第23話 抱擁

「拓坊、桜琴チャンがお見舞いに来てくれたわよ〜!」

 元気な声を出し、誰よりも先に拓実の病室に入った薫だったが、入り口から中に入らず、立ち止まっていた。薫は無言で微動だにしようともしない。

 後ろにいる桜琴からは、薫の顔は見えないが、何かにショックを受けているのは間違いなさそうだった。

「……姉さん、どうした? まさか拓に何かあったのか?」

 一生が深刻な表情で薫に問いかける。

「か、薫さん、と、とにかく中に入れてください」

 拓くんがどんな状態でも受け入れる!! 桜琴は覚悟を決めて、薫の横から無理やり病室に入る。


「あ……。き、きゃああああ!」

 桜琴は顔を隠して、悲鳴をあげてしゃがみ込んだ。


 病室の外にいた一生はその悲鳴を聞いて、薫を押しのけて拓実の病室に入った。

「だ、大丈夫ですか、桜琴さん!」



「…………」

 病室に入った一生はただただ薫に呆れた。源次が拓実に清拭をしていた。

 拓実はトランクス一枚という姿だった。

「姉さん……。リアクションが大袈裟すぎますよ。全く……。何があったかと思いましたよ」

 一生が薫に軽蔑の眼差しを向ける。薫が赤くなる。

「だ、だって、拓坊の下着姿なんて……、し、刺激が強いわ」

 薫は手で顔を隠したが、指の隙間からしっかりと拓実の身体を見ている。

 その時、拓実がガバっと起き上がった。彼の身体は細いが筋肉質でお腹が八つに割れていた。よく鍛えられた肉体美だった。

「みんな、来てくれて嬉しいよ! ありがとう!」

 拓実が屈託のない笑みを浮かべる。

「た、拓……? お前……、元気になったのか……!!!」

 一生が拓実に抱きつく。

「わ、わわ、一生、く、苦しいよ!」

 言葉とは裏腹に拓実は嬉しそうだ。

「熱はこの通り下がったよ! 実はさっき下がったばかり。へへん。やっぱり俺はこうでないとね。あ、桜琴ちゃん! 来てくれたんだね。嬉しいなぁ〜」


(大精霊が弱ったから、拓が急に元気になったのか? しかし、まだ神通力は全く回復していないな……)

 一生はとりあえず、拓実の高熱が下がったことに安堵した。そして変わらず、拓実の左上腕部には、精霊王の顔がマーキングされたままなのが目に入った。


 拓実が桜琴に気づき、微笑みかける。先ほどから無言の源次が、今度は拓実の背中を拭き出した。

「桜琴ちゃん、こっちに来てよ!」

 拓実が手招きで桜琴を呼ぶ。桜琴は少し恥ずかしそうに拓実のそばに立った。

「桜琴ちゃん、今日は一段と綺麗だねぇ。髪、アップにしてるんだね。一瞬、誰か分からなかったよ。よく似合ってるよ。可愛い……」

「た、拓くん、ありがとう。元気になって良かったね」

 桜琴は恥ずかしくて俯いたが、俯いた視線の先にあるものを見て、手で顔を隠した。顔が赤くなる。これには全くもって耐性がない。

「桜琴ちゃん? どうしたの…? 具合でも悪いの? 顔が赤いよ?」

 拓実が心配そうに桜琴を覗き込む。

「拓、理由はお前のその格好だ! トランクスだ! いい加減、ズボンを履け!!」

 一生が拓実と桜琴の間に入り込み、手で二人を引き離した。

 拓実は急いでズボンを履いて、タンクトップを着ているが、薫は不満そうに一生に文句を言っていた。


「そうだ、拓。これ、桜琴さんのお母様からお見舞いの品を預かってきた」

 一生は拓実に紙袋を手渡した。

「えぇ! 嬉しいなぁ! 吟琴さんに会ったらお礼を言わないと」

 拓実は嬉しそうに紙袋から、オレンジのリボンでラッピングされた袋を取り出した。

 中身は和菓子のようだった。

 透明な六角形のケースに入ったカラフルな琥珀糖に、お饅頭、どら焼き、ごま団子、羊羹などが入っている。

「わぁ、こんなにたくさん、嬉しいなぁ!……あれ、手紙も入ってる」


 ——鶴山くんへ 体調はどうですか? 鶴山くんの好きそうな和菓子を入れておきます。良かったら食べてね。羊羹はお父さんの自信作です。六角形の容器に入った琥珀糖はどんなに体調が悪くても、必ず一口は食べてください。それは桜琴が自宅の台所で作ったものです。試作品ですが食べてください。

 また鶴山くんに会えるのを楽しみにしています。     幸三 吟琴

                           



「ねぇ、幸三さんって、桜琴ちゃんのお父さん?」

 拓実が桜琴に訊ねた。

「うん、そうだよ。なんかあれだね。あたしが作った試作品まで入ってる。申し訳ないな」

 桜琴は六角形のプラスチック容器に入った琥珀糖を見て、すぐに気づいた。一度、お店の厨房で寝てしまってから、厨房は夜間使用禁止になったので、自宅の台所で作った琥珀糖の試作品だった。できてすぐにあの容器に保存したのだ。


