第15話 流れ星

 次の日、拓実は高熱を出した。

 薫の診断では疲労だろうとの事だった。


 一生は拓実がいる病室に、結界を二重に張って、仕事に来ている。結界を張り続けるのは神通力を使い続けるので、当然疲労する。

 神力に溢れた、縁神社がある一生の屋敷で看病するのが一番だった。

 屋敷なら、いくらでもずっと結界を張り続けられる。

(今夜あたり、拓実を屋敷に移動させねば、私の神通力が持たない……)

 一生の神通力もどんどん減っていくのがわかる。


 昨晩は山名と一緒に病院に泊まったが、その時からずっと、病室に結界を張り続けている。

 相手の霊力が一生より強ければ、結界など簡単に壊されてしまうだろう。

 もちろん、そんなことは今まで一度もなかったのだが、今回、拓実が戦った相手は分からない。謎だらけだ。

 分かるのは異常な執念だけだ。

 しかも五家の結界師である、拓実の腕にあの呪いのような顔を刻んだのだ。この時点で、霊力は拓実より上だ、と一生は思っている。


 凛華と、源次にも事情を話し、しばらく夜間の妖魔、厄災の撃滅をお願いした。

 凛華はショックを受け、『お見舞いに行きたい』と言ったが断った。この間の二人のやりとりの事もあるが、病院が安全とはいえないからだ。



 ——あの店を出てから、すぐに拓実に突然襲いかかった、小さい妖魔の群れ。そんなにすぐに大群が集まるものだろうか?

 やはり、拓実の腕に顔を刻んだ男が首謀者なのか?

 結界師たちを狙っているのだろうか?

 最初のターゲットに選ばれたのが拓実なのか? 

 あの店は何なんだ? あの饅頭女は? あの場所に何かあるのか?

 考えれば考えるほど分からない。

 なるべく早く、あの場所に行くしかない。


 ——一番困っているのは、拓が現在いま無防備だということだ……。



「専務、専務、……神谷田専務」

「あ、ああ、どうかしましたか? 谷山課長」

 考え事をしていて気づかなかった。

「新商品の最終デザインができましたが、これで構いませんか?」

 企画部の谷山課長だった。大柄な男である。

 その大きな体にはとても似合わない、可愛らしいキャラクターがプリントされた一枚の紙を渡してきた。

 一生はマジマジとそのデザインを見る。

 可愛い動物たちが、様々な楽器を持って踊っているイラストだった。

 いきなり、すっ転びかけているパンダ、それを心配しているカバ、楽しそうに踊るウサギ、鹿、猫、犬、何故かイルカまでいる。どういう組み合わせか、全く分からない。

 それでも暗い気分でも吹っ飛ばしてくれそうな、おマヌケで、明るいキャラクターたちだった。

「……これで良いと思います。流行り病、物価高騰に悩む国民に、癒しを与えてくれてくれそうな、そんなキャラクターたちですね」

 一生は谷山に笑顔を向ける。

「ありがとうございます、専務。ではこれで進めていきます」

 企画部の谷山課長は軽やかな足取りで戻って行った。


 社内でも、最終的な決断は専務である一生がしている。

 ずっと何かを決める、それがとてつもなく疲れる時がある。山のように積まれた書類。どれも目を通さないといけないものだ。

 何か甘いものでも食べたいな、と一生は思った。

(あのカステラ、出来たてはもっと美味しいんだろうな……)

 月縁堂のカステラがまた食べたくなった。



 その日の夜、一生は拓実を屋敷に連れて帰ってきた。薫も一緒だ。

 一生も神通力が尽きかけていて、疲れ果てている。神通力があればこそ、昼も夜も体力があった。そのおかげで、夜間の妖魔や厄災の退治ができていた。

 結界師には人にはない、異能がたくさんあるのだ。



 拓実はまだ高熱にうなされていた。食欲はなく、ずっと点滴をしている。

 時々起きては、時間を聞いてきたり、大学のことや、みんなの事、妖魔厄災退治の心配をしたりしていた。


 今日の血液検査も異常なしだった。 

 拓実の大学には流行りの病で入院している、と電話を入れている。


 正直、拓実が熱を出してるのを見たことがなかった。元々、身体が丈夫でないと、結界師にはなれない。神獣になったり、神通力にしろ、身体に当然負荷がかかる。耐えられる体力と精神力がないと、自分の霊力に負けてしまう。

 だから一族から、選ばれた子のみが神獣の継承者になれる。


 生まれてくる時に、後継者となるべき子はすでに決まっていて、満月の夜に宝石を握りしめて、生まれてくるらしい。

 その宝石で神通力を無理なく使うことができる。宝石をピアスに加工し、身に着けて、妖魔厄災と日々戦っている。もちろん無くても多少は使えるはずだが、試したものはいないだろう。身体に負担がくる行為だからだ。

