第4話 はじめましてじゃないんですけど
桜琴は慌ててシャワーを浴び、朝御飯を食べ、気持ちを切り替えて、和風ショップコート(作業着)に着替えた。
父と母と桜琴でお店に出す分と、納品分の和菓子を急いで作り終えた。
どんなに急いでても、決して手は抜かない。黙々と全ての工程を全力でやる。
お客様に食べて頂くものなので、当たり前の事なのだが、その努力があるから、『月縁堂』は
なぜだか、誰かと作る共同製作のお菓子を、桜琴が失敗することはない。
誰かが一つの工程でも手伝ってくれたら、何も起きないのである。それも解せなかった。
やはり、桜琴の周辺におかしな事が起き出した三年前ぐらいから、一人で全部作る和菓子や、洋菓子はなかなか上手くいかない。
「さくちゃん〜、ひと通り全部、商品はお店に並べたよー。綺麗に並べられたか、見て欲しいなー」
姉の楓の声が響きわたる。桜琴を呼んでいる。
よく通る高い声だ。楓は主に店の準備や接客、梱包、ネット販売担当で和菓子の製作には携わらない。
美容師を一時期はしていたが、祖父母が亡くなってからは月縁堂で働いている。接客する人が足りなくなってしまったからだ。
楓自身は『今の仕事は楽しいから幸せ!』と言っている。本当かはわからない。
ただ美容師の時もこんな感じだった。
姉の楓は桜琴より五つ上の二十六歳で、女らしいふくよかな体をしている。
唇の左下のホクロが色気を醸し出している。黒髪は結い上げ、簪をしている。
そして楓だけは、いつも簡単に着られる二部式着物を着ている。店の顔だ。
「
返事をして、桜琴は楓のところに行き、楓を見る、微笑んでいる。
(楓姉、今日も奇麗だな。赤い口紅もよく似合ってるなぁ)
佐一と楓が二人でいたのを思い出してしまった。
(いかん、いかん、ダメダメ。普通にしなきゃ)
桜琴は仕事モードに切り替える。
ガラスケース、木製陳列棚をチェックする。
「う〜ん、これとこれは逆で。あと、この小さなお饅頭が目立つように、手前がいいかなぁ……」
「うんうん、やっぱり、さくちゃんのセンスは素晴らしいわ! さすが『シュガープリンセス』ね!」
桜琴に言われた通りに、ディスプレイを並べ替えた後、楓が納得したように嬉しそうに話す。
「あのさぁ、もうさすがに『シュガープリンセス』は恥ずかしいな。だいたい今、お菓子作れなくなってるし……」
桜琴は居心地悪そうに言った。
「さくちゃん! 何を言ってるの! さくちゃんはどんな事があっても、選ばれし、『シュガープリンセス』なのよ! 今はただスランプなだけよ。プリンセスには障害が付き物なの? わかる?」
と楓が力説する。楓も漫画の読みすぎだ。
『シュガープリンセス』懐かしいな。勝手にそう呼ばれていた時期もあった——
三年前の春、この町で『私の和菓子・シュガーコンテスト』が開かれ、桜琴も参加し、砂糖で
——砂糖で作った、パステルカラーのピンクの大きなつまみ細工の花、砂糖を染めて、宝石のような形を作り、その大きな花から、宝石の雫が落ちているように仕上げ、さらに砂糖で真珠を作り、花の横に添えた。
その作品が『まるでお姫様が身につける物のようだ』と審査員から大絶賛され、そのコンクールで最優秀賞を取った。
『シュガープリンセス』はその時に通っていた、専門学校の生徒らがつけたあだ名だった。生徒は桜琴のルックスと、作品を見て羨望の眼差しでそう呼んだ。
しばらくは父が、桜琴の名前を呼ばずに、『プリンセス、プリンセス』『シュガープリンセスは今日は何が食べたい?』などと、ハイテンションで言ってきて恥ずかしかった。
まぁ、父はよほど嬉しかったのだろう、と桜琴は思った。
「よぉし! 開店準備終わり! お店開けるねぇー! 」
楓が家族みんなに聞こえる声で言った。
『月縁堂』……開店時間、朝の十時から夕方の六時まで。定休日、日曜日。
昔から日曜日は家族でお出かけしたり、食事に行っていたので定休日は日曜のままだが、バブルの時は何もしなくても売れたらしいし、テレビの取材なども来たらしいが、この時代、なかなか厳しいものがある。
今はデパートにも卸しているが、できればコンビニや大手と契約して、全国販売を目指したい所である。
月縁堂の今一番欲しいもの、それは新作、目玉商品になるものである。
「ちょっと、納品行って来るね〜」
父がお菓子を入れた折り畳みコンテナを『月縁堂』と書かれた、ワゴン車に積んでいく。
「気をつけてね。色々と」
母が父を見送りながら言う。モテる、元モデル夫と結婚した女は大変である。かと言って父に、今まで愛人がいたことや、浮気などはないと思うのだが……。
「は〜い、なるべく早く帰るよ、帰ったら、カステラ焼かないと……。あとは……」
母、吟琴の釘刺しセリフに気づかない父、幸三はぶつぶつ言いながら、配達に出掛けて行った。
「いらっしゃいませー! 本日のおすすめは『夢さくらの練り切り』でーす。期間限定商品でーす」
楓が元気いっぱい接客している。お客様は三人入っている。母もいつの間にか着物に着替えて、常連のお客様と世間話している。
桜琴はどら焼きを棚に並べている。
「ねぇ、さくちゃん。今度の土日、アリーナで『クラウンプリンス』のミュージカルがあるんだけどさぁ、一緒に行かなーい?」
