第17話 魔法の鉱石

 一生の泣きそうな顔に、桜琴はただただ驚いた。

「あ、あの神谷田さん……?」

 悲痛な面持ちにこっちまで悲しくなる。


「あ、いや、ぼーっとしてて、すみません。最近仕事が溜まっていて……、甘いものが無性に食べたくなりまして……」

 一生はこれだけいうのが精一杯だった。心が追いついていない。

 なんでここまでショックなのかもわからない。

 妖魔に取り憑かれた人間なんて腐るほど見てきたのに……。



 泣きそうな顔に、すごい掠れた一生のハスキーボイスに、桜琴は心配になった。

「え? 大丈夫ですか? お仕事、すごく大変なんですね」

 桜琴に脚を絡ませ、絶対に離れる気配のない、大きな黒い蜂、大妖魔『大黒蜂』は威嚇するように、ジロリと一生たちを睨んでいる。

 見えている事は気づかれていないようだ。


 源次は大黒蜂に全く気づいていないようで、ショーケースの中の和菓子をマジマジと見ている。

 一生はギョロ目で見てくる、大黒蜂の霊力が極めて高いのを肌で感じた。


 ——こいつが親玉か? これは厄介だ。拓がああなったのがわかる。しかし、なんて、霊力だ。今ならわかる。こいつは上級妖魔だ。


「源次、アイスコーヒーでいいか?」

「……構わない。ただ、オレ、せっかくだから少し何か食べたいんだが……」

「すまないが、それは後で。甘山さん、すみません。とりあえず、アイスコーヒーを二つ、席までお願いします」

 桜琴がかしこまりました、と言ったのを見届けてから、一生と源次はテーブル席に着いた。


「……どうした。ずいぶん慌てているな。何か見えたんだな?」

 源次が訝しむ目で一生を見た。

「ああ。見えたも何も、すぐそこに元凶がいる。彼女に張りついて離れる気配がない」

「……な!? さっきの店員か? オレには全く見えなかったぞ」

 源次が仰天している。

「見えなくて当たり前だ。霊力が桁違いだ。アイツを倒すのはかなり骨が折れそうだ。あんなのがいたのに、妖気すら今まで感じてなかったんだ。修行が足りないな」

 一生がため息をついた。

「……お前は時間もないだろ。まあ、ぼちぼちやれよ。で、どんな妖魔がついてるんだ?」

 源次が身を乗り出してきた。

「彼女と変わらない大きさの黒い蜂だ。威嚇してきてる」

「……マジか。なんであの店員に憑いてるんだ?」

「わからない。ただ、彼女には私の『忘却』も効かないから、元々霊力が強いのかもしれない」

「……霊力が強いから引き寄せたのか?」

 源次が深刻そうな顔をする。

「どうなんだろうな。人に取り憑く妖魔も確かにいるが、精神ごと乗っ取るから、衰弱して、まず普通の生活はできない。そして必ず犯罪を起こす。だが、彼女の場合、そうは見えない」



「失礼します」

 その時、桜琴がアイスコーヒーを二つ運んできた、背後に大黒蜂を背負って……。

「ありがとうございます」

 大黒蜂の方は見ないようにして、一生は礼を言う。

 目の前にアイスコーヒーが置かれた。桜琴の綺麗な白い手を見ながら思った。

(自分の背後にこんなのがいるって知ったら、ぶっ倒れるだろうな)


