第9話 泣き顔

 ——後ろの厄災の気配が消えた……。 白銀狼はもう厄災を倒したんだ。相変わらず、強いなぁ……。


 黒狼は厄災から伸びてくる、無数の泥手を爪で切りながら感じた。


 やっぱり、結界師をまとめる神谷田一族は、持っている神力が違う。

(……加えて、あの召喚術。幼い頃から血反吐を吐くほど、鍛錬しまくってたもんな……。すげーよ。一生、おめーは、やっぱりカッコいいぜっ!)


「うずまき、ありがとう。後は俺がやるよ〜。危ないから下がってて〜」


 黒狼はうずまきたちに声かけをして、後ろに退がらせた。

 忍びたちの共闘もあって、厄災は当初の三分の一の大きさになっていた。


 黒狼はお腹に力を込め、『炎転風えんてんふう』と心の中で唱える。

 炎が回転しながら、厄災に直撃し、熱風が円転しながら、厄災を焼き尽くす——


(決まったか?)


『ワタシタチ、アヤマレテナイノ……』

 厄災は透き通るような声で話し、その瞬間、目が眩むほどの白い光を全身から出した。


「な、なんですとぉーーー!!」

 うずまきが叫ぶ。

「おいおい、マジか。こんな厄災、見たことないぜ〜〜〜」

 黒狼も目を見開く。


 二人がそう言うのも無理はない。目の前の厄災は、物の見事に元の大きさに戻っていた。


「回復術だな……」

 黒狼が横を向くと、白銀狼が隣に立っていた。

「今回、なんかおかしくない?」

 黒狼が首を傾げる。

「おかしくないと言ったら、……嘘になるな」

 通常、厄災は回復術など使えない。厄災という闇そのものが、ようの力など使えるはずがないのだ。


「埒が明かない展開になりそうだな。私は早く帰りたいのだ。拓、一気に叩くぞ!」

「一生、わかった、あれね。合術ね。使った後、俺、死んでると思うけど、頑張るわ」



 二人は心の中で叫ぶ——

炎雪息尾えんせつそくび!!!!!』


 炎と吹雪が重なり合い、紅と白、ニ色の強風になった。嵐の如く風が吹き荒れている。


 厄災が高波のような形になった。術ごと飲み込む気らしい。

 そして、厄災の高波の壁に、ギリシャ神話の神のような顔が一人、デカデカと浮かんできた。

 凄まじい怒りが、眉の辺りに這い、大きく開かれた目はこちらを睨んでいる。


(な、なんだ、こいつは……。やはり、我々が今まで戦ってきた厄災とは、明らかに違う)

 白銀狼はあろうはずがない事態に、動揺が隠せなかった。


「え、コイツ、キモッ!」

 黒狼は独言する。


『ワレノヒメヲ……カエセ』


 先ほどの、透き通る声とは全く違う、野太い男性の声だった。

 厄災は今度は、泥蛇のような形になった。この厄災は先ほどの厄災とは違い、何かに執着していて、そのために今にも逃げ出しそうだ。隙を伺っているのがわかる。


 そこに先ほどの二人の合術が、厄災まで一直線に飛んでいく。凄まじい速さだ。

 すごい速さで逃げる泥蛇を追う、どこまでも追いかけ、泥蛇に巻き付くニ色の風が泥蛇を締め付ける。

『ギャァアアアアアア』

 先ほどの男性の悲鳴が聞こえ、厄災は粉々に砕け散った。


『ア、アリガトウ……』

 雪の結晶のように、キラキラと光を放ちながら散って、消えていく厄災から、澱みのない、透明な声が聴こえた。



「なぁ、一生、厄災ってさぁ、こんなんだったっけ……? いつも以上に気持ち悪かったんだけど」

「そうだな、少なくとも、私はこんな厄災には、初めて出会ったな。姿は厄災だが、妖魔が厄災になったものではない気がするな」

 一生は、神獣から人間の姿に戻り、答えた。


 ——厄災は天界に送るとき、黒い塵となり消えていく、妖魔も同じだ。だが、今回は白くまばゆい光を放ち、人の言葉を話していた……。あの『ワタシノヒメヲカエセ』と言っていたのも、気になるな……。どのみち、これは、おいそれとはいかないだろう。