 拓実が六角形のプラスチック容器に入った、琥珀糖を手に取って眺めた。


(う! あ、あれは私が買い占めようとした和菓子だ)

 一生は琥珀糖を見てドキッとした。琥珀糖『魔法の鉱石』だけは自分の部屋に全部置いてある。あとで薫にだけは一つだけあげようと思っていたのだ。


「……ううん。すごく綺麗だよ。こんなの作れるって、桜琴ちゃんって、やっぱりすごいね。本当に綺麗だ……。宝石貰っちゃった……」

 そんなに褒められては、こそばゆくなる。桜琴はふと隣にいる源次を見た。先ほどから、何にも話さないが、食い入るように琥珀糖を見てる。


「あら〜ん、可愛いお菓子。あとで私にもちょうだいネ」

 薫が顔の前で両手を合わせて、おねだりポーズをしている。

「よくわからないけど、これは俺に食べてほしいって、吟琴さんの手紙に書いてあるからダメだよ」

 早速もらうねと言って、拓実は琥珀糖の箱を開けた。

「ずっと熱で食べられなかったから、嬉しい。みんなごめんね。俺だけご馳走食べて……」

 拓実が嬉しそうに琥珀糖を一つ取って口へ運んだ。

「……ずっと食べれないぐらい具合悪かったの?」

 桜琴は流行り病としか聞いてないが、そんなに大変だったんだと思って、拓実に訊ねた。

「うん。俺さ、風邪とか流行り病とかさ、そういうの全くかからないんだけどさ、なんかさ、変な蜂に刺されたの。それで寝込んで、さっきまで、ずっと熱が下がらなかったんだ」

 拓実の言葉に桜琴の顔は色を失った。

(え、流行り病じゃなかったの? は、蜂ってまさか……)

 桜琴の隣に一生がきて、耳元で囁いた。

「それについては部屋で話します。この後、私の部屋にきてください」


「おいし〜い、いやぁ、みんな本当にごめんね〜。あとでみんなにも一つずつあげるからね。うう〜ん、シャリシャリして美味〜い!!」

 拓実は試作品の琥珀糖をもう半分以上、食べていた。


(ふう……。拓の食欲も戻ったみたいだし、良かったな……。ん!? まさかこの感じは!!)

 一生はバクバクと琥珀糖を食べる拓実を見た。拓実の周りには紅樺色のオーラが見える。前ほどオーラは強くはないが、拓実の神通力、神力が確実に戻っている。

「た、拓、神通力が戻ってるぞ。まだ前ほどではないがな、良かったな!」

「え!! まじで! やったぁ!」

 拓実が腕を上げて、無邪気に喜ぶ。

 一生は左上腕部のギリシャ人、もとい、精霊王の顔が左半分消えていることに気づき、拓実の腕を掴んだ。

「半分、消えてる……」

 一生は息を飲んだ。信じられない。

「ええ、うっそ! なんで、消えたんだろ。あんなに消えなかったのに……。源次が拭いたからかな? 源次が怖かったのかな? あと半分も消えてほしいな、源次〜、もう一回拭いて〜」

 拓実が源次に懇願している。源次は拓実に「もう、風呂に入れるだろ!!」と言っていた。


 ——桜琴さんの試作品、何かあるな……。あの琥珀糖を食べてから精霊王の顔が半分消えた。見ていたから、それは間違いない。桜琴さんの母親も必ず食べさせて、と意味深な事を言っていたな……


 それから一生は拓実に、しばらく桜琴に護衛が必要でこの屋敷で暮らす事を伝えた。拓実はそれなら俺もずっとここで暮らす! と喚いていた。


 夕飯まで時間があるので、各自、部屋でゆっくりすることになったが、桜琴は一生に『後で部屋に来てください』と言われている。部屋に行くことに緊張しているが、拓実の熱の理由が知りたい。


 桜琴は自分の部屋にバッグを置いてから、一生の部屋を探すことにした。桜琴はスマホだけ持って廊下に出る。廊下の幅だけで二メートルはありそうだった。

(すごい広いお屋敷。さっき神谷田さんにお部屋の場所を聞いておけば良かった。あ、家政婦さんだ)

 たまたま家政婦が急須と湯呑みを盆に載せて、こちらに向かってくる。

「あ、あの、神谷田専務のお部屋はどこですか?」

 桜琴が七十代ぐらいの家政婦に訊ねると、ここですよ、と案内してくれた。


 一生の部屋は角部屋で、桜琴の部屋の横だった。

(と、隣!? なんで!)

