第22話 同居

 あの後、吟琴は家族と病院に向かった。こちらで連れて行くと言ったのだが、吟琴がきかなかった。幸い、傷口には毒の気配もなかったので、吟琴の行きつけの病院に行ってもらうことにした。

 不思議だったのが、吟琴の旦那も、娘の楓も怪我の心配はしていたが、どうして背中に怪我をしたのか、誰にやられたのか、一切訊ねてこなかった。普通なら、必ず聞いてくるはずだ。

 すでに怪我の原因を知っているようだった。


 桜琴の母親、吟琴とは何者だろうか? いとも簡単に結界内に入り込み、気配を完全に消し、精霊王に近づき、何やら攻撃をした。あれは召喚ではなく、術の類だ。あの鳥兜の紫の蛇は幻影だ。召喚ではない。

 まぁ、それについては今度話してくれるだろう。


 そして桜琴には、蓮の花の模様が左の肩に現れた。あれも吟琴は知っていそうだった。さほど驚きもしなかったからだ。

 桜琴が蓮の花のような色の光を放った。精霊王が明らかに嫌がっていた。灼ける、とも言っていた。

 雷鳥が元気になったのも、あの光が原因ではないかと思っている。

 凛華に頼んで、その類の古文書を探してもらうか……。

 一生は山名の運転する車の中で色々考えていた。


 時刻は午後三時半になろうとしていた。


 助手席には源次がいびきをかいて眠っている。後部座席には、一生と桜琴が座っている。桜琴は余程疲れていたのか、先程、気を失うように眠ってから、一度も起きない。

 桜琴は一生にもたれて、すやすや寝ている。

 一生はこれは不可抗力だと自分に言い訳する。すぐ近くにいい匂いがする、柔らかいぬくもりがある。

 桜琴の小さな手が一生の視界に入る。駄目だ、起きてしまう、心臓が早鐘を打つが、自分の行動を制御できず、桜琴と手を繋いでしまった。

「若様〜」

 急に山名に話かけられて、心臓が跳ね上がった。

「なななんだ」

 一生は狼狽えながら返事をする。


「良かったでございますねぇ〜」

 山名がしみじみと話す。

「あ、ああ、精霊王のことか? まあ、なんとかなって良かったな」

 一生が心ここにあらず、といった感じで返事をする。


「若様、良かったでございますねぇ〜」

 山名が感動が冷めやらぬ、といった声色で語りかけてくる。

「あ、ああ……、雷鳥のことか、無事に天界に帰せて良かったな」

 一生は気も漫ろに答える。


「若様、良かったでございますねぇ〜」

 山名が愉しげにバックミラーを見る。

「さっきから何だ」

 一生が無愛想に言い放つ。

「だって今日から、桜琴様と一緒に暮らすんですよ。わたくしめも楽しみですよ〜。

 山名はすこぶる楽しそうだ。


「そ、そうだったな。だが、山名、お前は激しく誤解をしているな。これは任務だ。仕事だ、仕事。彼女が狙われているから、うちでしばらくお預かりして、護衛するだけの任務だが?」

 一生は外の景色を見ながら、ことさらに平静を装いながら、言葉を発した。

「え〜〜、若様、任務ですよね〜? 任務って車の中で、手を繋ぐ必要がありますか〜?」

 山名がバックミラーをマジマジと見ている。

「こ、これも任務の一つだな! 寝ている彼女のバイタルを、確認しているだけだ」

 一生が目を泳がせ、しどろもどろに答える。

「へぇ〜、そうなんですね〜。若様は桜琴様のことになると、まるで別人。初恋状態ですね」

 山名が感心したように話す。

「な、なんだ、それは。そんな事より、山名、聞いてくれ。彼女から呼び方を『甘山さんじゃなくて、桜琴でいい』って言われたんだが、こ、これって、そ、その呼び捨てにして下さいって意味だろうか? いいんだろうか? 私はかまわないのだが、彼氏でもないのに……いきなり呼び捨てにしても……」

 一生が顔を赤らめて、目を逸らしながら訊ねる。

「何言ってんですか、若様……、そんなわけないでしょう。思考が停止してますよ」

 山名が呆然とし、呟いた。そしてそのゾッコンぶりに山名は驚いた。


 誰もが振り返るような美人と付き合っても、淡々とし、決して自分のペースは崩さなかった。こんなふうに浮かれる事も一度もなかったし、慌てることもなかった。割り切った付き合いしかしてなかったように思う。

