第18話 桜琴さんって呼んでもいいですか?

 一生は戸惑っていた。

 自分の中にある感情の扱い方がわからない。

 こんな感情が自分の中にあったことに驚いた。


 結局、追加で『魔法の鉱石』を赤系、青系、三つずつ買った。合計六個である。

 本当は全部、買い占めたかった。

 今あるのはここに並んでる分だけらしい。

 今日はすでにかなり売れたと言っていた。

 自分が買い占めてしまったら、今日ここに来るお客さんたちが『魔法の鉱石』を見れない。それはそれで、桜琴も悲しいかもしれない。

 (自分は大人だ、そんなことはできない。……が、本当は買い占めたい)

 一生は自分と戦っていた。


 今まで自分から女性を好きになった事などない。いつも告白される側だ。


 大学時代は普通に彼女が何人かはいたが、好きで付き合ったんじゃなく、いいなとか、可愛いなとか、その時のノリだったりもした。今よりも自由で、若気の至りもあった。


 しかし、当時から一生は忙しかった。

 大学の授業以外に、会社の経営の勉強、代々伝わる秘伝書の解読、神通力の訓練、術の習得。神職の勉強。


 付き合う前は、一緒にいて普通に楽しいのに、彼女になった途端に、少し会えないだけで寂しいと泣かれたり、最近冷たいとか、毎日連絡してほしいとか、浮気してるんじゃないのとか、今どこなの? 何してるの? これが欲しい、あれが欲しい、ああして、こうして、バッグ買って、みんな色々言ってくるので、面倒になった。束縛されるのも好きじゃない。


 どうせ、結婚相手も父親に勝手に決められるだろうし、会社絡みのパーティで言い寄ってくる女性はみんな顔か、財産目当て。それはわかっていた。自分の恵まれたルックスも十分理解している。


 だから大学生の間ぐらいは、恋愛というものを味わってみたかったのだが、そこには至らなかった。

 社会人になった今でも、酒に睡眠薬を入れたりして、どうにか一生を酔わせて、既成事実を作ってしまおうとする女もいた。女というのは本当に恐ろしい。




 大学卒業と同時に、父親が婚約者を連れてきた。ビジネスの匂いしかしない結婚。

 ただ婚約者がいると、言い寄ってくる女が減るので、そのメリットはあったが、月二回のデートも忙しいとままならなかったり、煩わしいと感じることもあった。

 それに結界師のことも、全て受け入れてもらわないと結婚なんてできない。


 その婚約者とは三カ月前に婚約を解消した。向こうが嫌だと言ってきた。


 結婚するならいつか話さないといけないと思い、妖魔厄災、神獣の話などを婚約者に話したら、『本気で言ってるの? 気持ち悪い』と罵られ、『オカルト好きのイカれ野郎』と言われた。それで婚約解消しているが、その後『忘却』で一生が話した事は全て忘れてもらっている。


 恋愛に冷めていたはずの自分が、桜琴に惹かれてしまった。

 今まで周りにいた女たちみたいに、がっついて来ないからか?

 どこが好きなのか、わからない。顔か? 性格か?

 聞かれても答えられない。

 ただ笑っていてほしい、そう思う。


 桜琴が考えた和菓子、そう思うと『魔法の鉱石』がたまらなく愛おしくなった。


「あら〜、今日もたくさん買ってくださってありがとうございます〜」

 桜琴の母、吟琴が笑顔で店の奥から出てきた。安定のプロ接客である。

「あら、お連れの方々、男前ですね〜。モデルさんかと思いましたよ」

 吟琴は満面の笑みだった。一生たちはすでにお得意様である。


「ありがとうございます。ただあんまり褒めると、コイツら調子に乗りますんで」

 一生がはじける笑顔で返した。可愛いとカッコいいが合わさってる表情。微笑むとできるえくぼに、下がった目尻。


 こんな顔もするんだなぁ、と桜琴は見惚れてしまった。ハスキーボイスも合わせると、破壊力が半端ない。そして、今日の落ち着いたベージュのスーツも似合いすぎている。ベージュに臙脂えんじ色のネクタイ。

