をする男たちは、獲物を前にしたハイエナのようだった。
——ああ、もうイラつく。さっきので波たちには伝わらなかったのか? 再教育が必要だな。お仕置きだ。それにしても桜琴さんはこういうの躱すの苦手なんだな。男慣れしてないというか。何とか彼らを桜琴さんから引き離さねば……。だが、恋人でもないのになんて言えばいい?
一生がイライラしていると、その時「若旦那様、旦那様からお電話です」と家政婦に呼ばれた。父からだった。
先ほどから無我夢中で話をしていた波にすまない、と言い、何だろうと考えながら、一生は食堂を出てリビングへ向かった。
「甘山さん、俺、結構本気だから連絡先、教えてよ」
「あ、俺も、教えて教えて。今度、みんなで遊ぼうよ」
「僕が最初に声かけたんですよ、あっち行ってくださいよ」
桜琴はヒートアップしていく、波の男たちに心底疲れを感じた。先程から、何人か身体がぶつかってくる。わざとか分からないが、みんな距離が近い。
もう無視したい、部屋に帰りたい、みんなうるさい。
彼氏が欲しいと何度も思ったことがあったが、誰でもいいわけじゃない、よくわかった、この男の人たちは飢えた狼だ、と思った。
桜琴は助けを求めて周りを見たが、源次はテーブルに突っ伏して寝ているし、薫は離れたテーブルで盛り上がっていて、一生と山名はいなかった。拓実も多分まだ寝ている。
何人かの家政婦と目があったが、目を逸らされた。サトだけは遠くから心配そうに見ていた。
山名がトイレから帰ってきて、その光景を見てヒィッ! と驚いた。
いつもは割と大人しい彼らが、一人の女の子に相手にしてもらおうと必死だった。
桜琴の隣にいた一生の姿も見当たらない、見かねた山名が注意しようと彼らに近づく。
だが、その時怒りの籠った低い声が耳に入った。
「あのさぁ、そこ、俺の席なんだけど、みんなどいてくれない?」
拓実だった。不快な表情があらわになっていて、瞳には静かに燃える蝋燭のような、
波の者たちの顔色が青に変わる。皆、謝りながら散り散りになっていく。
「拓様、すみません。あいつら羽目を外しすぎたみたいで……。あとでよく注意しておきます!」
山名が慌てて拓実に頭を下げた。
「俺はいいよ」
拓実は微笑して、桜琴の右隣に座った。
「桜琴ちゃん、大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫。ありがとう」
拓実が怒ったのは初めて見たので桜琴はびっくりした。
この光景を見てもう一人驚いたのが、薫だった。桜琴を助けたのが、あの拓実だったからだ。
——温厚で、波風を立てない拓坊が激おこ。何あれ男らしいじゃな〜い! 素敵よ、素敵! もしかして拓坊の好きな子って……。あらあら、これは面白いじゃな〜い。
「さあ野郎ども、まだまだ飲むぞ〜、酒持って来んか〜!!」
薫は楽しさのあまり男口調で野太い声に戻っていた。
拓実と二人でデザートの杏仁豆腐を食べた。
杏仁豆腐の滑らかな食感に、桜琴は幸せを感じる。
プリンよりもゼリーよりも杏仁豆腐が好きだった。ここのはまた格別だ。濃厚でありながら、あっさりした後味だ。
「う〜ん! なめらかで美味しい! 幸せ〜。やっぱり決め手は生クリームの配合率かな」
「桜琴ちゃん、何だか明るくなったね」
拓実が桜琴を見て優しい笑みを浮かべる。
真っ直ぐに桜琴を見つめる瞳は、出来立てのガラス玉のように奇麗で、曇りのない漆黒で吸い込まれてしまいそうな魅力があった。
桜琴はそれを見て思わず、目を逸らした。
「そ、そうかな。でもずっと一人で抱えてたものがなくなって、楽になった感じはあるかな」
桜琴は最後の一口を口に入れた。
「ねぇ、それって一生のおかげ?」
「んんっ! な、何言って……」
桜琴は拓実の思ってもいない発言に、口に入れたばかりの杏仁豆腐を思わず吹き出しそうになった。
「か、神谷田さんは関係ないよ」
慌てて嘘をつく。一方的な片思いなのに悟られるわけにはいかない。
「そうなんだ、へぇ〜」
拓実が含みのある言い方をした。
その時、電話を終えた一生が戻ってきた。
桜琴の周りにいた波たちは蜘蛛の子を散らしたように、自分の場所に戻っていて一生は驚いた。
拓実と桜琴が何やら話をしているようだったが、何だか食堂全体が妙に静かになっているなと思った。
——何だか、畏まった雰囲気になっている。一体何があった。こんな雰囲気はよくないな。せっかくの会だ。
佇んでいる一生に気づいた拓実が一生の方を向いて、ぷんぷんと怒った顔で小さな子供に言うように言い放った。
「こら、一生。ダメじゃないか。自分の彼女を放ったらかしにして!」
食堂内が一斉にざわつく。『あぁ、やっぱりな』『えぇ、彼氏いないって言ってなかった?』『莫迦! 若旦那様とお付き合いしてるって普通言えるかよ』『うわ〜、女子社員が荒れるぞ〜』様々な声が聞こえる。
「ほら、一生。みんなにきちんと紹介しないと」
拓実が訳の分からないことを言っている。
一生は寝耳に水だった。みんなが自分と桜琴と交互に見ている。
桜琴は赤面しながら、否定する。
「ち、違います! あたしは神谷田さんとお付き合いなんてしてません」
「あら、この際だから恥ずかしがらず公言したらどう? 一生」
薫が何やら意味ありげな顔を浮かべている。一生はその顔でピンときた。
これは彼女を守るための嘘か、そのための拓実と薫の芝居だと思った。
一生はどうしようか迷ったが、彼女は自分を嫌ってはいない、自分の背中に回した手を思い出し、むしろもしかしたら……と、その希望的観測から口にした。
「桜琴さんは私の彼女だ。大切な
食堂内がドッと歓喜の声に包まれた。おめでとうございますとあちこちから聞こえる。拍手喝采だ。さっきまでの重苦しい空気がどこかへ消えている。
桜琴は呆然とした。みんなが何を言っているのか分からない。
拓実が耳元で囁いた。
「これでここの男はもう君に近づけないよ。良かったね」
桜琴は咄嗟に拓実を見た。相変わらず何を考えているか分からない、だがその瞳に静かな湖のような、水面に揺らぎの一つも見当たらない、安堵の色が浮かんでいた。
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