第6話 饅頭女と厄災
「……記憶?? なんのですか?」
桜琴はきょとんとしている。
(……聞き間違いか? ……鎌をかけてみるか?)
いつもは冷静な一生が、今までなかった事態に少し焦っていた。
「あぁ、ペットは食べてませんよ。大丈夫です。ボンベイの心配までしてくださり、ありがとうございます」
「それは良かったです。安心しました」
桜琴の答えに、一生は確信した。
(やはり、記憶があるようだ……。なぜだ? なぜ、黒狼の話をしない? 解せん。隙を見て、もう一度、記憶消去の術をかけるか? 何にせよ、拓のあの姿を見られている状況は、かなりまずい)
「でもまさか……、鶴山さんは食べたんですか?」
桜琴は青白い顔で、恐る恐る一生に尋ねた。
(この饅頭女は、心臓に悪い質問ばかりだな……)
「まさか。彼は以前、海外で食べたお饅頭が、ここにないか、ただ確認しただけだと思いますよ。彼は和菓子屋に行くと、いつも塩辛いお饅頭はないか、店主に、必ず訊くんです。海外で食べた、あの饅頭の味が忘れられないのでしょうね」
一生は何事もなかったかのように、適当にごまかす。
「へぇ、海外には、塩辛いお饅頭が本当に存在するんですね。需要があるんですね。世界は広いなぁ……。忘れられない味かぁ」
桜琴は感心している。そんなことより、一刻も早くこの話を終わらせたい。
「あ、そういえば、あのレジにいらっしゃる方はお姉さんですか?」
なんとか塩辛饅頭の話を終わらせたい、一生が桜琴に訊ねた。
——この男性もやっぱり
「あぁ……、姉です。綺麗で明るくて自慢の姉です!」
桜琴は努めて明るく振る舞ったが、一瞬、桜琴の表情に陰りができたのを、一生は見逃さなかった。
スマホのメッセージのやり取りを終えた拓実も、桜琴が姉に劣等感があるのを、見逃さなかった。
「ねぇ、また、お店来てもいい??」
拓実が笑顔で桜琴に訊く。
「え、ああ、も、もちろんです。だ、大歓迎です!」
桜琴は、しどろもどろになりながら答える。
社交辞令かもしれないが、桜琴は嬉しかった。お客様として来る、この距離なら大丈夫だと、あの黒緑には襲われないだろうと思っていた。
「お客様〜、お待たせ致しました。全商品のお会計の準備ができました」
母のよく通る声が店内に響いた。
会計の際、一生が出したのが、ブラックカードだった上に、売り上げを見て楓が、悲鳴を上げていた。
「本当にありがとうございました。またお待ちしております。お気をつけて」
吟琴、楓、桜琴は深々と頭を下げる。
一生と拓実が会釈しながら、帰っていく。
十四時前に、神谷田さんの部下たちが、全商品を取りに来るそうだ。
ちょうど、おやつに間に合いそうだし、準備をするこちらにも、時間の余裕を持たせてくれたんだろうと、桜琴は思った。
一生は梱包は要らないと言ったが、やはり和菓子の楽しみは、包装紙を開けるところからだ。急いで梱包作業に取り掛かる。
裏口付近で、車のエンジンが止まる音がした。父が帰ってきたらしい。
「ただいまー! いやぁ、すごい渋滞にハマっちゃってさぁ、配達、遅くなっちゃったー! ねぇ、なんでお店閉めてるの!? ……てか、みんな、何してるの?」
すっからかんのショーケースと、梱包された山積みのお菓子を見て、父が唖然となったのは、言うまでもない。
「おかえりなさい、あなた。先ほど完売しました。ひと息ついたら、こっちを手伝ってちょうだい」
母はすこぶる機嫌が良かった。
「いや〜、びっくりしたよ、完売!? こんなにたくさん誰が買っていったの?」
父が箱詰しながら、母に訊く。
「神谷田グループの専務ですって。もう一人、一緒に来られたけど、御友人かしらね」
母が目にも見えない早業、鬼梱包をしながら答える。
「す〜〜っごい、イケメンだったのよ、お父さん! まるで、芸能人みたいな。キラキラのオーラ放ってて〜、シルバーの髪と黒い髪、二人はまるで、デュオ! もう、髪もさらっさら! 『クラウンプリンス』みたいな人たちよ! お父さんが見たら、両方の目ん玉、飛び出して大変な事になってたはずよ!」
楓が興奮気味に言う。いつも以上のハイテンションだ。
「そうか、そうか。クラウンなんちゃらは、よく分からんが、なんでまた、こんなに買ってくださったんだ?」
父が、がらん、となった店内を見て言った。
「さぁねぇ、なんでもスタッフへの差し入れですって。優しい人よねぇ、まだ若いのに……」
母が鬼の梱包業から、大鬼の梱包業になっている。案外早く終わりそうだ。
——お母さんは知ってる、あたしがお金受け取らなかったから、神谷田さんが全部買い物してくれた事。なのに何も言わない。なんで?