 これでオチない女性がいるのだろうか、と桜琴は思った。

(神谷田さんの彼女もさぞ、美人なんだろうな。てか神谷田さんの友人もみんなイケメンだよね)

 桜琴は一生の側に立っている山名と、源次を見て思った。


「そういえば、この間も来てくれた鶴山くん、彼、病気なんでしょ? 桜琴から聞いたわ。これね、うちからのお見舞い。受け取って」

 桜琴の母親が紙袋を渡してきた。

「いえ、そんな、いいんですか? ありがとうございます」

 断るのも失礼と思い、一生は躊躇いがちに紙袋を受け取った。

 中にはオレンジのリボンで綺麗にラッピングされた袋が入っていた。


「たいしたものじゃないんだけど、鶴山くんに食べさせてほしいの。食欲なくても、一口でもいいから食べて元気になってね、またお店で待ってます。彼にそう伝えてね」

 桜琴の母親が言った言葉に、一生は違和感を感じた。拓実の熱が下がらないこと、今は物が食べれなくなってる事、ここでは話していない。

 考えすぎか、と一生は思った。



 買い物を終えて、三人は店を出た。

 山名は車を取りに行っている。五分以内に戻りますとのことだった。


 まだ、神の眼のままだった。縁神社に着いたら、大神龍に返すことになるだろう。

 店内も何匹かは黒い蝶がいたが、外は異常だ。

 何千匹いるのだろうか。いや、何万かもしれない。


 一生の右隣には源次がいて眠そうに欠伸あくびをしている。

 そして、一生の左隣りには桜琴がいた。買い物袋が多いので、荷物を持って山名が来るのを一緒に待ってくれている。

 相変わらず、大黒蜂は桜琴の背中にいる。何かしてくる気配は今のところない。


 桜琴が隣にいる、それだけで緊張する。桜琴の横顔を盗み見る。

 潤んだ綺麗な瞳だったが、どこか悲しげに見えた。

(何回見ても童顔だな。とても成人してるようには見えない……)


 綺麗で可愛い女性は世の中に五万といる。

 なんで、選りに選って、大妖魔に取り憑かれた饅頭女を好きになってしまったんだろう。


『饅頭女じゃないよ、桜琴ちゃんだよ!』

 拓実が抗議してる姿が目に浮かんだ。


「あ、あの甘山さん……」

 一生は桜琴を見た。

「はい」

 桜琴がこちらを向いた、目が合った。一生は胸が高鳴った。

「……桜琴さんって呼んでもいいですか?」


 桜琴は驚いた顔をしている。

 そりゃ、そうだ。自分は拓実みたいな人懐こいキャラじゃない、と一生は思った。



 その時「さくらこ〜」と歓喜の声をあげながら、こちらに走ってくる男の子がいた。小学校二、三年生ぐらいに見える。

「あ、陽太ようたくん」

 桜琴が荷物を持ったまま、笑顔で両手を前に出す。その腕の中に陽太が飛び込む。

「さくらこ〜、ひさしぶりだな。おれは祭りの帰りだぞ」

「お祭り行ったんだね。楽しかった?」

 桜琴はまるで自分の弟に接しているかのような、優しい眼差しだった。

 近所の子供か、と一生は思った。


「おどろくなよ、さくらこ。おれはな、今日はさくらこに『けっこんゆびわ』をもってきたんだぞ」

 陽太は祭りで手に入れたと思われる、玩具の指輪を桜琴に渡した。

「わあ、可愛い指輪だね。陽太くんの気持ちは嬉しいけど、これは貰えないから、お母さんにあげたらどうかな? 喜ぶと思うよ」

「お母さんとはけっこんできないし、おれのヨメはさくらこと、かえでだからな。だから、うけとれ。かえでの分もあるからな」


 一生は生意気な子供だと眉をひそめた。

(この子供のせいでさっきの返事聞けてないんだが……。なんて大人気ないか)


「さくらこ〜、このおじさんだれ?」

 陽太が一生を見て言った。隣で源次が笑っている。

「お、おじさんじゃないよ。お兄さん! うちの店によくきてくれるお客様」

 桜琴が慌ててフォローする。

「どっちでもいいや。にはさくらこと、かえではわたさないからな」

 そう言い、桜琴に抱きつく。


(落ち着け、相手は子供だ。不快だがスルーだ)

