第21話 覚醒

 白尽くめの男は、桜琴の頬に自分の頬を擦り寄せ、これ以上ないという、至福の笑みを浮かべた。

 桜琴は恐怖で涙目になり、震えている。

『寒いのか? 愛しのサクラコ。さっきの吹雪のせいか? ボクが温めようか?』

 白尽くめの男が桜琴の耳元で囁く。

「……え、遠慮します……」

 桜琴は震える声で何とか拒否する。


 桜琴が白尽くめの男の腕の中にいる。迂闊には手を出せない状況だ。


「おい、その女性から離れろ」

 一生が目を吊り上げて、静かな口調で白尽くめの男に言い放った。


「……一生、コイツは一体何なんだ?」

 源次が驚きを隠せない表情で訊いてきた。

「この男はあの蜂に守られていた中身だな、おそらく奴は……」

 一生が話している途中で、さっきの死骸の大黒蜂が消滅し始めた。


 サラサラの白い砂に変わり、その中から雪の結晶のようなキラキラした白い光が上に上に昇っていく。白尽くめの男を必死に守っていたと思われる。

 結界の上にはまだあの蒼い蛙が二匹いた。また捕食する気だろう。


「やはりな……。あれらは精霊だ。伝書で読んだことがある」

 一生は伝書を思い出していた。

『精霊が死する時、白き結晶になり消えゆく——。その姿は普通の人間には見えず、霊力の強き者にしか見えぬ。精霊は我らの生活を豊かにする霊である。神聖な存在で、生きとし生けるものの希望である』


「……は? という事は、あの白尽くめの正体は? そ、そんな事あるのか?」

 源次も精霊を知らないはずがない。人間と共に暮らす霊だ。信じられないと言った様子で一生の方を見た。答え合わせをするために、一生の答えを待っている。


「伝書にもアイツの姿絵があった。私の先祖が見たことがあったらしい。……残念だが、あの白尽くめは『精霊王』だ」


「そうか。やはりそうか……」

 源次が肩を落とす。

「せ、精霊王!?」

 山名が吃驚仰天きっきょうぎょうてんした。


『君たちさぁ、ボクに向かって、残念とは何事かな? ボクは精霊の王なんだけど、失礼にも程があるよ』

 しっかり聞こえていたらしく、精霊王が感情を露わにした。矜持はあるらしい。


 ——だがあの姿はなんだ。神々しさはあるが、あちこち火傷跡や怪我だらけで、服もボロボロじゃないか。まあ、それは私たちの術のせいかもしれないが……。何よりおかしいのは、身体のあの黒緑の斑点と、精霊なのに妖気がある……。

 一生は嫌な予感がした。仮にもしそうだとしても精霊王だ。命は奪えない。精霊界の全てに影響が出るだろう。


『……まあいいや。君ら、もうボクに近づかないでくれる? ボクの腕の中にはサクラコもいるのに、攻撃できるの?? せっかく身体がここまで回復したんだから、邪魔しないでくれる? さあ、サクラコ天界に帰ろうか』

 精霊王は桜琴を横抱きにして、翼を広げた。それにより少し風が吹いた。精霊王の白い髪も風に靡いた。シルクのような髪だった。


「ど、どこへ行くのですか? は、離してください」

 桜琴はお姫様抱っこされたまま、精霊王の胸板あたりを手で叩いたが、ビクともしない。


『……ああ、そういえば、君ら結界師だろ? 君らの仲間なのかな、あの黒い狼は? 存分に神力と、生命力をもらったよ。おかげでボク自身が地上に降りられたよ〜』

 精霊王が楽しげに笑いながら話す。上機嫌なのかよく喋る。


「黒い狼、拓実の事かな……。その話、もう少し詳しく聞かせてもらおうか?」

 一生の顔つきが一層険しくなり、怒気を帯びた声があたりに響く。激昂した一生の神通力が漏れ出し、結界内が寒くなっていく——


「こんの、馬鹿精霊王が、人間たくみから精気を奪ったのか!! 馬鹿かてめぇ、それでも精霊王か? 馬鹿野郎が! 許さんぞ!!!」

 源次が顔を真っ赤にして怒鳴る。両手の拳が怒りで震えている。


『馬鹿馬鹿、うるさいよ……。神力の尽きた、君らになにができるの? 馬鹿っていうなら、君らの仲間も馬鹿だったけど……、あの黒狼は体力馬鹿だったよ。じゃないとボクはこんなに元気にはならなかったよ。言っとくけど、黒狼がああなったのは、ボクの花嫁に近づいた罰だからね。天罰だよ』