 何より、今の一生はとても楽しそうだ、と思った。


 それと同時に山名には思うことがあった。一生は失恋を知らない。婚約解消の時は傷ついていたようだったが、それは相手が自分の前からいなくなる喪失感ではなく、結界師として、異能者として、否定されたからだと思った。


 失恋、なぜそう思うのか、先日、拓実も桜琴を好きなんじゃないか、と思ったからだ。その気持ちを知ったら、一生はきっと自分の気持ちを隠して、拓実を応援するだろう。それは山名にとっても、辛い光景であり、一生と拓実のどちらにも幸せになってほしかった。


 そうこうしてるうちに、一生の屋敷に着いた。

「若様、屋敷に着いてしまいました」

「山名、なんだ、その残念そうな物言いは!」

「……ん、なんだ、もう着いたのか、ふあぁぁぁぁぁ〜〜〜〜」

 源次が大あくびをした。その声で桜琴が起きたようだ。

「……あれ、ここはどこですか? あたし、寝ちゃってたんですね……」

 桜琴は自分が一生にもたれかかっていた事に仰天し、さらに手を繋いでいたことに驚愕し、慌てて繋いでいた手を離す。

 桜琴は自分のしていたことに忸怩じくじたる思いで、いっぱいになった。

「か、神谷田さん、ご、ごめんなさい!!」

 そういうのが精一杯だった。離した手に自分のものじゃない、心地良い温もりがあった。

「い、いや、こちらこそ……」

 一生も恥ずかしそうに頭を掻いている。山名が桜琴に『桜琴様はなぁ〜んにも悪くないし、気にしなくていいですよ〜』と話しかけていた。




「あ、あの、あたし、なんでここにいるんでしょうか?」

 いかにも高級そうな家具や、絵画が並ぶ応接間に通されて、大きなソファーに座っている桜琴が、第一に発した言葉だった。

 この応接間には一生と二人だけだった。

「ああ、説明が遅れてしまい、申し訳ありません。突然の事で驚くかと思いますが、桜琴さんには今日からしばらく、私の屋敷で生活してもらいたいのですが……」

 一生が膝の上で手を組み、切り出した。

「……え、神谷田さんのお、お屋敷であたしが暮らすんですか?」

 桜琴は酷く動揺している。続けて桜琴が不安そうに質問する。

「……は、母に何かあったんですか? あの怪我のせいでまさか……」

「桜琴さん、お母様は大丈夫です。先ほど病院で診てもらった、とお電話がありました。そのお母様から帰り際、自分の怪我が治るまで、あなたを守ってくれるようにと頼まれました」

「……そうなんですか。母は無事なんですね。安心しました。あの、守るってあの精霊王って人からですか?」

 人かと言われると違う気もするが、桜琴は他に適切な表現が思いつかなかった。

「……そうですね。それもありますが、貴女には我々の姿も、仕事も見られていますし、一度、きちんとお話しする時間が欲しかったのもあります。今日は疲れているでしょうし、その話はまた明日にしましょうか」

 そう言って、一生は家政婦が淹れたホットコーヒーにミルクを入れた。

「そうですか。母が治るまで……。なんだかご迷惑をおかけしてすみません」

 桜琴は手を膝に乗せて、頭を下げた。

「……いいんですよ。これも私たちの仕事ですから。今日はまず疲れをとってください。家政婦に大体のことは頼んであります。部屋の準備もできている頃だと思います。何か不自由があったら遠慮なく、おっしゃってください」

 一生がコーヒーを口に運んだ。桜琴はコーヒーに手をつけようとはしなかった。いきなりこんな事になり、気持ちが落ち着かない様子だった。

「少し落ち着いたら、拓のお見舞いに行きましょう。お母様からのお見舞いの品も渡さないと……」

 一生が微笑みながら、コーヒーカップをソーサーに戻した。手が震えているのか、カタカタと食器の音がした。

(神谷田さん……、酷く疲れてるんだな。あたしのせいだ……)

 桜琴は心苦しい気持ちでいっぱいになった。


「では桜琴さん、また後で……」

 そう言って、一生は部屋を後にした。家政婦が桜琴に部屋を案内していた。


 ——はぁぁぁ、き、緊張した。二人きりって心臓が持たないな。桜琴さんっていうのも恥ずかしい。なぜだ、何万人もの前で挨拶したり、CMに起用してるアイドルや、女優とも、普通に話せるのに……。

 一生は胸を押さえて、廊下に座り込む。


 この屋敷は約三千坪で、一生が住んでいる本邸と、波たちの独身寮、住み込みの家政婦たちの寮。稽古場、そして縁神社がある。神社の敷地内には小さな家があり、そこで結界師会議をしたり、一生や拓実はよく休憩をしている。


