第20話 あたしの世界

 一体、これは何が起きてるんだろう……。

 桜琴は頭が混乱していた。


 ——あの黒緑の人型みたいなのはわかった。黒緑は何回も見てるから。あの黒緑は妖魔って名前なの? あいつらと戦っている人たちも、存在してたって事?


 自分以外の人間にも黒緑が見えたこと。不謹慎だが、それは桜琴にはとても嬉しい事だった。ずっと自分はおかしい、呪われていると思っていたから。


  ——神谷田さんのお友達も柄が入った綺麗な狼になって、さっき、神谷田さんも銀色のふわふわの神様みたいな狼になった。な、なんかすごい! 現実にもこんなことがあるなんて、信じられない!


 二頭の狼を見て、桜琴は感極まっていた。触ってみたいとさえ思っている。


 ——異世界ファンタジー物語に出てくるような、美しい狼たち……。その狼たちが町を守るためにモンスターと戦っていたんだ。なんて素敵!


 桜琴は元々、こういう話が大好きなので、戦いを見て胸が熱くなった。


(そして、神谷田さんの弓の腕前、すごかったな。様になってたな……。あたしたちを守ってくれたんだよね……)


『君は何も考えなくていい。私が君を守るから』


 ——神谷田さんに確かにそう言われた。あの顔で、あの声で、あの目で。そんなのドキドキするなという方が無理だ。これは異世界じゃなく、現実だ。そう考えると余計にドキドキする。


 桜琴は赤くなる頬を押さえた。あの言葉を聞いてから身体がおかしい。

 神谷田さんのハスキーボイスが耳から離れない。リピートがかかる。


 自分の人生なのに、黒緑が現れてから自分がいなくなった。いつも空元気だった。昔みたいに笑えない。心から笑っていたあの頃の自分は消えてしまった。


 心を押し殺して、人とは距離を保って……。上辺だけの付き合い。

 好きな人にも好きと言えない、見てるだけ。なんで冷たいのか、訳を聞く事もできない。目の前で泣くことすら出来ない。人と深く関わりたくない、怖い。


 寂しいけど、仕方ないと無理やり自分に言い聞かせていた。


 外出時は長い前髪で顔を隠し、知り合いに会っても分からないようにして、恋愛話に花を咲かせる友人たちとも疎遠になって……、休みの日は漫画や小説を読んだり、ゲームしたり、溜まったドラマを観るだけの日々。


 ずっと親子で和菓子屋をして、明るい父と、厳しいけど優しい母と暮らし、ゆくゆくは親の介護も自分がやる。それが自分の人生だと思っていた。


 ——あたしの日常にはあたしがいなかった。あたしの心がいなかった。どこか他人事で……。あたしの人生はあたしが一番諦めてた。もう恋はできないし、仕事以外なんにもないって……。それが……少しずつ変わってきた気がする。



『はじめまして、私、神谷田一生と申します』

『黒ですよ。ボンベイです』

『ふふ……。うちの鶴山がすみません』

『あんまり褒めると、コイツら調子に乗りますんで』

『桜琴さんって呼んでもいいですか?』


 桜琴は一生とのやりとりを思い出していた。どうしようもなく、胸が熱い。なんだろう、この気持ち……。


 ——さっき肩がぶつかっちゃった。何事もないふりしたけど……。


 桜琴の右肩が熱を帯びている。まるで自分の身体じゃないみたいに……。

 心がとても温かい。それは久しぶりの感覚だった。





 一生こと白銀狼は、やられてしまった召喚獣の雷鳥を見て、憤慨していた。まだ子供の雷鳥だった。死んではいないが、一刻も早く手当てをしないと、死んでしまうだろう。

 神力で呼んだ召喚獣は天界からきている。この雷鳥にも親がいる。今回たまたま、この幼い雷鳥が来ただけのことだ。もちろん術者の霊力にもよる。霊力が強いほど、精強な召喚獣がやってくる。


  ——この雷鳥も決して弱くはない。大黒蜂が強すぎた。


 先ほど、白銀狼に体当たりされた大黒蜂は、すぐに体勢を立て直し、はるか上空に飛んで行った。

 うずまきに桜琴と陽太を任せて、白銀狼は琥珀狼の元に走った。


「……やっと白銀狼になったのかよ。あとで説教な」


 琥珀狼はそう言い、雷鳥に身体を寄せた。琥珀色のオーラが雷鳥を包んでいる。自分の神力をわけ与えている。これによって、生命力がかなり回復する。


「琥珀狼、頼みがあるんだが……」

 白銀狼が琥珀狼の顔を見る。

「……なんだ。改まって……。言ってみろ」

「大黒蜂の動きを一瞬でいいから、止められないか?」

 白銀狼は真顔だ。

「……あのなぁ、そんな事できたら一発で仕留められる……だろが……。ん、ちょっと待てよ」

 琥珀狼が思考をフル回転させる。

「……白銀狼、お前、本当は知ってるよな、オレのその術。あれを使えと……? かなり神力使うんだぞ。オレ、帰れなくなるかも」

「その時はうちの屋敷に泊まればいい」

「……はぁ。簡単に言ってくれる。……で、勝算はあるのか?」

 琥珀狼が溜息を吐く。

「言うまでもない」

 白銀狼がどや顔で言う。

「……その顔やめろ! さっきまでのお前とは別人だな。あの時はビビってたのか。ハハッ、まさかな、お前はそんな肝っ玉の小さい男じゃないからな。仕方ない、やってやるか!」

