第16話 小手毬

『拓くん、先日は来てくれてありがとう。期間限定の商品ができたので、良かったら、また来てね』


 時刻は午前九時。桜琴はカフェオレを一口飲んだ。

 ようやく和菓子作りが一段落した所だった。

 今日は『和の国〜菜の花祭り』というお祭りがあるため、五時起きだった。


 桜琴はスマホで期間限定の砂糖菓子、琥珀糖『魔法の鉱石』の写真を撮って、拓実にメッセージと一緒に送信した。

 今回の限定商品は寒天、水飴、シロップなどを使い、カラフルに仕上げた和菓子。

 初夏に向けての和菓子で、桜琴が企画した商品である。

 ブリキ風蓋付きの小さなプラスチック容器の中に、黄色、ピンク、紫、水色、透明、オレンジなど、菱形の小さな砂糖菓子が詰め込まれている。


 初めて『魔法の鉱石』を作った時は、そのレトロでポップな可愛さに心が躍った。

 可愛いは正義だと桜琴は思う。


 出来た琥珀糖を長細く切り、そこから、斜めに切っていく。人の手で切っているので、菱形といっても、どれも大きさや形が少し違う。そこがまた魅力だった。

 口に入れた瞬間、まずシャリとした噛み心地に驚く。それがぷるんとした食感に変わっていく。

 すぐに味はわからないが、しばらくすると、ほんのり何味か分かってくる。

 謎解きのような感覚で苺、葡萄、レモン、オレンジなど色々な味が楽しめる。程よく甘く、柔らかい口あたりだ。

 一つと食べたら、もう一つと手が伸びてしまう。


 鮮やかで宝石みたいな見た目といい、優しい味といい、食べた瞬間、幸せに包まれる——

 そんな和菓子だった。七月半ばまでの限定商品だ。

 桜琴はこの『魔法の鉱石』という和菓子がお気に入りだ。

 今年この商品が売れたら、来年も同じ物を作りたい。

 自分が作った物が売れる、こんな楽しいことはないのだ。



 開店準備のアラームがスマホから鳴る。スマホをポケットから取り出し、アラームを止める。

 桜琴は拓実に送信したメッセージを見て、自分から誰かにメッセージを送るのは久しぶりだと思った。

 女友達と遊ぶのすら、最近は避けている。自分とは出かけたりしないほうがいい。


(拓くんか、何だか恥ずかしいな。慣れない……)


 いつもだったら、メッセージを送ったりはしない。何だか胸騒ぎがする。

 考えすぎかもしれないが、無事なのか知りたい。






 遡ること二時間前、源次が一生の屋敷にやってきた。


 黒のTシャツにダメージジーンズ、スニーカーという服装だったが、そのどれもがブランド品だった。高身長な源次にジーンズがよく似合っている。よく鍛え上げられた体も、格闘技の選手のようだった。


「……おはよう、一生」


 普段口数は少ないが、穏やかな口調が源次の育ちの良さを物語っていた。

 現在は母親の老舗旅館で庭師もしているらしく、華道にも精通している。


「源次、おはよう。急ですまないな」


 一生がベージュカラーのスーツのネクタイを整えながら答える。

 今日のスーツは有名ブランドの新作である。一生にとって服は、気合いを入れてくれるアイテムである。


 一生と源次、二人は縁側の座布団に座った。

 晴れ渡る空を二人は、しばし眺めていた。

 波がお茶を運んできてくれた。ありがとう、と一生がお礼を言った。


「……拓実は大丈夫なのか?」

 源次が落ち着かない様子で訊ねてきた。

 波が淹れてくれたお茶を一口飲んで、一生が言った。

「熱が下がらない。まだ四十度近くある。熱が出だしてもう三日目だ」

 一生が浮かない顔をする。昨夜から拓実は顔色も悪い。

「そうか……。それはきつい。原因は妖魔の毒じゃないのか?」

 源次が一生に確認するように訊ねる。

「それが姉特製の解毒剤が効かないんだ。こんな事、今までなかったな」

「……そいつは厄介だ。何かわかるといいんだが……」

 源次も湯呑みを手に取った。だが熱かったのか、すぐに元の場所に戻した。

「必ず原因を突き止める。昨日話した通り、今日は思い当たる場所に行く。少し大変なことになるかもしれんが、すまないな、源次」

「……オレも拓実を助けたい。謝るな、一生」


 一生が手入れの行き届いた庭を見る。

 一生の母親が好きだった、小手毬コデマリが見事に咲き誇っている。名前の通り、小さな白い花がたくさん集まり、手鞠のようになった花。何とも可愛らしい、母そのものだな、と一生は思った。