 一生は平静を装う。


「おれが大人になったら、さくらことかえでを、変なやつらから守るからな」

「それは頼もしいわ。どうもありがとう」

 桜琴に抱きつきながら、陽太は一生をみて、あっかんべーをしてきた。

(本当にイラつく子供だな。いつまで抱きついているつもりなんだ)

 一生がイライラしている時、桜琴の後ろの大黒蜂がブンブンと羽音を立て始めた。

 かなり大きい羽音だが、源次もやはり気づいていない。俯いている。『おじさんたち』と言われたことにショックを受けているようだ。


 蝶たちがザワザワし始めた。無数の蝶が大きく円を描くように飛び回り、ある一点に集まり出した、次第に大きな塊になっていく。

(な、なんだ? 何が起きている……? さっきの羽音か?)

 神の眼でしか見えない、この状況に一生は息を呑んだ。


 黒い蝶はやがて黒い人型になった。

 妖気を含んだ蝶が妖魔になった、大黒蜂の羽音が合図だったのか? と一生は思った。

 肌がピリピリする。


「……一生。人型の妖魔だ。突然来たな」

 源次が琥珀色の水晶のピアスを左耳につけた。

「見えるのか?」

 一生が訊ねた。

「……ああ、今は妖気も感じるし、バッチリ見える」


 人型の妖魔は桜琴と陽太、二人の所に走っていく。

 全速力だ。

「一生、結界だ」

「わかってる」

 二人が両手を前に出した、一生の両手からは碧いオーラ、源次の両手からは琥珀色のオーラが出ている。一瞬にして結界を張る。

「……すごい速さだ。一生また腕を上げたな」

 源次が感心している。


 結界内には一生、源次、桜琴、陽太、人型の妖魔、そして、あの大きな黒い蜂と、何匹か黒い蝶が飛び回っている——


 周りの黒い蝶たちが結界を外から攻撃している。


 人型の妖魔は桜琴と陽太に近づいた。桜琴と陽太は、人型の妖魔の大きな陰にすっぽり入ってしまった。

「ねぇ、さっきから、このおじさんたちなにいってるの? けっかいとか」

(だからおじさんはやめろ)

 と一生は思った。陽太には何も見えないから、二人の男が変なことを言ってる、それは当たり前の反応だったが、とても不安がっていた。桜琴が酷く怯えていたからだ。


 人型の妖魔が陽太めがけて、右手を振り下ろした。狙われているのは陽太だ。

「やめてーーーーーー!」

 桜琴が叫んだ。


 次の瞬間、人型の妖魔の右手に、碧いオーラを纏った氷の矢が突き刺さって、妖魔の右腕が消えた。

『名手・氷光貫弓ひょうこうかんきゅう

 もう一度、目に見えない速さで碧い氷の矢が飛ぶと、今度は人型の妖魔の左手に突き刺さり、妖魔の左腕が無くなった。妖魔は両腕を失った。


 一生が弓を引いていた。氷でできた弓だった。

君は見えるんだな」

 真剣な眼差しで、確認するように一生が言った。

 桜琴は頷いた。怖くて声が出せない。


 一生が弓を持ったまま、桜琴と陽太に近づいていく。

「君には少し寝ててもらおうかな」

 一生が左手で陽太のおでこを触ると、小さな碧い光が出て陽太は眠ってしまった。


「え? よ、陽太くん?? だ、大丈夫なんですか?」

 桜琴が陽太を抱え、心配そうに訊ねてきた。


「大丈夫だ。少しの間、寝ててもらうだけだ。陽太くんを頼む」

 一生は氷弓を構える。

「君は何も考えなくていい。私が君を守るから」

 神速で氷の矢が飛ぶ。

 人型の妖魔の胴体に刺さる。

『ぐぎゃぁああ』

 人型の妖魔が歪な叫び声を出す。

 黒い大きな蜂が羽音を立て、飛び回り始めた。


 空には源次が呼んだ雷鳴が鳴り響いていた。

 大妖魔『大黒蜂』との戦いが始まった——

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