楓がチケットを二枚ポケットから出した。
「えっ、それ、めちゃくちゃ人気のやつじゃん! イケメンたちがめちゃくちゃ踊り狂い、サーカスみたいに軽業しながら劇やってるあれでしょ!? 入手困難なのに、それどうやって手に入れたの?」
桜琴も興奮しながらいう。イケメンたちが踊り狂う世界。それもアニメや小説にしか出て来ないような美男子たちだ。『クラウンプリンス』別名『軽業の神様』
——あのメンバーのセンターの子、『たまごだらけの異世界物語』の隣国の魔法騎士にそっくりなんだよな。長い金髪で、流し目でさぁ……。たまらなく、いいんだよねぇ。……行きたいな……。
——完全に桜琴の脳内は異世界に
「行きたい……」
楓にそう言おうとした瞬間、佐一のあの夕日に照らされたデレデレ顔が脳裏に浮かんだ——
「行きたかったんだけど、あたし、その日、予定があったんよ。土曜も日曜も無理だった、残念。あ、別な人と行けば? 佐一とか……」
桜琴はあたかも今、思い出したかのように楓に伝える。もちろん嘘だ。
「え? そうなの。残念。一緒に王子様たち、見たかったな……。あれを佐一と観てもな……」
楓が悲しそうな顔をしたが、桜琴は『王子様』というワードに、また脳内が異世界に旅立った。完全に異世界小説の読み過ぎだ。
——王子様といえば、アレン王太子。夜中に来た銀髪のあの人、イメージ通りだ。王太子の格好して、馬に乗ってくれんかなぁ。ん……? そういえば、あの人、また来るとか、詫びがなんたら言ってたような……、言ってなかったような。だいだい、あの狼、ペットって……。
その時、自動ドアが開き、男性二人が入ってきた。
「いらっしゃいませぇえぇーー」
いつもより楓の声が大きい。うるさいぐらいだ。それはそうだ。
目の前にはこの世の芸術とも言える、美男子が二人立っていた。
白銀髪ボブと黒髪マッシュである。白銀髪ボブはグレーのスーツ、黒髪マッシュは白のパーカーにジーンズという出立ちだ。
楓も完全に目がハートになっている。
桜琴は心臓が止まりそうになった。
(ア、アレン王太子、ホ、ホントに来た!!)
「やぁ、こんにちは。実はお店の方に謝りにきたんです。突然すみません」
白銀髪ボブが困り顔で言いにくそうに言った。
店内のお客様全てが、モデルのような二人の男性に見惚れている。
美男子のオーラに負けず、始めに言葉を発したのは母だった。
「あら〜、すごく素敵な方々。何かございましたか?」
母は笑顔を崩さず、優しい口調で尋ねている。日頃見せる鬼とは別人だ。接客のプロの顔だ。
「ここでは何ですので、あちらのテーブル席でお待ちくださいませ」
「そうですか、ではお言葉に甘えて」
白銀髪ボブが笑顔で受け答えし、テーブル席へと向かった。
黒髪マッシュは黙ってついて行く。
桜琴の前を通ったので、二人に会釈した。それに気づき、二人が立ち止まった。
「お仕事中にすまないね」
と銀髪ボブが言い、黒髪マッシュとテーブル席に着いた。
「今、お水、お持ちしますね。お飲み物も良かったらどうぞ……」
母が二人に話しかけた時、店の電話が鳴った。楓は接客中である。
「あらあら、少しお待ちくださいね。桜琴、桜琴、お客様にお水をお願い」
母がカウンターにいた桜琴に頼んできた。
(えー、イケメンは遠くから見てるだけでいいのに)
桜琴はお水を準備し、
「失礼します」と、テーブル席に座っている二人の前にお水を置いた。
「あ、お構いなく……」
白銀髪ボブが申し訳なさそうに言う。
「どうも」
黒髪マッシュが手に取り、ゴクゴク飲む。一気飲みだ。
「あ、あの、父は配達中で……、まだ時間がかかりそうですし、良かったら、お飲み物もいかがですか?」
桜琴はメニュー表を渡す。
「あ、本当に結構ですよ。気を遣わせてしまい、すみません」
白銀髪ボブが頭を下げる。
「え〜と〜、俺はじゃあ、オレンジジュース! 氷抜きで!」
黒髪マッシュが元気よくオーダーしてきた。その時、
「ぎゃっつ!」と黒髪マッシュが顔をしかめた。
どうやら白銀髪ボブに足を踏まれたらしい。
「た、頼むよ〜、今日は俺はなんでか喉が渇いて、渇いて、死にそうなんだよ〜」
黒髪マッシュが懇願している。
「それはそうでしょうね。ご自分でなさった事。仕方ありません。すみませんが、お水のおかわりをいただけますか?」
銀髪ボブが桜琴を見る。桜琴の心臓が高鳴った。
桜琴はお水を入れながら、混乱しだした。
(この人、謝るって、何かしたのかな? あたしの方がこの人のペット? 黒い狼みたいなペット? 叩いた、いや殴ったんだけど。大丈夫だったのかな)
「あ、ご挨拶遅れました。はじめまして、私、
銀髪ボブが名刺を渡してきた。桜琴は両手で名刺を受け取る。
「あ、俺は
黒髪マッシュが頭を下げた。
——え? 神谷田って人、今『はじめまして』って言った? 言ったよね? 夜、会ったよね? え? まさかもう忘れたの? えぇ、うっそ、忘れるの早っ! 鶴山って人、サークルの挨拶みたい……。
まだ混乱気味の桜琴を神谷田一生は、じっと見ていた——
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