第26話 欲の引き出し

 桜琴はしばらく一生を眺めていた。頭の中で暴れているものの正体が桜琴は知りたかった。時間にして二秒ぐらいだろうか。一生の方が先に目を逸らした。

 平静を装おうとしているのに、なんで見てくるのだろうと、一生は平常心を保つのに必死だった。


 食堂に集まった波たちが桜琴を見て、何やら話をしている。若い女性がこの屋敷に来たことは今まで皆無なので、波たちもどこか色めき立って、ソワソワしている。

「みんなが集まったら、桜琴さんの紹介をしようと思う」

 一生が拓実たち三人に話を始めた。

「そうですな、護衛をするわけですから、若様がきちんと紹介しておいた方が良いですな」

「桜琴ちゃん、緊張しなくていいからね」

 源次が口を開いた。

「……いつ頃まで護衛するんだ?」

「それはわからない。桜琴さんのお母様次第かな」

 一生は源次と会話をしながら、先ほどから独身寮の波たちの視線が桜琴に向いているのが気になった。


 ——あとで山名に部下が桜琴さんにむやみに話しかけたり、やたらめったら近づかないように、しっかり見張っておくように、よ〜く言っておかねば。私がいない時に何かがあっては困る。部下を信用していないわけではないが、波と言っても男は男だからな。


 波の者たちが仕事を終えて続々集まってきた。今日いないのは工場勤務の夜勤の者たちだけだろう。製菓工場は早出、日勤、夜勤で24時間、フル回転している。全国に出荷しているので、とてもじゃないが生産が追いつかない。


「は〜い! お・ま・た・せ……! みんな待った〜」

 薫だった。ボディラインがはっきり出る赤いニットワンピースに大きなパールのピアスをしている。パッと見た感じは本当に綺麗なお姉さんだ。

「あれ……、姉さん、帰ったんじゃなかったんですか?」

 一生が怪訝な顔で薫に訊ねる。

「お父のご飯作りに帰っただけよ〜。まぁ、拓坊もひとまず、落ち着いたみたいだし、今日は流石に帰るけどネ。睡眠不足で……。もぉ、お肌がカッサカサよ〜。でもほら、今日は桜琴ちゃんの歓迎会と、拓坊のとりあえずの快気祝いよ」

 薫が唇に人差し指を当てながら話していた。波の男性たちを物色しているようにも見える。

「とりあえず? なんだよ〜、それ。俺、おまけみたいだなぁ〜」

 拓実が拗ねて見せる。

「何よ拓坊。そんな可愛い事言っちゃって〜。あとでたっぷり可愛がってあげるわよ」

 薫が源次の左横に座った。源次の顔が強張った。

「薫さん、入院中、色々とありがとうございました」

 拓実がしおらしく頭を下げ、礼を言う。

「いいのよ〜! これで私は拓坊に貸し一つネ。ウフフ、今度、一緒に温泉デートでもしてもらおうかな〜!」

 薫が両手を口元に当て、ぶりっこポーズをした。あまりにも可愛くて、このテーブル席にいる全員が笑った。薫も楽しそうだ。


「だいたい、みんな揃ったな。よし。桜琴さんも立って」

 一生に声を掛けられて、桜琴は立ち上がる。三十人近くいる波の忍びたちと家政婦たち10人の視線が二人に集まる。

 さりげなく桜琴の右肩に一生が腕を回している。これは波の男たちに対する一生の牽制だった。

「皆、日々、妖魔厄災撃滅と我が社での勤務、二足の草鞋、大変であろう、感謝している。こちら今日からうちでしばらくお預かりする『甘山桜琴』さんだ。厄介な妖魔に狙われている為、落ち着くまで護衛することになった」

「甘山桜琴です。しばらくお世話になります。よろしくお願いします」

 桜琴も緊張しながら頭を下げて挨拶をする。こんなにたくさん人がいる中で挨拶するのは、専門学校の時以来である。波の男の人たちの視線が突き刺さる。

「皆、彼女が困っていたら助けてやってくれ。本日は慰労会と、の歓迎会だ。沢山食べて、飲んでくれ」


 一生が乾杯の音頭をとり、みんなで乾杯し、桜琴もビールを少し飲んだ。家でたまに飲む程度で、あとは居酒屋で数回しか飲んだことしかない。


 薫はあまりお酒を飲まない為、ウーロン茶だ。

(名前呼びと、肩に腕を回し、みんなの前で特別アピール、うちの一生おとうとは、本当に不器用ね。好きならきちんとすればいいのに……)