 そうして、ずっと繋いできて、今まで五家はあったのだが——



 拓実は現在、縁神社にもっとも近い部屋に布団を敷いて眠っている。

 眠っているといっても、時々苦しそうだ。

 相変わらず、拓実からは神通力は微塵も感じない。


 薫が拓実の汗を拭きながら、沈痛な表情をしている。


 一生は不安だった。

 いつも明るい拓実のこんな姿、できれば見たくはない。

 しかし、結界師の長である自分が弱音を見せれば、それは拓実に、この屋敷にいる全員に伝わる。

 今、一番戦っているのは拓実だ、と自分に言い聞かせる。



 一生が重苦しい空気の中、口を開いた。

「姉さん、神通力がかなり戻りました。私は今から少し、買い物に出かけるので、拓の側にいてもらえませんか? 山名と波は全員、念のため置いていきます……」

 薫はため息を吐き、困惑の表情で一生を見た。

「……拓坊が襲われた場所に一人で行くの? 一人はだめよ。許さないわ。それにまだ完全に神通力は戻ってないわよネ?」

 一生は黙っていた。全て見抜かれている。

 本当は今すぐにでも、その場所に行きたい。


「いい、一生? あなたは結界師である前に『神谷田グループ』の跡取りなのよ。関連会社含め、七万人以上の従業員の生活を守る義務があるの……」

 薫が話を続ける。

「……この裏稼業も、もう何代目かしらネ? 酷い怪我で再起不能になった忍びも沢山いたわ。いつになったら、この国は本腰入れて調査してくれるのかしらネ。私たちにも家族や生活はあるのにネ……」

「……仰っていることはよく分かります。しかし、この長い戦いも、いつかきっと終わる時がきます。少なくとも、拓実も源次も凛華も、もちろん波のものたちも、そう願って、日々戦っています」

 一生は薫にはそう言ったが、そう言わないと、自分を鼓舞しなければ挫けそうな日もある。

 結界師として生まれた運命だ。これは私の誇りだと——


「そうね……。一生……、拓坊が心配なのはわかるけど、この子はそんなにヤワじゃないわ。とりあえず、何も考えず、今日はもう寝なさい。あなたも疲れているでしょう。これは姉からの命令よ」

 薫に半ば部屋から追い出される形で、一生は部屋を後にした。



 源次に連絡をしたら、明日は休みだから、一緒に行動を共にしてくれるとのことだった。

(姉さんは戦う霊力はないが、感知はできるから、何かあったら起こしてくれるだろう。今夜は姉さんに甘えておくか……)


 一生は拓実がいる部屋の隣で眠る事にした。

 すでに布団が準備してあった。

 お日様の匂いがする。ふかふかの布団だった。

 よほど、無理をしていたのか、一生は横になるとすぐにウトウトしだした——




 スーッと襖が開く気配がした。

 誰かが入ってきた……。

「何者だ!!!」

 一生は飛び起きた。

「あ、起こしちゃいましたか、すみません、若様」

 山名だった。

「……なんで、布団を持っている?」

 一生が怪訝な顔で訊ねる。山名は布団を一式抱えていた。

「ははは、若様。お一人で寝るの寂しそうだったんで。わたくしめも、隣で寝ますよ」

「なんでだ。私はすでに眠りかけていたし。子供じゃないぞ。だから別に寂しいとかないんだがな」

「またまた〜、若様は素直じゃありませんね〜」

 隣に布団を敷くと、山名は一生の身体をマッサージしてくれた。

 夢心地だった。気持ちよくて、眠くなってきた。

 背中を揉みほぐしながら、山名が言った。

「……若様、一人で抱え込まずに、せめて、わたくしめの前では弱音も吐いてください」

 一生は微笑する。

「……海渡かいと、いつもありがとうな……。お前はなんでも分かるんだな……」

『山名海渡』は山名の本名だ。


 養護施設から、ここに引き取られたばかりの子供頃の山名は、人見知りがひどくて馴染めなくて、夜によく泣いていたから、一生がこっそり山名の横に、布団を並べて隣で寝ていた……。


 半分眠りながら、一生は思い出していた。


 ——山名がここに来たのは、まだ一生の母親が生きていた頃だった。


 二人でよく深夜までおしゃべりしたり、トランプしたり、しりとりしたり、騒ぎすぎて母さんに見つかって叱られて……。


 ——こうして、上司と部下になった今でも、海渡は私の大切な兄弟あにだ。


 一生はすうすうと寝息を立て始めた。



 その寝顔を山名は優しい眼差しで見ていた——






 ***

 桜琴は寝転んで読書をしていた。N賞を受賞した作家さんの本だ。たまには、ファンタジー小説よりもこういう本が読みたくなる。

 夜、寝る前の習慣なのだが、今日はなんだか集中できない。


 昨日、拓実は「明日も来る」と言ったが、今日は来なかった。

 密かにずっと待っていた……。

 何か用事ができたのかもしれないし、忘れていたのかもしれない。もしかしたら、急に彼女に誘われて、デートに行ったのかもしれない……。

 大体、あんなかっこいい男の子に彼女がいないほうがおかしい、と桜琴は思う。

 でも一番心配なのが、黒緑に襲われていないか、ということだった。黒緑が人を襲う理由がわからない。ただ、自分と深く関わった他人が狙われることしか分かってない。


 桜琴は起きて、窓際に近寄った。今日は満月だった。


 ふいに、ごま団子を満面の笑みで食べていた、拓実の無邪気で幸せそうな笑顔が、夜空に浮かんだ。

 お月様も神秘的で優しい光だった。

 明日、連絡してみようかな……、と桜琴は思った。


 その瞬間に流れ星が一つ、流れた——

 それはきらりと、少し寂しそうに夜の闇に消えていった——

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