 源次も小手毬を見ながら、笑みを浮かべる。

 小手毬が風に吹かれ、楽しそうに揺れて、二人の友情に微笑みかけているようだった。



 一生と源次。二人は小学校から高校まで一緒だった。

 私立の名門校で、受験は小学校入学時のみ。小学校から、高校までのエスカレーター方式の学校だった。

 一生は高校の時に生徒会長を、源次は書記をしていた。

 大学こそ別々だが、それまでの十二年間はクラスが離れることはあっても、ずっと同じ学校なのである。

 二人は気心知れた仲だった。


 自分は仲間に恵まれた、と一生は思う。


 結界師の長は、代々、一番霊力の強い神谷田一族が引き受けている。そのため、五結界師の神力の源、大神龍は縁神社に祀られている。

 大神龍とは『火、水、風、雷、土』という五つの強力な神力を持つ龍で、一つの胴体に五つの頭、五つの尾を持つ神である。


 一生は『水龍』、拓実は『火龍』、源次は『雷龍』、凛華は『土龍』である。


「源次、一ノ瀬家の事、やっぱり何も情報なしのままか?」

「……ああ、何もない。親父も探してるし、母親も客にさりげなく聞いたりしてるみたいだ。オレも、もちろん探してはいる」

「そうか。どこに消えたかな『一ノ瀬蝶子いちのせちょうこ』は。この件が終わったら、本腰入れて探さねばなるまい」


 五家の一人である『一ノ瀬家』の蝶子が消えた——

 妖魔厄災が増えた今、五家が四家になっている現状は辛い。

 行方不明になって、もう一年……。

 一体どこに行ってしまったのか、皆目見当がつかない。

 任務を途中で投げ出したりする、そんな性格には見えなかったな、と一生は思う。

 一ノ瀬家も必死になって探しているはずだ。



「……それよりいつ、出発するんだ?」

 源次が訊ねてきた。一生は源次を見て微笑した。

「源次、私は朝ご飯を食べてきてもいいかな?」

 途端に源次は顔を引き攣らせ、眉間に皺を寄せ、顔を赤くした。全身が小刻みに震えている。

 一生に言われて、部屋の時計を見ると、まだ朝の七時過ぎだったからだ。

(は、恥ずかしい。拓実が心配で……、家で完全に時計を見間違えた!! 穴があったら入りたい!!!)


「……早く来すぎてすまん。拓実の様子、見てきてもいいか?」

 源次はゆでだこ状態で、一生に訊ねた。

「ふふ、もちろん。心配で仕方なかったんだろ? ただ姉がいるから、気をつけてな」


 拓実の様子を見に行った源次が、薫からのアプローチ攻めにあって、恥ずかしさのあまり気絶したのはいうまでもない。




 午前十時。

 一生と源次は山名の運転で『月縁堂』に向かっていた。

 土曜日なので平日よりは車が少なかったが、店に近づいてきたあたりから混み出した。

 『和の国〜菜の花祭り〜』とあちこちに看板や旗がある。歩道を歩く人が多い。

 カップルや家族連れ、杖をついて歩く老人の姿、綿飴や、りんご飴、風船を持った子供たちもいる。この近くの広場でイベントをやっているらしい。


 そのためか、月縁堂の五台ある駐車場はどこも空いていなかった。

 今日は月縁堂も忙しそうだ。店内が賑わっているのが見える。

「止められないので、どこか駐車場を探してきます」

 山名は一生たちを店の前で降ろし、駐車場を探しに行った。



「……ここに何かあるのか? 特に何も感じないな」 

 源次が店周辺をキョロキョロ見ている。

「そうだろうな。見えない何かが必ずあるはずだ。今から神術を使う」

 と源次に声をかけた。源次の顔が引き締まる。神術を使うことは事前に話してあるが、やはり緊張はする。


 一生は今朝、大神龍から神術『氣神眼』を借りている。

 初めて神の眼を借りたのだ。


 日の出と共に起き、白狩衣を着て、縁神社で祈祷後、扇の舞を披露することによって、まず大神龍を呼び出す。

 そして自分の願いを伝え、大神龍が承諾してくれたら、己の何かと引き換えに力を借りれる。

 一生の場合はいつも髪を失っている。生え際が黒くなってきていたが、また銀色になった。そして、顔の両サイドを五センチほど切り、大神龍に献上した。髪も生命エネルギーである。