「全く……、よく喋る奴だ。おかげで準備ができた……」

 一生はふぅとため息を吐き、右手を前に出し、地面に向けて呟く。

地底氷蛇起願ちていひょうだきがん


 精霊王の真下から、五匹の細長い氷蛇が、勢いよく飛び出してきた。体長百五十センチぐらいの蛇である。 

 その五匹の氷蛇が、ふわふわ浮いている精霊王の足に絡みついたり、噛んだりして精霊王を地面に降ろした。

『おわっ! 痛ッ! 痛いよ。何、この蛇は? 一生とかいったな。君は乱暴者だな、信じられないよ。ボクはただ自分の花嫁を守っていただけなのに』

 精霊王は爪で氷蛇を追い払っているが、蛇はやはりしつこい。それに爪ごときでどうにかなる一生の氷蛇ではない。


『でも、これだけの力がまだ残っていたことは、褒めてあげる』

 精霊王は不気味にニヤリと笑う。顔にある黒緑の斑点が、気持ち悪さを増大させている。

「そりゃ、どうも。これでも結界師の長なんでね、そう易々と負けるわけにはいかないんで。それより桜琴さんをそろそろ離してくれないか」

 一生がさらに氷蛇に神通力を送り込む。氷蛇の力が強くなる。

『ほんと、痛いって! 君さぁ、ボクとサクラコが相思相愛って、見てわからないわけ? ほんと、頭悪いよね』

 精霊王が足から血を流しながら、抗議してくる。

 桜琴は相思相愛について、首を振って否定している。


 流石に精霊王を消滅させるわけにはいかない。とりあえず、桜琴を離してほしい。聞きたいことも山ほどある。

 一生はどうにか二人を引き離す方法はないか考えた。


『もしかしてさ〜、君もサクラコの事、好きなの? だからそんな必死に邪魔するの? そういうの横恋慕っていうの知ってる?』


 その時だった。


夢幻花蛇姫現世鳥兜むげんかだきげんよとりかぶと


 女の声がした。

 あちこちにトリカブトの花が咲き、その花の中の一つから紫の大きな蛇が出てきて、精霊王の腕に噛み付いた。

『ぎゃっ!!!』

 精霊王が噛まれたショックで、桜琴を抱き抱える力が弱まる。

 桜琴が精霊王の腕の中から落ちる。それを吟琴が受け止める。

 さっきの女の声は吟琴だった。気配を隠して近くまできていたらしい。

「お、お母さん!? なんでここに!?」 

 桜琴は仰天しながらも、嬉しくて吟琴に抱きついた。



「あんただったのね、うちの娘に何年も取り憑いていた妖魔は!!」

 桜琴を抱きしめながら、吟琴は精霊王を睨みつけた。


『なんだって? ボクに向かって妖魔だって? 熟女〜、口が悪いねぇ。それにさっきのあのデカい蛇は、熟女の仕業だよね。ふざけないでくれる!? ボクは女性だからって手加減はしないよ。お仕置きが必要だね!』

 精霊王は噛まれていない方の手を振り上げ、真っ黒な爪で、吟琴の背中を引っ掻いた。吟琴が苦痛に満ちた顔になる。続けて、今度は吟琴の顔を引っ掻こうとした。

 桜琴は涙目で顔面蒼白である。


 一生、源次、山名が精霊王を止めようと駆け寄る——


 その時、桜琴が叫んだ。


「いや、やめてぇーーーーーーーーーーーーー!!!!!」


 その瞬間、ロータスピンクの光が辺り一面を照らす。優しい光だ。

「……なんだ、この光は? 今度はなんだ」

「若様、何やらピンクの光が……。こんなことは初めてですぞ」

「……一生、山名、一体何が起きてるんだ」

 三人は驚きのあまり、身体が動かない。目だけが動く。


 一生の目に入ってきたのは、桜琴がロータスピンクのオーラを纏い、今まさに吟琴を引っ掻こうとしている精霊王の腕を、手で掴んで止めている光景だった。


 桜琴の左肩には『蓮』の花の模様が浮かび上がって、その部分はピンク色に光っている。


「さ、桜琴さん」

 わけがわからないが、桜琴を助けなければ! と一生が駆け寄る。


『いだだ、ギャァァ。サクラコ、灼けつくよ、やめて。夫婦喧嘩はいやだって。わかった、今日は帰るから、離して』


 桜琴が手を離すと、精霊王は空高く飛んで、結界に体当たりし、一部分を破壊し逃げていった。


「さ、桜琴!!!」

 吟琴が桜琴を抱きしめる。

「お母さん、大丈夫! 怪我は? どうしてここに来れたの?」

 桜琴が訊ねる。

「怪我は大丈夫よ、他は……長くなるから、また近々話すわ……」

 吟琴は背中から少し血が出ていた。さっき精霊王に引っ掻かれた傷口からだ。

 吟琴はキツそうだ。出血量はすごくないが、傷が深いのかもしれない。


「お父さんを呼んでくる!!」

 走り出そうとした桜琴の視界が揺れた。倒れる、そう思った瞬間、大きくて温かい手が桜琴を抱きしめた。


 ——知ってる、この匂い。白檀と森林の香り……。

 桜琴は心が熱くなった。


「大丈夫ですか、甘山さん!」

 一生の腕の中だった。とんでもなく綺麗な顔が、心配そうな表情をしてる。

「……桜琴でいいです」

 桜琴は呟く。

「……え? なんですか、甘山さん?」

 一生が訳が分からないといった表情で桜琴を見つめた。その目にずっと見つめられたい、と桜琴は思った。

「……神谷田さん、甘山さんじゃなくて、桜琴でいいです……」

 桜琴は微笑し、そのまま気を失った。




『クェェェ〜〜〜』

 先ほどまで、元気がなかった雷鳥が結界内を自由に飛び回っている。

「どうなってんだ、これは」

 源次と山名が雷鳥を眺めている。


「とりあえず、甘山さん、病院に行きましょう」

 一生は桜琴を抱き抱えたまま、吟琴に話しかけた。

「聞きたいこと、山ほどあるって顔ね。今度、拓実くんを連れてみんなでうちに来なさい。あとね、お願いがあるの。厚かましくて本当に申し訳ないんだけど、桜琴をそちらでしばらく預かってもらえないかしら? せめて私の怪我が治るまで。あなたなら桜琴を守れるでしょう」


 

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