***
「はぁ……、疲れた。昨日も一睡もしていないのに。饅頭女のところに行き、今から仕事だ……」
一生はため息をつき、一人愚痴った。
「饅頭女じゃない。桜琴ちゃんだよ」
拓実が言い直す。
月縁堂で買い物をした後、すぐに部下の
車の中で、桜琴の記憶があったことを拓実に話した。
「拓、お前……、もう二度とあの店には行くなよ、わかってるよな? 彼女はお前の神獣の時の姿を見てる。隙を見て、もう一度、あの夜の記憶を忘れさせる術をかけるから、それまでは——」
一生が隣の拓実を見ると、微笑みながら寝ている——
(……疲れたんだよな、疲れるよな。今日は大学なくて良かったな。まあ、あの饅頭女、少なくとも、すぐ言いふらしたりしなさそうだし、言ったところで、誰もそんな話は信じない……)
一生は拓実に優しい眼差しを向ける。寝息が聞こえる。
「しかし、流石は若様。きちんと支払いに行かれるとは……。どのみち、売り物にはならないような、そんなお饅頭だったのでしょう? わたくしめに言ってくだされば、支払いぐらい、行ってきましたのに……わざわざ、若様が行かずとも、何か気になる事でも?」
運転手の山名が一生に言う。山名はニ十代後半の爽やかな男性だ。
「別に。山名も最近は忙しいだろう? 妖魔がやたら増えたからな。上忍のお前も、休む暇がないはずだ。たまにはきちんと、有給休暇消化しろよ」
一生も少し寝ようと思った。ふと桜琴の事を思い出した。
(そういえば、あの饅頭女、きちんと言いたいこと言えば良いのに……。でもあの饅頭女、なんか良い匂いしたな……)
一生は、なぜか微笑む桜琴の顔を思い出し、眠りに落ちた——
心地良い眠りだった——
「……若様、……若様、起きてください」
山名の声で起こされる。
「……なんだ……? 会社に着いたら……、起こして……くれ……」
再び眠ろうとした時、山名が硬い声で言った。
「……若様、拓様、お疲れのところ、大変申し上げにくいのですが……、先ほどから、異常な渋滞で進めなくなっております。そして、この車の後を、ずっと厄災がついてきております。数は二体ほどかと……。道を変えても、ずっと着いてきておりましたので、狙いは若様か、拓様かと……」
「な、なんだと!!!!! よりによって厄災か!?」
一生は飛び起きる。疲れていて、尾行に気付かなかった。
今は嫌というほど、この
肌がビリビリする。
「この渋滞の原因も、気になりましたので、先ほどから、中忍、下忍に調べさせております。しかし、厄災ニ体はちょっと厄介ですね〜。一体どこからきたんでしょうか? しかしこう、しつこくては、今、戦わなばなりませんな……若様、微弱ながら、わたくしどもも、加勢いたします」
山名はそう言い、さらさらと紙に何かを書いて、車の窓を開ける。
渋滞の中、何処からかやってきた三毛猫に、その紙を渡した。三毛猫は紙を加えると、ふっと消えた——
「召集はかけました。皆、じきにここにやってくるでしょう」
「ありがとう、山名。それにしても最近の妖魔、厄災の数は異常だな。何が起きているんだろうな……」
隣を見ると、拓実はすでに起きていた。
紅樺色の水晶のピアスを左耳につけた拓実が、気迫に溢れた顔で一生に言った。
「一生、これ終わったら、ラーメン食べに行かない? メンマとチャーシュー、煮卵もトッピングで!」
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