 人間が神様の力を借りる、それは代償も大きいのである。

 一生の髪はだからいつも銀色だった。


 一生は左耳に碧い水晶のピアスを着けた。

 そして大神龍から借りた力を使う。思い当たるのはこの場所しかないのだ。

 賭けに近いが、ここぞという時の勘はあまり外したことがない。


『氣神眼』

 一生は左手を胸に当て、心の中でつぶやく。

 恐怖と好奇心が入り混じっている。


 神術の名前通り、神の眼そのものである。

 人間の目には到底映らないものが見えるという——

 


 一生は目の周辺が灼けるように熱くなってきた。

 急に真っ暗になったと思ったら、眩しい光に包まれた。

「くっ!」

 あまりの眩しさに一生は目を押さえ、よろけた。

「お、おい、大丈夫か、一生」

 源次の腕が一生の身体を支えた。



 一生はゆっくりと目を開けた——

 明らかに自分の目ではないと感じた。神術が成功したらしい。


 目の前に心配している源次の姿があった。源次の背中には黒い蝶たちが止まっている。羽を優雅に動かしているが、源次がそれに気づくことはなさそうだ。


 辺り一面、黒い蝶だらけだった。自分の身体にも容赦なく、ぶつかってくる。

 ただ、当たっている感覚もない。

 不気味だ、と一生は思った。


 ——これが大神龍様が見ている世界なのか。凄すぎる。

 一生は息をするのも忘れてしまうほど、周りの景色に圧倒された。


 月縁堂の店が埋め尽くされるほど、黒い無数の蝶が飛び回っている。


 空を見上げると、店の遥か上空には大きな銅の扉が見える。

 扉は少しだけ空いていた。その扉の隙間から、見たこともない不気味な魚が出入りしている。

 足元を見ると、地面からは無数の虫が這い上がってきている。

 異様な光景だ、と一生は思った。


 辺りには黒い蝶の他にキラキラ光輝く、魂のようなものがたくさん浮かんでいる。


 ——私たちは普段こんな中で生活をしているのか。上空のあの扉はなんだ?


 一生のすぐ前を、角が五本生えたウサギが走り去っていった。

 上空には羽の生えた大きな鯨が悠々と泳いでいた。

 八百万やおよろずの神々なのかもしれないな、と一生は思った。

 神々は黒い蝶など、まるで気にしていなかった。

 ただ神々からは何も感じなかった。無というのはこういう時に使う言葉だと思った。


 ただ黒い蝶だけが異常な妖気を放っていた。



 ——やはりこの店だったか、原因は。


 月縁堂の窓は黒い蝶がびっしり止まっている。これでは中の様子が見えない。

 しかし、これだけの妖気を、存在を、この蝶たちがうまく隠していたとは驚きだった。

 大神龍の眼がなければ、絶対にわからなかったことである。


「……一生、大丈夫か?」

 一生の様子に戸惑いながら、源次が訊ねてきた。

「ありがとう。心配ない。ただ、やはりここだった」

 一生はそう言い、店の自動扉の前に立った。


 レジカウンターには珍しく、桃色の着物姿の桜琴がいた。

 お祭りだからか、今日は接客係なんだな、と一生は思った。

 髪を結い上げ、化粧をしていた。

 動くたびに玉簪に付いたフリンジが揺れる。綺麗だった。

 美人なんだから、普段から少しは化粧をすればいいのにと思った。


 一生に気づいた桜琴が、戸惑い恥ずかしそうに、微笑みながら言った。

「あ、神谷田さん。いらっしゃいませ……」



 一生はただ悲しかった。

 店に入ってすぐ、桜琴の姿を見た時に泣きたくなった。

 嘘だと誰かに言ってほしかった。




 ——君だったのか、大妖魔に取り憑かれていたのは……。



 桜琴の背後に大きな黒い蜂がいる。桜琴と大きさは変わらない。

 それは桜琴にぴたりと張りついて、大きな目でこちらを見ていた。

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