 本日は豪華中華料理である。それぞれのテーブルに『フカヒレの姿煮』『燕の巣のスープ』『北京ダック』『エビチリ』『肉団子』『中華くらげの酢の物』『肉まん』『海老焼売』『チャーハン』『酢豚』『伊勢海老のチリソース』などが並んでいる。


 拓実も源次もこういうものは食べ慣れていると思うが、二人とも美味い美味いとずっともぐもぐ食べている。よほどお腹が減っていたのか、食べることに心血を注いでいる。山名に至っては涙を浮かべながら、しっかり味を噛み締めて食べている。


 桜琴は海老焼売を食べている。久々のビールが胃を熱くする。

 一生は燕の巣のスープを飲んでいた。桜琴はお礼を言わねばと思った。

「あの神谷田さん、すごく美味しいです。こんな美味しい焼売初めてです」

 桜琴は頬が少し赤くなっている。アルコールのせいか分からない。

「それは良かったです。たくさん食べてくださいね。フカヒレも美味ですよ。美肌効果もありますし、良かったら是非」

 一生が嬉しそうに目を細めて、桜琴が食べているものを見た。肉まんが好きなのか、皿には肉まんが二つも乗っている。

「そりゃ、これだけ一流素材で三つ星シェフに作って貰えば当たり前よ〜。ね? 一生。かなり気合い入ってるわねぇ〜」

 薫が何か言いたげに口を挟んだ。

「え、そうなんですか? だからこんなご馳走なんだ。てかあたし、護衛対象なのにこんなよくしていただいて、ありがとうございます」

 桜琴は当惑していた。先程から一生がいたたまれない様子なのを薫は見逃さない。

「護衛対象? あは、あははは。桜琴チャン、そうであってそれだけじゃないかもよ?」

「姉さん、これは桜琴さんの歓迎会と拓実の快気祝いと、ここで働く人たちへの日頃の感謝の気持ちの慰労会も入っています」

 一生が目を閉じ、すまし顔で淡々と答える。

「桜琴ちゃんの海老焼売、いただき〜!」

 酔ってる拓実が桜琴の皿から、海老焼売を一つ指で取った。

「こ、こら拓! 行儀が悪いぞ」

 一生が嗜める。

「別にいいじゃん〜、今日ぐらい。じゃあさ〜、桜琴ちゃん、食べさせてよ〜」

 拓実があ〜んと口を開いて、桜琴が食べさせてくれるのを待っている。桜琴はどうしたらいいか、戸惑っている。食べさせても、断っても気まずい。

「お前は本当に酒癖が悪いな!!」

 一生が拓実の口に肉まんを放り込む。桜琴の皿から一生が咄嗟に取ったものだ。

「あ、あたしの肉まん……」

 桜琴は唖然としている。

「ふ、ふが、なんだよ、一生。これぐらいいいじゃんか。別に一生の彼女じゃないんだし」

 拓実がぶすくれながら、肉まんを食べている。

「わはは、なんだ。お前ら本当に仲がいいな」

 源次もかなり酔っているのか、笑っている。

「まったく一生は自分のことは棚にあげてさ……」

 そう言って拓実は畳の上にぐうぐう寝てしまった。

「あ〜あ、寝ちゃいましたね〜。拓様、少し飲みすぎでしたね。それより若様、貴方も桜琴様の肉まんを……。全く」

 そうブツブツ言いながら、山名が自分の肉まんを桜琴の皿に乗せている。桜琴がお礼を言っている。


『別に一生の彼女じゃないんだし』

 拓実の言葉が一生の頭の中で繰り返しリピートされ続け、一生の欲の引き出しを開けた。

 ——なんとか、桜琴さんを彼女にしたい。いや、欲を出せばもっと……。


 真顔で思案に暮れる一生を見て、薫は呟いた。

「あ、これ、よからん事考えてる顔だわ」


 そんな事はつゆ知らず、桜琴は山名と肉まんを半分個にして、仲良く食べていた。

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