 桜琴は動揺した。

「坊ちゃんはよほど、あなたのことがお気に召されたのでしょうね」

 七十代ぐらいの家政婦はにこりと微笑み、ノックして一生の部屋に入っていった。

 その家政婦が部屋から出てから、『桜琴です』とノックをした。しばらくして『はい』と返事があり、ドアが開いた。

 桜琴も高級旅館みたいな素敵な和室を与えてもらっているが、一生の部屋は段違いだった。広くておしゃれな和洋室だった。高級な家具やインテリアが置かれ、縁側からは庭が見える。建築雑誌にそのまま載っていそうな部屋だった。

「お邪魔します。すごく素敵なお部屋ですね……」

「いえ、何もありませんがどうぞ」

 桜琴は一目散に縁側に歩いて行った。和風の庭には石灯籠や、鹿おどし、景石がバランスよく配置され、いろは紅葉や、松、ヤマボウシ、ソヨゴ、タマリュウ、ギボウシなどが植えられていた。

「わぁ、すごいお庭! 小手毬があんなにたくさん咲いてる。可愛いな〜」

「そうでしょう。自慢の庭なんです。あの花は私の母が好きで生前もよく世話をしていました。私が高校生の時に他界してしまいましたが……」

 一生が庭を眺めながら、目を細める。

「……そうだったんですね。きっと素敵なお母様だったんでしょうね……」

「母はとにかく明るくて、でも厳しくて、だけどおっちょこちょいで、とても優しい人でした」


 桜琴は少し寂しげな一生になんて声をかけたらいいか分からず、案内されるまま和室の座布団に座った。

 テーブルには先ほどの七十代ぐらいの家政婦が運んできたお茶が置いてある。一生はテーブルを挟んで向かいの席に座った。

「桜琴さん、拓実の事、流行り病だなんて嘘ついてて、すみませんでした」

 一生が頭を下げて謝ってきた。

 桜琴は俯いた。

「あ、あの、拓くん、いえ、拓実さんはやっぱり、黒緑……、先ほど戦った妖魔の蜂にやられたんですよね?」

「……隠してももう仕方がないので、正直に言います。あの精霊王の手下にやられました……。妖魔です。山名と二人の時に……、ちょうど貴方のお店から帰るところでした」

 一生が心苦しそうな表情で話す。

 やっぱり、と桜琴は思った。一度、拓実に送ったメッセージはずっと未読のままだった。

「もしかして、以前からこんな事が続いていましたか? お母様の口ぶりから察するに、そうではないかと……。これはまだ私の憶測なのですが、貴方に近づく人間、特に異性は排除されてきたんじゃないですか?」

 な、なんで、ここまでわかってしまうんだろう、この男性ひとには。桜琴の涙腺は限界だった。ずっと、自分が隠して、我慢してきたもの、いとも簡単に言い当てる。

「……ふふ、神谷田さんは刑事さんですか? その通りですよ。三年前ぐらい前からかな、あたしに深く関わった人はみんな妖魔に襲われました。死んだりはしてませんが、怪我した人もいました。その人たちはあたしを見ると、すごく怖がって去っていきました。だから、あたしはなるべく人に関わらないで、自分の心がないまま、この三年間は生きてきました」

 桜琴の目から涙が溢れだす。一生の顔が歪む。


「……母は気づいていたんですね。あたしに起きてる事。……でも母も拓実さんも、あたしのせいで、大変な目に……。拓実さんは友達になっただけなのに狙われた。あの精霊王って何なんですかね……」

「桜琴さんは悪くないと思いますよ。あの精霊王に関してはこちらでも調べますので、少しお時間を頂けませんか?」

 一生はハンカチを差し出した。桜琴は受け取ろうとしない。一生は立ち上がって桜琴の隣に座った。

「あたしがあの精霊王って人のところに行けば、解決するのかなぁ……。ふふ、少し疲れちゃいました」

 笑いながらも、桜琴の目からは大粒の涙が溢れていた。

 一生がハンカチで桜琴の涙を拭う。

「こ、こんな事したら、次は神谷田さんが狙われますよ。やめてください。もう、誰かが傷つくのは嫌なんです。あたしと関わらない方が身のためです。友達とかも要りません。明日には帰って、一人でどこかでひっそり暮らしますから」

 桜琴が一生から離れ、ジリジリと後退りする。

「一人でどこに?」

 一生が歩幅一歩分、桜琴に近づく。

「む、無人島とか探しますから、心配ご無用です。あ、あの、あたしに近づくの本当にやめた方がいいですよ」

 さらに一生が歩幅三歩分、桜琴に近づく。

「と、友達ですら狙われたんですよ? てかさっきから近づいてきてますよね。離れてください。あたしは神谷田さんに危ない目に遭ってほしくないんですよ」

「……離れません。これは私の任務ですから」

 そう言って一生は桜琴を抱きしめた。一生から白檀の香りがした。

「え……? 神谷田さん」

 桜琴はびっくりした顔をしている。

「それに簡単にやられるほど、私は弱くないんですよ」

「神谷田さん……、どうしてそこまで……」

「……桜琴さん、神谷田さんじゃなくて、一生でいいです」

「! そ、そのセリフ、あ、あたしの」

「……桜琴さん、今までよく一人で頑張りましたね。とても辛かったでしょう……」

 一生にその言葉を言われて、桜琴は一生にしがみつき、わぁぁんと泣いた。ずっと誰かに一番言って欲しかった言葉だった。


 一生は桜琴の泣き声が外に聞こえないように、思い切り泣けるように、この部屋に防音に強い結界を張った。

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