 一生はミルクを入れた。シロップは使わない。

 緊張で喉が渇いていた。

 ストローを挿し、すぐにアイスコーヒーを飲む。

 桜琴が源次の前にもコースターを敷き、その上にアイスコーヒーを置いた。

「……一生、オレ、何か食べたいんだが?」

「あ、ああ。構わず食べてくれ」

 源次が席を立ち、ショーケースの方に歩いていった。

 一生は桜琴が先程から、何か話したがっているのはわかっていた。


「あ、あの今日は拓くん……じゃない、鶴山さん、一緒じゃないんですね」

 桜琴は微笑しているが、緊張で顔を強張らせているのが、一生には伝わった。

 正直に話すか迷った。

「ああ、拓は流行り病でして、自宅療養中です」

 無難に答えることにした。

「あ、そうなんですか……」

 桜琴から安堵した様子が感じられ、一生は疑問を抱かずにはいられなかった。

 普通なら拓実が病気と聞いて安心するはずがないのだ。

「早くよくなると良いですね」


 桜琴はそう言ったが、先程までとは明らかに、態度が違うと一生は思った。

 何かを隠している、そう思わずにいられなかった。


「あの、甘山さんは体調が悪いとか、最近そういうのはないですか?」

 あのクラスの妖魔が身体に憑けば、相当キツイはずだ。

「え? いえ、特に何もないですね。丈夫なのが取り柄なんで。神谷田さんもお仕事、無理し過ぎないでくださいね。……あ、混んで来たのでそろそろ戻ります」

 ゆっくりしていってくださいね、そう言って、桜琴はレジの方へ戻って行った。


 ——どうなっているんだ。じゃあ、あの大黒蜂は何のために彼女に張りついているんだ。



「いらっしゃいませ〜〜〜〜」

 楓の声が店内に響き渡る。なんとも言えない、色気のある声だ。


 山名が店に入ってきた。ハンカチで汗を拭っている。走ってきたようだ。

「いや〜もう、大変でしたよ。どこも満車で、空きが出るの待ってました。案外、人気のお祭りなんですね〜」


 山名は抹茶と林檎の羊羹ようかんを注文した。

 林檎をバターといっしょに甘く煮て、白あんを合わせた羊羹らしい。

 林檎の羊羹は源次が物欲しそうに、チラチラ見ていた。

 山名が源次に一口だけですよ、と言ってあげていた。


 三色団子を食べている源次と、林檎の羊羹を食べている山名と、アイスコーヒーのみの一生はその後はどうやって大妖魔を倒すか、色々と小声で話し合ったが、桜琴に『忘却』の術が使えなくて、神通力を使う事や、神獣になって戦闘するのが難しいこと、下手に大妖魔を刺激したら、桜琴に危害を加えるんじゃないか、そういう話になって、なかなかベストな答えが出ない。

 しかしこのまま放置もできない。

 拓実のためにも、そんなにゆっくりはできない。


 拓実の病気と、神通力がなくなった原因があの黒い蜂なら、倒す以外の選択肢はない。


「どうしましょうかねぇ、若様、源様。困りましたねぇ。しかしあんな可愛い子にそんな大妖魔が信じられない……。あぁ、怖い、悲しい」

 山名が嘆いていた。


「……いっそ、あの店員を眠らせたらどうだ、一生」

 源次が提案してきた。悪くはないアイデアだった。


 ——あの大黒蜂が饅頭女から、離れてくれたらいいんだがな……。饅頭女にべったりだからな。ん? 危害を加えるでもなく、ただ、饅頭女にくっついてる……?


 一生は何か引っかかったが、この時にはまだ確信が持てなかったため、二人に話すのはやめておくことにした。


 この件は一旦持ち帰ることにした。凛華にも来てもらって緊急会議だ。

 原因がここにあったのがわかっただけでも、とりあえず、今は良しとしようと一生は思った。ただ、急がねばならない、それだけは確かだ。

 せっかくだから、拓実にお土産を買って帰ろうと思った。ここのお店のなら、拓実も食べてくれるかもしれないと思った。


 時刻は午前十一時を過ぎていた。


 ショーケースの前で三人はお土産選びに夢中になった。

 源次はこう見えて甘党なので、とても楽しそうだ。

「……何にするかな。苺大福五つと、草餅五つと……」

 楓がニコニコしながら注文を聞いている。



 一生はカステラとそれ以外にも何点か和菓子を買った。どれも拓実が好きだと言っていたものだ。

 ふと『魔法の鉱石』という和菓子が並んでいるのが目に入った。

 カラフルで宝石みたいで、可愛いもの好きの姉が喜びそうだな、と一生は思った。

 一つを手に取った。


「あ、それ、あたしが考えたんです」

 桜琴が笑顔で話しかけてきた。

 急に近くに来られて一生は狼狽えた。

 ふわりと甘い、桃のいい香りがした。


「この和菓子、色が二種類あって、こっちのは赤色系、あっちは青色系なんです」

 桜琴が『魔法の鉱石』の青色系を取ろうとした時、桜琴の肩が一生の身体にぶつかった。

「あ、すみません」

 桜琴は謝ったが、一生は固まってしまった。



 止まった思考の中でただ一つ感じたのは、この饅頭女が好きだ、その感情だけだった。




















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