 本邸の部屋数は二十を超える。洋室もあるし、和室もある。一生はモダンな和洋室にしている。縁側が好きなので、そこに小さなテーブルと椅子を置いている。日向ぼっこしながら、本を読んだり、庭を眺めてぼーっとする。そんな時間が一生は好きだったが、最近は忙し過ぎて、そんな贅沢時間は持てない。


 一生の父親は『この屋敷はわしには広すぎる』と言って、会社近くのタワーマンションに薫と住んでいる。父親の身の周りのことは薫がしている。


 桜琴が今日から住む——

 一生は考えただけで、嬉しい気持ちと緊張とで胸がいっぱいで、どうにかなりそうだが『あくまで任務』だ、と自分に言い聞かせる。



 一生が部屋でしばらく休んでいると、コンコンと部屋をノックされた。

「はい」と返事をしてドアを開けると、黒地に白の水玉のワンピース姿の桜琴が立っていた。スリットが入っていて、とてもおしゃれな服だった。前髪はピンで止め、頭はお団子にしている。しかも化粧も先ほどとは違う……。パールがかった肌に、大きな目が引き立つメイクになっている。唇も艶々になっていた。


 ——き、綺麗だ。めちゃくちゃ可愛い。

 一生は見惚れてしまった。

「……変ですか?」

 桜琴が不安そうな顔をする。

「……に、似合ってますよ。すごく綺麗です……」

 一生は目を逸らしながら答えた。

「……良かった。ありがとうございます」

 桜琴も俯いて恥ずかしそうだった。

 一生は桜琴の制服姿しか見た事なかったから、新鮮だった。


「では拓に会いに行きましょう」

 一生はお見舞いの品を持ち、部屋を出て、桜琴を見た。なぜか顔が赤かった。

 こうして二人で並んで歩くのは初めてだった。


 一生は桜琴のお団子の黒いレースのシュシュと、流行りのメイクに見覚えがあった。……。うちの家政婦たちはみな年齢層も高い。この若向けコーデはもしや……。


「はぁい! 一生。話には聞いていたけど、なんで私に一番に紹介してくれないのよ! ダメじゃない。女の子は綺麗にしてあげなきゃ、しっかり洗ってあげたわよ」

 やはり薫だった。桜琴の後ろに隠れていた。桜琴の髪からシャンプーのいい匂いがした。

「ま、まさか一緒にお風呂に……?」

 一生の顔が青くなる。

「何の心配してんのよ! シャンプー台を使ったわよ! もう、何があったか知らないけど、その子の髪、痛みまくってるわよ。髪は女の命なのにネ」

 薫が桜琴の髪を撫で、悲しい顔をしている。

「だ、だ大丈夫です! 気にしないでください。ちょうど、もう切ろうと思っていたので」

 桜琴が両手を左右に振り、慌てている。


 桜琴の髪を見て、一生の顔が曇る。

 先ほどの戦いの時に、護身用の暗幕の中に長い髪の部分が入っていなかったんだ、と思った。

「……申し訳ない、私の配慮が足りなかった」

 一生は沈痛な面持ちで謝罪した。

「本当にいいですって、神谷田さん!」

 桜琴が困惑している。

「ねぇ、桜琴チャン、今度お詫びに何か買ってもらいなさ〜い。乙女の髪をこ〜んなにしたんだからネ」

 薫が一生を見ながら、意地悪そうな笑みを浮かべる。

「……そうですね。それぐらいしか詫びる方法がない……。何がいいか考えておいてください、桜琴さん」

 一生が桜琴の目を見て真顔で言ってきた。

 以前にもこういう事があった。店に黒狼が侵入した時だ。

 一生は詫びるまで、絶対に譲らない。それは知ってる、桜琴はただ黙って頷いた。


 二人のやりとりを見て、薫だけが笑っていた。

(わ〜お! ちょっとぉ〜、なになに、一生のあの態度〜。初めて見たわ。面白いじゃない、うふふ。姉として、可愛い弟のために色々してあげなくちゃ〜)

 薫の心は新しいヒールを履いた時のように晴れやかだ。だってあんなに恋愛に淡白だった一生が恋をしている。恋愛至上主義の薫にとって、こんなに嬉しいことはない。



「拓坊がいる部屋はここよ、桜琴チャン!」


 薫はノックもせず、元気よく、拓実のいる部屋を開けた。

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