 琥珀狼は辺りを見渡す。この結界の中は百メートルぐらいの半円だ。ここ全体に行き渡る神力はどれぐらい必要かを考えている。


 白銀狼はうずまきに『全体が危険なので身を守れ』という合図を送った。それに気づいたうずまきが『承知しました』と両腕で円を作った。

 白銀狼は行くぞ、と言い、琥珀狼はやるぞ、と言った。二人同時である。


 大黒蜂はまだ遥か上空にいる。流石に神獣二体は危険と感じているのか、降りて来ない。様子を見ているようだ。

 白銀狼と琥珀狼は駆けて、大黒蜂のほぼ真下に移動をした。


 それを見てうずまきが桜琴、陽太、自分に暗幕をかける。普通の暗幕ではない。

 特殊な布で作らせた護身用の暗幕である。陽太はまだ寝ているし、暗幕を使うことを桜琴には事前に話してある。


天神雷光弾てんじんらいこうだん

 琥珀狼が心の中で唱える。

 ——勝負は一瞬だ、頼んだぞ、白銀狼!

 琥珀狼の身体全身が光を放ち、その身体から五十センチぐらいの光輝く玉が一つ出てきた。その光玉は弾き出されるように、空へ真っ直ぐに凄まじい速さで飛んでいく。


 狙い通り、大黒蜂のすぐそばだ。

 大黒蜂は慌てて逃げようとしたが。その光玉は大黒蜂の横で、雷のようにピカっと光ったと思ったら、爆発し、爆風とともに辺り一面を稲光で照らす。

 稲光の花火である。

 あまりの眩しさに、普通の人間なら確実に目をやられる。下手したら失明だ。


 その激しい稲妻花火を喰らった大黒蜂は苦しそうに、フラフラし出した。目もしばらく見えないはずだ。


 その様子を白銀狼は見て、心の中で呟く。

『よし!いまだ! 氷龍大乱舞ひりゅうだいらんぶ

 白銀狼の背後から、二十メートルぐらいの巨大な氷龍が二頭出現した。


『急いでくれ、氷龍』

 白銀狼は心の中で嘆願する——


 二頭の氷龍が大黒蜂の周りを舞い始めた。


 大きな氷龍が二頭、縦横無尽に舞う。大黒蜂が横に逃げれば突風が吹き、大黒蜂が下に逃げても、竜巻で上に上げられる。必死になって逃げても、あちこちで猛吹雪に巻き込まれ、さらに雹が大黒蜂に当たる。

 結界内はもはやカオス状態である。


 攻撃対象からすると逃げ場のない強襲なのだが、傍から見ると、氷龍たちの舞は見るもの全てを魅了してしまうほどに美しい。一つ一つにキレがあり、無駄のない動き、頭の先から尾の先までの細やかな動き、神経を張り巡らせ、強弱があり、ゆっくりした動きから、今度は大きく躍動感ある動きに変わる。

 歌うように楽しげに、氷龍がマイナス百度のブレスを吐き出す。それが大黒蜂にかかる。フラフラの大黒蜂に、もう一頭が待ってました、と言わんばかりに尾を見事に大黒蜂に当てる。


 ぐるぐると結界内を回る二頭の龍たち。神獣や召喚獣はそれぞれの神の加護を受けているため、影響はない。先ほどの雷鳥も八咫烏やたのからすの加護があるため、影響を受けていない。


 うずまきたちは祈祷を済ませた護身用の暗幕があるから、暗幕から出ない限りはダメージを受けることはない。


 二頭の氷龍の舞はしばらく続いた。だんだん風が止み、吹雪もおさまり、二頭の龍は天へと帰っていった。


 大黒蜂がフラフラになりながら、地面に向かって落ちていくのが見える。

 トドメを刺さねば! 白銀狼は駆け出し、落ちていく大黒蜂に追いつき、ジャンプして右前足の爪で大黒蜂の腹を引き裂いた。

『地獄道に堕ちろ!!』

 大黒蜂の腹からどす黒い体液が溢れていく。

『ギャァァァァァーーー!!!』

 物凄い金切り声をあげ、そのまま大黒蜂は地面に落ちた。羽は四枚とも全てボロボロになり、六本あった脚は全てなくなっていた。


「……や、やったか?」

 琥珀狼が白銀狼に訊ねる。うずまきたちも暗幕の隙間から様子を見ていた。


 白銀狼が大黒蜂に近づく。ピクリともしない。

 白銀狼は胸を撫で下ろし、一生の姿に戻った。

 大量の神力も使った、だがまだ残っている。

 この神力は雷鳥に分け与えたい、なんとか元気になるといいが……、一生は雷鳥の方を見た。まだ息はあるようだ。


 その直後、微かに大黒蜂が動いた気がした。一生は慌てて振り返った。

 大黒蜂は微動だにしない。


(……やっぱり死んでる。気のせいか? しかし、何か違和感を感じるな……)