「源次や凛華にも話さねばならない。とりあえず、二人がいる場所へ向かうぞ!」

 一生が深刻な顔をする。

「そうだね。まあ、厄災は、源次のおやっさんがとっくに倒してそうだけどな。……あ〜、腹減った!」

 拓実がお腹を摩りながら言った。


 その時だった。うずまきに忍びの者が耳打ちに来た。

 道を塞いで破壊しまくっていた、もう一体の厄災は源次たちが倒したそうだ。死者もなく、現場も今は落ち着いていて、源次たちも怪我もなく、元気だという報告だった。

 ここにいたすべての者が、安堵の表情を浮かべた。


 『今日の厄災について会議をしたいから、出来れば今日の夜、屋敷に集まって欲しい』と一生は伝言を飛ばした。



「それにしても、今日の若様の召喚術も美しかったですな。皆、見惚れておりましたぞ、ずいぶん強い龍を、召喚できるようになりましたなぁ」

 山名が車のエンジンをかけながら言う。波の忍びがきちんと駐車場に移動させてくれていた。


「ねえ、ラーメン食べに行こうよ〜、早く〜。俺、『ラーメン・鳥豚ドラゴン』が良い! ラーメン食べないと……もう俺……、一歩も歩けないよぉ〜、一生〜!」

 拓実が一生に弱音を吐いて甘える。


「わかってるよ、拓。約束だもんな。何? 豚? 豚ドラゴン?」


「しかし、若様。県道も渋滞ですぞ。『麺屋・鳥豚ドラゴン』には少し遠回りですが、来た道を戻って行くしかありませんな。……そういえば、あのラーメン屋は午前中に行った和菓子屋の近くといえば、近くでしたよ」

 山名がナビをセットしている。





 時刻は午後二時前である。

「あんな事故があったから、少し遅れるかしらね……」

 母が店から外を見ている。

 桜琴も少し寝て元気になった。

 父は明日の仕込みをしている。姉は今日の売上を記録している。


 その時、家の前にトラックが止まった。『神谷田のお菓子』とトラックには書いてある。


「こんにちは〜。お菓子を受け取りに来ましたー」


 神谷田製菓のスタッフさんたちだった。紺のスーツである。

「あらあら、時間ぴったり! 渋滞は大丈夫でしたか?」

 母が紺色のスーツの二人に訊ねる。

「私たちは大丈夫でしたよ。ご心配していただき、ありがとうございます」

 実はこのスーツの男性らは『波』の者たちである。先ほどの現場からそのまま来たため、渋滞に巻き込まれてはいない。


「あー、これはこれはどうも。店主の甘山です。この度は本当にありがとうございます」

 作業着を脱いで、厨房から父が出てきた。スーツのスタッフに挨拶とお礼をしている。





 一生と拓実は『麺屋・鳥豚ドラゴン』に向かっていた。

(十四時前か。今日は散々な一日だったな。ふぅ……)


 一生はため息をついた。

 隣を見ると、拓実は寝ていた。

 よほど疲れたのだろう、合術で無理をさせてしまったのもある。


「しかし、若様、今日はいい事もあったのではありませんか? 今頃、わたくしめの部下が、月縁堂にお菓子を取りに行っております」

 山名が運転席のミラー越しに、一生を見ながら訊ねた。

「いい事? 別にないな」

 窓の方を見ながら、淡々と一生は答えた。

「拓様がオイタしたからといって、いくらなんでも、店の商品全部を買い取るなんて……。ねぇ?」

 山名が何か言いたげな顔で、一生を見ている。

「べ、別に。たまにはスタッフに差し入れをと、思っただけだ。山名、お前の分もあるぞ」

「そりゃ、ありがとうございます。あ、もうすぐ、あの店の前、通りますよ」

 山名がナビを見ながら言った。


 ——あの夜、饅頭女はなぜか、酷く泣き腫らした目をしていた。泣きながら、饅頭作りか……。そりゃ、失敗するな……。私は、あの饅頭女にはただ、笑っていてほしかっただけだ。それ以上でも、それ以下でもない。


 ただ、ひどく悲しい桜琴の顔が、一生の目に焼き付いて離れなかった。

(あの饅頭女、いつか、美味い饅頭が作れるようになるといいな……)


 月縁堂の前を通りかかった。信号に引っかかり、店の方を見る。

「あ、いますよ。わたくしめの部下たち、きちんと笑顔で仕事してますね〜」

 山名が部下の仕事ぶりを褒めていた。買ったお菓子をみんなでトラックへと運んでいるようだ。桜琴も外で荷物を運んでいた。


 桜琴は楽しそうに笑っていた。


 ふと、車を見てきた桜琴と偶然にも、一生は目が合った——

(!)

 一生に気づいた桜琴は会釈して、微笑んできた。


 一生の心拍数はなぜか上がった——


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