 なんだか腑に落ちない、一抹の不安が一生の中にある。


「……しかし、一生、さっきのは凄かったなぁ。流石は神谷田一族だ。あんな大きな氷龍、同時に二体も呼べるのか。一体どんな神力の器してるんだよ」

 琥珀狼が安堵した様子で話をしているが、一生は考え事をしていた。

「……なぁ一生、オレはもうクタクタで一歩も動けん。立っているのがやっとだぜ。うずまき、帰りは乗せてくれ。一生の屋敷に泊まるわ」

 そう言い、琥珀狼が源次の姿に戻った。

 うずまきも忍び装束から、一瞬でスーツ姿の山名に戻る。

「源様、承知しました。今夜は楽しいパーティーですな〜。オールですな〜(笑)」

 山名が暗幕を片付けながら、ニヤリとイタズラな笑みで返す。

「ははは……。オールは勘弁してくれ……」

 源次と山名は大黒蜂を無事に倒せて嬉しそうだ。

 桜琴もほっとした顔をしている。陽太は寝ている。術を解かない限り3日間は眠り続けるだろう。


 一生だけがさっきから、じっと大黒蜂の死骸を見ている。

「何かがおかしいと思わんか?」

 一生が源次に訊ねる。

「……ん? 何も感じないが、もう死んでるぜ? 一生、それより雷鳥をなんとかしないと」

「あ、わたくしめが良い毒消しを薫様からいただいてきておりますよ〜」

 源次と、山名が雷鳥の方に向かった。

「ハイハイ〜、雷鳥様、特製の毒気しですよ〜」

「……雷鳥、ほら飲め」

 二人のやりとりが聞こえる。


 その時だった。

 大黒蜂の腹の中からドシャリ、と何かが出てきた。大黒蜂の体液を髪や身体につけながら、それはゆっくりと立ち上がった。


 出てきたのは彫りの深い、ギリシャ神話に出てくるような長身の男だった。

 源次よりも大きく、身長は二メートルはありそうだ。

 ただ、人間の姿とはあちこち大きく異なっていた。

 全身が白い……。

 頭には鹿のような大きな白い角が二本生え、耳はとんがっていて、腰下まである真っ白な長い髪に、真っ白な肌、黄金の瞳。長く白いまつ毛。あちこち汚れてはいるが白い翼が生えている。ただ、異常に爪が長く、その爪だけが真っ黒だ。

 その長身の男は、純白の長方形の布を肩を出した形で膝下まで纏い、ホワイトウールの短いマントを着ている。ただ服もあちこち破け、見窄らしい。

 その中で、太めの金色のチェーンネックレスだけがキラキラしていた。

 現実離れした、白尽くめの生き物である。


 だが、この白尽くめの男には身体全身に斑点のように黒緑の痣があり、体には火傷らしき痕や、あちこちに傷がある。そして微かに妖魔の気配がする。


「な、なんだ、この白くてデカい男は? お、おい一生、どうなってるんだ。変な奴が出てきたぞ。倒したはずじゃなかったのか?」

 源次がひどく狼狽している。山名も驚いている。


「大黒蜂の中に何かいると思った。……やはりお前だったか」

 一生が白尽くめの男を見ながら呟く。


 その白尽くめの男は一生を睨みつけてきた。

 拓実の腕にマーキングされた男の顔、そのものだった。


「若様、此奴は拓様の腕に描かれていた男じゃないですか!」

 山名も気づき、息を呑んでいる。

「……よくわからんが、この白尽くめが拓実をあんなふうにしたのか?」

 源次も白尽くめの男を睨んでいる。

 白尽くめの男は急に大きな翼を広げて、桜琴と陽太の方へ飛んで行った。

「しまった!!!」

 一生はすぐ二人の元に向かったが、間に合わない!!

(ダメだ、二人とも殺される!!)



 白尽くめの男が、桜琴に近づいた。

 陽太を庇っている桜琴を手で引っ張り、陽太から引き離した。

『ボクの花嫁、ようやく会えたね……』

 白尽くめの男は怖がっている桜琴の肩に手を回し、愛おしそうに後ろから抱きしめた。まるで一生たちに見せつけるように……。


「は?」

 その光景を見て、全員が唖然となったのは言うまでもない。

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